りさのハワイ歴―コーラスの指導
ハワイに住み始めて十年目のころからだった。
人に頼まれてホノルル市のダウンタウンから島の中心に向かう道、ヌウアヌアベニューにある教会で、シルバーエイジの合唱団の指導と伴奏を始めた。
ヌウアヌ地区は官庁や銀行、証券会社、保険会社などのハワイ本社や州と市の政府機関の本部、裁判所、弁護士事務所などが集まった区域と中華街が隣接している。
ヌウアヌアヌはこのダウンタウンの山側に位置しており、それなのにヴィ二ヤードブルバードという道を挟んで先は、まだ昔のホノルルの面影を残している。
静かな住宅街、様々な国の領事館や宗教の建物、墓地がたくさんある場所だ。
閑静とよく書かれているけれど、そうなるのは山の方に上がって左に曲がるかもっとずっと山の方に上がってパリハイウェイに出てしまった辺りだ。
ヌウアヌアベニューの上は、火葬場のあるお墓と教会だから、なんとなく暗い感じがするのは、たくさんの目には見えない人たちがいるからかもしれない。
りさは霊感は無いけれど、この暗い感じの場所を15年間も行ったり来たりしていた。
その上、5年前までの3年間は毎日何度も、日に三回以上も往復していた。
ヴィ二ヤードストリートとヌウアヌアベニューの角にはフォスター植物園がある。
ブッダが悟ったとされる菩提樹の分け木が正面にある。
その植物園がハイウェイの上にかかった橋の角まであり、そこまでは太い道だ。
日中は日影が無くて歩くのには暑い。りさはその道を足で歩くことは長年住んでいても数回しかなかった。
その橋を過ぎると一気に道が狭くなってローカルのゆっくりした雰囲気に変わる。
暗い感じがする入り口、そういえば少し山側に進み左に曲がると日系人が多く入るクアキニ病院がある。
そして所々ヌウアヌ川が見え隠れしている。
その川もなんか悲しい感じがする。
今でもその道には通らなければならない用事がない限りは、入らないようにしている。
3年前までその道に入る時には
「私は波動が高いから波動の違う人には出会わない、会うはずがない」
と宣言してから入るのだった。
波動の違う人という意味は幽霊のことではなく、これから起こる出来事の対象人物のことである。
確かに幸せだった2年半とそうでもない10月間と苦しかった3年がこの道で起った私のヒストリー。
4年前にさかのぼる。
りさはそこからほど近いパンチボウルの山の上のひときわ目立つコンドミニアムに18年間住んでいた。
物件を購入したころは、ブラウンの壁のコンクリートの塊にブーゲンビリアの赤やピンクの花がコンドミニアムの庭に咲き乱れていた。
朝は小鳥の鳴き声で目が覚め、ジャクジーバスやプール、テニスコートも2面ある。
まずまずの住まいだ。
日本のマンションと比べたら相当ゆとりのある建て方だ。日本から来たお客さんは素敵なマンションねと褒めてくれた。りさもこのすみかが大好きだ。
りさがハワイに来て10年目ごろ、精神世界に踏み入った。
踊りが好きなサークルで知り合ったという友人の友達のモエちゃんだ。
モエちゃんは、両手でエネルギーが集められること、それを体に当てると良いことを教えてくれた。
モエちゃんの知り合いには、霊が見える人も居て、その頃までは、そのような霊に敏感な人に出会うのが初めてだった。
モエちゃんから教えてもらったヒーラーが、初めてのスピリチュアルと言われる世界だった。
そのヒーラーは、伊勢のサラリーマンで、ブログと自分の本の著作だけで、見えない世界のことを説いている人だった。
その人を知って以来、彼のブログに書いてある先祖供養のための3本のお線香を毎朝立てて、感謝を言っていた。教わってから、旅行で留守にしている以外の朝にはその先祖供養をしていた。
りさの父方の祖父が神社の神主だったこともあり、その時は自分の宗教は神道だと言っていた。
それ以外にはたまに神社にお参りに行くくらいで、宗教心の無い母がいた実家には、神棚や仏壇もなく、りさも何も宗教的なことはしていなかった。
ハワイに移住したばっかりの頃には、誘われて教会に通っていたこともあったが、最近は仕事でピアノを弾きに行くだけだ。
ただ、家族で私だけが昔から霊的なことに興味があった。
元夫も宗教心は無かった。