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きみまちのいえ ※TOEARTH SAGA

これは

まだすこし

さきのおはなし。

「旦那様」

宵の口の帰宅。書斎に入るやにやってきた執事が、おもむろにトレーを差し出してくる。その上には一通の白い封書が置かれていた。

「昼間のうちに、()()()から届いておりました」

「誰だって?」

「それは」

普段ならはっきり物を言う彼が、曖昧に言いよどむ。外套を脱ぎながら微かに眉を寄せ、ひとまずそれを手に取り開いてみた。

『のちほど』

たった一文、いや本当にひとことそれだけの紙面。けれど隅に描かれていた植物の紋様には覚えがある。それに思わず身構えたところで、突如感じた魔力の波動に振り向いた。

「お前か」

テラスに続く背後の窓、その側にいつの間にか一人の若い女が立っていた。詰め襟の袖の長い服を着た彼女は、肩にかかった濃い茶色の巻き毛を払うと、にこにことこちらに歩み寄ってくる。

「こんばんは、ウィルお兄ちゃん」

いかにも昔馴染みらしい、親しげな口調に顔をしかめる。

「その呼び方はやめろ」

「なんで? あたしにとっては、どんなに出世して(いかめ)しいおじさんになろうが、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん」

眼前に至るや、ぷくぅと音でもしそうな顔で反論してくる。社会的地位や身分に縛られないのが魔術師の信条とは言うが、まるきりの遠慮のなさに半ば諦めため息をついた。

「それで、期待の若手付与魔術師様が俺に一体何の用だ」

「『森の家』で宴会しよ」

「あん?」

「ママがね、ハイラストの姉さんから新酒を送ってもらったんだって」

至極あっさりした予告を寄越し、転移魔法を用いてまで押しかけてきた目的がそれか、と今度こそ呆れて天を仰ぐ。彼女は――というより彼女の師の一門は――貴重な魔法を戯れの道具か何かと勘違いしているのではなかろうか。つい先日も、突然王城の執務室に現れて「お茶にしないかい?」とのたまった彼女の()()を諌めたばかりだというのに。

「悪ィが、これでも何かと忙しい身なんだ。他を当たれ」

「えー。だって明日は予定も無い、珍しく丸一日自由な日なんでしょ?」

「お前、それをどこで知って」

「カガンのおじさんも、ササナも、それにカートンさんも、ザイガンおじさまだって来るって言ってたよ? みんなが揃うなんて滅多にないじゃない」

第一線を退いた後も、未だ武勇と酒精を張る者たちの名がずらりと並び称される。矍鑠(かくしゃく)たるその顔が即座に脳内に浮かび、再びため息をついた。

「みんな『会いたい』って言ってたよ?」

ほんの少し伺うような声色、そうして彼女は長い袖の下から左手を突き出してきた。こちらに向けられた手のひらとそれを追う視線、そして含ませた先程の言いようにはっとする。

『森の家』、そこはかつて足繁く通った場所だった。それこそ今目の前にいる彼女がまだ幼く、皆に背負われていた頃の話だ。その家に暮らしていた『友』とはもうだいぶ久しい。そして突き出された左手は――彼女が自分や『友』とよくしていた()()()そのものだった。

「お兄ちゃん」

双眸(そうぼう)に映る光が瞬いて、あの頃毎日のように触れていた光景と感情を思い起こさせる。途端堰を切ったように溢れ出た懐古、その波にはどうしても逆らい難く。

「ったく、しゃあねぇな」

本心を不本意さで覆って誤魔化し、右手を上げると手のひらをひたりと合わせる。触れ合った手の大きさに、成長を実感した次の瞬間、すべての指が絡められがっちりと掴まれた。

「お、おい!」

いい年をした男が若い女性に手を握られ間合いを詰められるなど、傍から見れば滑稽極まりなかろう。昔に立ち戻っていた意識が急に現実に戻って、羞恥に顔が熱くなった。

「じゃあ、先に行ってるからね!」

にっと無邪気な笑みを見せるや手を離し、彼女はまたたく間に魔法を唱えて姿を消してしまう。あっという間の出来事に捨て置かれた形になり、どっと湧いた疲労感と共に三度(みたび)のため息をついた。

「イチゴお嬢様からのお誘いでは、さすがの旦那様でも逃れられませんな」

始終を見ていただろう執事が、背後から柔らかに評する。まったくだ、と素直に返しつつ彼を見つめた。

「お前か」

「は?」

「いや、なんでもない。それよりも、何か手土産になりそうなものはあるか?」

「丁度焼き菓子を仕入れてございます。明日のお茶請けにと考えておりましたが」

「マダム・リラか」

「はい」

「それでいい。包んでおいてくれ」

かしこまりました、と残して執事が出ていく。養父(ザイガン)の代からこの家に務める彼だが、自分の性質諸々を含めて良く知る古参らしい手際だなと改めて感心した。

「さて」

そうと決まれば早く、身についた習性はすぐさま足をクロゼットに向かわせていた。綺麗に整理された衣類の中から、奥まった場所にある一枚を手に取る。

濡羽(ぬれば)色のマント。長らく使い込まれた革製のそれは、騎士団に入隊した時に養父(ちち)から贈られた物だった。職位が上がり、自分で新調した後はほとんどここに仕舞われているが、今のようにふいに出番がやってくることがある。

手を合わせ再会を誓い合うのと同じ、立ち戻り遠い友と心を隣り合う合図。

もしかしたら……本当にアイツも来ているんじゃないか?

有り得ないとはわかっている。けれど淡雪ほどに儚くもどうしても拭い去れない再会の望み、そう思わせてくれるきっかけ。『またな』と明日を載せて交わしていた約束が、いつか再び果たされることを願いつつ。

「まったく。どうせなら俺も魔法で連れてってくれりゃいいのに」

若気を取り戻したような悪態をつきながらも、身に馴染んだ漆黒をふわりと羽織り、足取り軽く部屋を出た。

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