閑話③ 『恋ですらなく』のあとがきのようなもの
作品中の、モブですらない一人の女性の心を追った『恋ですらなく』。
お読みいただきましてありがとうございます。
こんな、作品を映画に例えるのなら映像として映らない、画面の外側にいる人に焦点を当てたSSですが、楽しんでいただけましたか?
話は変わりますが、私がまだ十代の乙女の頃、故氷室冴子先生にハマった時期がありまして。
かなり作家読みしました。
その中で、初期から中期にかけてくらいの時期に書かれた『シンデレラ迷宮』という作品があるのですが、これがまあ私の好みにドンピシャッとハマり、何度も何度も再読しました。
どんな作品なのはググっていただくなりなんなりをお願いするとして(おいこら、なんじゃそりゃ)、そのあとがきを読み、思わず膝を打ちたくなりました。
要約するなら
『私は作品の主役だけでなく、どうしてもわき役に目がいく。
主人公サイドならこういうお話だけど、主人公の友人サイドからは全然別のお話かもしれない、と思ってしまう。
少なくとも自作に関してなら、わき役のだれかれの視点からお話を再構築できる自信がある』
……という内容の記述があったのです。
おおお!
同志よ!
一介のハナタレ小娘の分際で、心の中で氷室先生と固く握手する気になった当時の私。
十代半ばから後半の私は、第一次物語書きムーブの真っ最中でしたから、読むだけでなく書くこともやってました。
まあ、当時の私は長編を書きかけてはエタらせ、童話っぽいファンタジー掌編を幾つか書き散らす、程度でしたが。
明確に書き手を目指し始めていた、頃でもありました。
そんな頃に、自分の大好きなお話を書いた作家さんが、私がぼんやりと思っていたことをこうして書いていらっしゃったので、
そーよそーよ!
お話は主人公の為だけにあるんじゃない!
主人公の周りにいる人たちも、それぞれが主役の人生、つまり物語がある筈!
物語書きたるもの、そこを含めて世界を構築しなくては!
同意しかありません、ついてゆきます姐さん!
……とまあ、テンションアゲアゲ、心の中で『!』マークを乱打しながら深くうなずいたものです。
いやあ……お恥ずかしい。
もちろん今でも同じ心構えで書いているつもりですが、当時の気負っていた自分が恥ずかしい。
氷室先生も同じあとがきの中で『作家は誰でも、主役以外の登場人物のドラマも大なり小なり、頭の中に持っているもの』という内容のことも書いていらっしゃいました。
別に特別なことではないと思います(笑)。
まあ、どちらかと言えばわき役にも目が行きがちな、読み手であり書き手だろうと自分では思っている私ですが(たとえば森茉莉先生は、主役とその恋人以外の登場人物、置物とか家電と大して違わない扱いのような気が、個人的にはします)、自作においては特にそういう妄想?が広がります。
たとえば、結木とるり。
最強カップル・運命の恋人(わはは、異世界恋愛?w)だと思います。
でも……この二人の周りにも社会があり、当然、人もいます。
るりSideはヤンデレ兄貴の怨霊が目を光らせてるから、ナカナカ『神崎るりさんて、イイかも』と、密かに慕っている好青年はいないかもしれません。
でも。
結木Sideにはそういう人、いてもおかしくないよね?と思ったのが、本SSの始まりです。
結木は『アンジェリーク』のルヴァ様(笑)以上に恋愛に疎く、若い頃から木霊と付き合ってきたせいか、ニンゲンも木も一緒くたに見るメンタルが醸成されています。
そこらに生えてる街路樹のプラタナスもボンキュッボンのイケてるおねえさんも、彼的にはあんまり変わらない、傾向があります。
彼は、自分から余程強く惹かれない限り、女性を恋愛対象として見ない男です。
もっとも、『クサのツカサ』である自分を受け入れられない女性とは深く付き合えない、という有形無形の縛りがありますから、これは彼なりの無意識の自衛なのかもしれませんね。
でも……、そんな彼側の事情など知らず惹かれ、惹かれていると伝えず思いを内に秘め続けるような女性も、きっといるだろうなと思った時に、今回のヒロイン・阿佐田さん(阿佐田 京さん)が生まれました。
決して思い人が振り向くことのない、成就することのない恋。
あらかじめ失恋が決まっている、一途な思い。
それでも恋することは無駄ではない、と、私はおばさんになって思います。
阿佐田さん、春はきっと来る、遥くんの言う通りに。
顔を上げ、肩の力を抜いて、真っ直ぐ歩いて行ってね!




