11 恋ですらなく~知られざるハートブレイクストーリー②
「いいですねえ」
あれは私が課題を仕上げている時、『書道』が後期課程に入ってしばらく経ったある日。
木犀の花の香りが強くなり始めた頃だった。
私は小さい頃、書道教室に通っていた経験がある。
中学二年生まで通っていたが、受験を機に辞めそれっきりになっていた。
元々、お習字自体は嫌いじゃない。
ただ、習い事ひとつにしてもお金がかかるから、塾や予備校と掛け持ちで続けたいとは言えない部分があった。
教職課程の必須単位だから、教職を取る限り嫌でも『書道』を受講しなくてはならなかったのだけど、私に関してはラッキーだった。
こうして、ただひたすら紙に向かって筆を動かしていると無心になれていい。
「いいですねえ」
やわらかなテノールの声に驚き、私は顔を上げた。
すぐそばに草仁先生がいて、私の書いたものを見ていらっしゃったのだ。
「丁寧で真っ直ぐな、エエ字ですね」
そう言って先生は、不意打ちのようにふわっとほほ笑んだ。
胸の奥で、何かがグッと絞られたような心地がした。
「そ、うですか?」
褒められたらしいけどあまりにも意外で、私は、そんな風なあやふやな返事しか出来なかった。
嬉しいというよりも不可解な気分だった記憶がある。
草仁先生はうなずき、失礼、と断わって書き上げたばかりの私の作品を手に取った。
「書道の経験、かなりあるんですか?すでに基本はキッチリ入ってはるようですね。後は……」
先生は再び、ふわっとほほ笑んだ。
「肩の力を抜くこと、ですね、最初は物理的に。いやまあ、これが結構難しいンは、ボクも経験してますけどね。物理的に力抜けたら、次は精神的に肩の力抜くようにしはったら作品のレベルが格段に上がりますよ」
まあでも、そっちはもっと難しいけど。
つぶやくようにそう言うと、先生は私の作品を静かに戻し、次の学生の席へ向かった。
(肩の、力を、抜く……)
思いがけない、それでいて、ストンと胸に落ちるアドバイスだった。
『肩の力を抜く』。
私にそんな言葉をかけてくれた人は、もしかすると人生初かもしれない。
良くも悪くも緊張を強いる言葉ばかり与えられ、私は育ってきたのかもしれないなと、良くいえば丁寧、悪く言えば息苦しいほどかっちりした、自分の字を見ながら私は思った。
多分、それが決定打だ。
以来、私にとって草仁先生は特別な異性になった。
でも、だからといって何がどうなるものでもない。
今までに私よりきれいな子が、何度か思わせぶりに先生に近付いたりしていたけれど、先生はいつもほやんとした雰囲気の、脱力する受け答えをしていた。
『暖簾に腕押し』ということわざをリアルで目の当たりにするとは、私も周りのみんなも思わなかった。
もしこれが演技だとしたらオスカー賞ものだなと思うレベルの、非常にナチュラル?な天然っぷりだった。
半年経つと、遊びにしろ本気にしろ先生を『オトそう』などと考える勇者はいなくなっていた。
『書道』だけに限らないが、講義は休まず出席する。
ただひたすら一生懸命、出された課題をこなす。
『書道』に関してなら、常に自分が出来る最高の作品に仕上げ、提出する。
私がやったのは、そういう学生として真っ当なことだけだ。
その、ある意味無欲な努力が功を奏したのかもしれない。
年度末に最後の課題を出した時、私は先生から、書道を続けてみませんかと声をかけられた。
「お金も時間もかかることですし、無理には言えませんけど。阿佐田さん、書道、続けてみられませんか?この一年ですごい伸びはりましたし、ちゃんと習いはったらかなりエエ作品、書けるようになりはるとボクは思いますよ」
先生の勧めに従い、私は、先生ご自身も順番で講師を務める、書道結社直営の書道教室へ通うようになった。
お陰で、元から少ししか稼いでいなかったアルバイト代がすぐ消えるようになったけれど、仕方がない。
私は段々書道そのものが楽しくなり始めていて、仮に草仁先生が完全に書道教室の講師から外れてしまったとしても、教室通いを続けただろうから。
自転車置き場から真っ直ぐ事務所へ向かう。
そしていつも通り、同僚に挨拶をしながら朝のルーティンである簡単な掃除とお茶の準備を始めた。
でも、いつもよりちょっとうきうきしていたのは否めない。
午前中の仕事にケリがつき始めた頃、事務所の斜め前にある来客用の靴箱の前に人影が現れた。
草仁先生だ。
私はそれとなく席を立ち、事務所を出て草仁先生の方へ向かう。
「草仁先生」
声をかけ、軽く会釈する。
先生は振り向き、ふわりと柔らかくほほ笑んだ。
「ああ、阿佐田さん。ご無沙汰してました」
「もうお身体の方は良くなられたのですか?」
私が問うと、先生はうなずく。
「ええ、ありがとうございます。特に最近は涼しィなってきたお陰もあって、快調ですよ」
「ですがここ半年ほど、お仕事の方も休んでいらっしゃるって……」
私の言葉に、ああ、と先生は軽く眉を寄せる。
「五月頃に体調崩して、しばらく入院してましたからね。実は生まれつきボクには、心臓弱い傾向がありましてね、病名付くほどやないんですけど。でまあ時々こうやって身体の方から、休めって強う言うてきよるんです。自覚する段階には限界になってるパターンですんで、周りに迷惑をかけがちで。大事を取る意味もあって、夏いっぱいは自宅療養というか休ませてもらってました」
阿佐田さんにもご心配をおかけしましたね、と、すまなさそうに肩をすぼめる先生へ、私はちょっと焦ってかぶりを振る。
「ああ、いいえ。お元気になられて良かったです。でも、くれぐれもお大事になさって下さいね」
私がそう言うと、彼は、ありがとうございますと再び柔らかく笑み、頭をひとつ下げた後、階段を昇って書道科の控え室へ向かった。
草仁先生が体調を崩し、一ヶ月弱入院するらしいと聞いたのは初夏の頃。退院後もしばらく自宅療養になるだろう、とも。
その結果今期の前半、書道部での特別顧問の仕事を休むことになるだろうと、書道の鈴木教諭から私たち事務所の人間は聞いていた。
書道部の特別顧問として、草仁先生へささやかな謝礼金を出している関係上、『お休み』になると謝礼金の計算も変わってくるからだ。
話を聞いて心配だったが、所詮私は就職時にお世話になった教え子の学生のひとり、書道教室の一生徒。
津田高校としてお見舞いをする時に一口分のお金を出した以外、個人的にお見舞いのはがきを一度送ったが、それ以上のことは私には出来ない。
先生がすでに退院なさって自宅療養をしている、ということは、お見舞いのはがきの返信で知った。
事務所の皆へ心配かけてすまないという詫び、書道部の生徒たちへの詫びの次に、休まなくてはならないのはわかっているが正直退屈、というボヤキも少し書かれていて、私は思わずクスッと笑った。
いつもと変わらない、端正な字で書かれた手紙の文字を、私は無意識のうちに指でなぞる。
急に恥かしくなって手を止め、あわてて手紙を引き出しにしまった。




