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「優希くん、これ」
帰り道。
左の道を行くと俺の家、右の道を行くと彼女の家にそれぞれ辿り着く。その分かれ際で彼女が何かを手渡してきた。
「これって……」
「そ。私が使ってたヘアピン。何か渡さないとって思ったんだけど何も思いつかなくて……。ただ、忘れて欲しくなくて……。ごめんね。こんなの貰っても使い道ないよね」
見ればいつも髪を留めているオレンジのヘアピンがなかった。ヘアピンをしていない彼女は、少し不思議な感じがした。
「まあ、俺がこれで自分の髪を留める訳にもいかないからな」
何の気なしにそう言うと彼女は珍しくシュンとした。いつも元気が溢れ出ていて自信満々な彼女が借りてきた猫のように縮こまっている。
いかん、失言失言。
「でもまぁ、栞としては使えそうだな」
咄嗟に思いついて、鞄から文庫本を取り出す。挟んでいた栞をポケットに入れ、代わりにヘアピンで読んでいた頁を挟む。ヘアピンはそこまで厚いものではなかったため、頁を挟んでも痕がついたりはしなかった。
そんな俺を見て彼女はホッと息をつく。
「絶対失くさないでね?」
「当たり前だろ?」
俺は心持ち胸を張る。
「……説得力ない」
ジト目を向けてくる彼女。
俺は物を雑に扱いはしないが大切に扱う訳でもない。その証拠に俺の部屋は程よく散らかっているし、普段から忘れっぽいのもあって物を失くしたりは割とよくするーーそれってやっぱり物を雑に扱ってるんじゃないか?っていうツッコミはなしの方向でお願いします。……それはともかく。恐らく彼女はこのことを思って言っているのだろう。
しかし。
「本関連だから大丈夫だって」
そう。
こと本に関わるなら話は別だ。俺は本はめちゃくちゃ大切に扱うし、部屋も本棚だけはちゃんと整理している。
だから彼女のヘアピンも、栞として使用する分にはぞんざいに扱ったり失くしたりしないだろう。
それに……。
「返すまで失くすつもりもないしな」
「?」
俺の言葉に流奈はきょとんとする。
そんな彼女に俺は後頭部で手を組み、その心を教えようと、ひとつ息を吸う。
これから俺たちが通るそれぞれの道は、頼りない、頻繁に明滅する街灯に照らされていたーー目がチカチカするからそろそろ取り替えて欲しい。
「これでもう絶対会えないって訳じゃないだろ。スマホやパソコンで連絡は取り合えるし、大学生とか大人になったら俺たちは自由だ。親に断りなく県外にだって行ける。だから……」
ーー大切なことは目を見て話しなさい。
いつかの、誰かの声がする。
俺はぼんやりと前に向けていた視線を、横にいる彼女に移す。
「その時になったらまた会って、このヘアピンも返す」
本を掲げてそう言った。
彼女は眼から鱗、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。俺は再び視線を前に向けた。
「そっか……そうだよね。私、今しか考えてなかった」
そっか、そっかと視界の隅で彼女は何度も小さく頷く。ここ最近ーーいや、さっきまでうっすらと感じていた影が心なしか晴れていく感じがした。
「じゃあ俺からはこれ」
渡すなら今しかないと包みを取り出す。さっきショッピングモールでこっそり買ったものだが何もないよりかはマシだろう。
「帰ってから開けてくれ」
「え〜、今じゃダメなの?」
「駄目。恥ずかしくて死ねる」
それから俺たちはお互いに連絡を取り合おうと約束して
「じゃあ、またね」
「ああ、また」
またいつか会うことを夢見て、それぞれの家へ帰った。