01.向かう先は
心地よい車の揺れを感じながら、男はゆっくり目を開けた。
なにか夢を見ていた気がするが、覚醒してしまった頭はもう何を見ていたかなんてことは忘れてしまっていて、いったい何を見ていたのか、もはや夢を見ていたのかさえ曖昧にしてしまった。
どうやら車に乗っているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだ。
他人に運転させている車内ではなにもすることがない。ただただ、場所につくまでの暇つぶしにと男は黒いスモークのかかった窓の外を見つめる。
車は一定のスピードで表通りを通り、途中裏通りへ。
目的の場所が近いのかはたまた裏路地に入ったせいか徐々に人通りは少なくなっていった。
同じ景色ばかりが続くせいで飽きたのか男は外を見るのをやめると、隣に座る側近の観察を始めた。
側近はじっと目を閉じ、黙って座っていた。
寝ているのかとも思えるがその手の内では自身の獲物である刀をすぐ抜刀できるようにしているところをみると、この側近は寝ているように見えて、寝ていないようだ。
もっとも、この男がまともに寝ているところなど、ここ数年見たことはないのだけれど。
「……ねえ、ユダ。そう言えばなんか忘れてない?」
運転手の男が後ろの座席に座る男に声をかける。
目を閉じていた男、ユダはゆっくりと目を開けると運転手の男をバックミラー越しに見つめた。
「きっとボスが残したままの書類のことでしょう。今日は金曜日ですし。ボスのことだからあと数十枚は貯めていますよ」
「失礼な、あと片手で終わるっての!」
男が反論する。その反応を見て呆れたようにユダはため息をついた。
これでこのファミリーのボスだというのだから信じられない。
「あ、いまお前信じられないって顔したぞユダ」
「さて、何のことでしょうか。全く身に覚えがありませんよ」
「白々しい。お前屋敷に帰ったら覚えておけよ?」
「ええ、覚えていますとも。アベルが捌くべき書類が片手ほど終わっていないことをね」
ボスである男、アベルはがっくりと肩を落とした。
金糸でできた髪止めの先を弄り、ニコニコとしながら会話を続けるユダに運転手の男は困ったように苦笑いを浮かべる。
「ちょっとユダぁ、それって俺も手伝わなきゃいけないやつじゃない?」
運転手の言葉にユダは何を言っているんだ、と首を傾げた。
「当たり前ですよカルマ。貴方がいないとこいつの書類は終わらない」
「あ、今俺のことコイツって言った。ボスのことコイツって言った!」
ぎゃんぎゃんと騒ぐアベルを横目にユダは我関せずといった表情で再び目を閉じた。
アベルはしばらく騒いでいたがどれだけ言っても一切取り合ってくれないと悟ったのか不機嫌そうな表情でそっぽを向いた。
カルマはまた同じように苦笑いを浮かべながら運転を続けた。
* * *
またしばらく凹凸の激しい道を進む。大きくなったり小さくなったりする揺れの中、カルマはバックミラー越しに後ろへと声をかけた。
「ボス、そろそろつくよ」
カルマから声がかかると同時にユダも目を開けた。
バックミラー越しにユダとカルマは目を合わせると、互いに面白そうに目を細めて笑って見せた。
一般的にチャラいと言われる見た目の彼だが、仕事の時は比較的真面目である。
赤い髪を伸ばしたチャラい見た目。大型のアクセサリー。
そんな見た目からは想像できないほど仕事は丁寧で、この車も道に影響されない限りは余計な振動は立てていない。
なぜ見た目と仕事内容が一致しないのか、とは他の幹部談だ。
閑話休題。
バックミラー越しに笑ったカルマははすぐにまっすぐ目線を戻し、しばらく走らせた先で静かに車を止めた。
目の前には古びた病院のような建物が聳え立っていた。
「ボス、ここが例の場所だよ」
エンジンをかけたままサイドブレーキを引く。
手早くシートベルトを外すとカルマはすぐに車外へと出た。
それに続いて先にユダが降り、周囲の安全を確保したのち、アベルが続く。
「あ、あぁ、助かったカルマ。お前はここで待機だ」
長時間のドライブで固まった身体を伸ばしながらアベルはカルマの肩を叩いた。
「りょうか~い。ユダ、ボスのことよろしくね?」
ニコニコと笑いながらカルマはボスの隣にいるユダに目を向けた。
刀を手に持ったままカルマに目を向けると、当たり前だと言わんばかりに微笑む。
「それじゃあちょーっくら行ってくるわ。カルマ、いつも通り時間きたら頼むぞ」
「はいは~い。それじゃあ……いってらっしゃいませ、ボス」
お茶らけた態度を改め、カルマは姿勢と言葉を正しゆっくりと頭を下げた。
アベルは頭を下げるカルマの肩を再度叩き、ユダを待たずに目の前の施設へと足を踏み入れた。