12 夢幻まかない料理人①
お遊びSS、ここに極まれりとでも言えそうな、そんな小品です。
軽く読み流していただければ幸甚です。
ふと気が付くと、私は不思議な場所にいた。
ただただ果てしなく広がる白い大地。
ただただ果てしなく広がる青い空。
本当にただそれだけ。
音らしい音もない。
自分の呼吸音だけを、かすかに耳が拾う。
わからない。
あぶくのようにぽこんと、その言葉が胸に湧く。
ここがどこで。
何故、何の為にここにいて。
……いや。
そもそも私は誰なのか?
最後の言葉に、胸がひゅッと冷えた。
急に心許なくなり、せわしなく辺りを見回した後、じっと自分のてのひらを見た。
指が五本ずつそろった、特に何の変哲もない手。
比べるものが無いから確かとは言えないが、白くてほっそりした指が素直に伸びた、柔らかそうな手だと思う。
(私は……女)
多分、まだ若い。
思いながら、手を握ったり開いたりしてみる。
動きに不自然さはないし、痛みや引きつれる感じもない。
私は次に、全身を確かめてみた。
白っぽい、長そでの、ストンとしたワンピース風の服を着ていた。
ベビー服のようにも死に装束のようにも見えるが、ピッタリと身体に沿っていて着心地に違和感もない。
(ベビー服のようにも……死に装束のようにも?)
自分でそう思い、自分でぞっとした。
記憶らしい記憶はないが、ここはアタリマエの場所ではないし、私の状態もアタリマエでは、ない。
(私……死んだのかもしれない)
そう思い付くと、ストンと納得出来た。
そっか。
死んだんだ、私。
つまりここは死後の世界。
だったら納得だし……、私に記憶がないのも、納得。
ずいぶんと軽いというか、淡々と異常事態を納得したものだなあと後で思ったが、仕方がないだろう。
だって記憶がないのだから。
生前の自分がどんな人生を送っていたのか?
その人生が良かったのか悪かったのか?
死んで悔しいのか嬉しいのか?
老衰など納得した死なのか、あるいは望んで死んだのか、それとも抗い続けた揚げ句の無念の死なのか?
一切合切が全部不明なのだから、感慨の持ちようもない。
どうやら自分はすでに死んでいて、いわゆる『死後の世界』にいるらしいという状況を、ありのまま納得するしかなかった。
不安や混乱など人間的な心のゆらぎが、その時の私にはなかったのだろう。
……死後の世界は死後の世界として。
私は軽くうつむき、考える。
雲か靄のようなものに覆われた真白の大地を、見るともなく見ながら。
今後、どうすればいいのだろう?
聞きかじった話では、自分の祖先とか守護霊とかが迎えに来たり、川の向こう岸からこっちへ来いと呼んだりする、など、死後の自分を導いてくれる存在があるそうだが、ここには川なんかないし、私以外は誰もいない。
(でも……自分についての記憶はないのに、どうしてこんな豆知識みたいなことは覚えているのかな?)
一瞬疑問に思ったが、きっとそういうものなのだろうと思うことにした。
思うしかなかった。
さすがに、このままじっとしているのも不安だ。
私はそろそろと足を踏み出した。
白い大地は、踏んでいる感触があまりない。
固いのでも柔らかいのでもなく、『無い』。
もし雲の上を歩けるとしたら、こんな感触なのかもしれないと思う。
だからか、層の薄い部分なんかをうっかりズボッと踏み抜き、奈落の底へ落ちるかも……などと考えてしまう。
とにかく足許ばかり見て、私は用心深くそろそろ進んだ。
どのくらいそうしていただろうか。
突然鼻先に、辛味や酸味、かすかな甘味や苦味を感じさせる、エキゾチックでスパイシーな香りがガツンときた。
この信じられないくらい何もない世界で、暴力的なまでに強烈な香り。
私は思わず立ち止まり、遠吠えする犬ように上を向いて、辺りの空気をくんくんと嗅いだ。
と。
いきなり、ごう、と向かい風が吹いた。
とっさに目を閉じる。
風がおさまるのを待ち……私は、ゆっくり目を開けた。
少し先に忽然と、そっけないくらい真四角の、小さな建物が現れていた。
大地と同じ真白の外壁の、小さな二階建て程度の建物だ。
黒檀を思わせる材質で作られたしっかりした窓枠の、大きめの窓は開け放たれ、内側で白いレースのカーテンがゆれていた。
ガラス製の観音開きの扉も開け放たれていて、白のチョークで『welcome!』と大きくラフに書かれた小さな黒板が、扉の中ほどに吊るされていた。
半分道楽の、個人経営の小さなカフェとでもいう雰囲気のお店……らしい。
何故こんな所にカフェがあるのだろう、と、ぼんやり思ったが。
気付くと私は、引き寄せられるようにそちらへ向かっていた。




