第16列車 速き 強き 弾丸列車
「…はい、こちら250A運転士。」
「―はい、はい、現在米原駅付近を走行中です。…はい、遅延は81分程度です。」
「……―はい、744Aとの接続と9192Aの運転は西日本と我々の独断の判断です。はい…」
『…250A、状況了解しました。なお、名古屋駅の乗車に関しましては先行の248Aが賄ったため乗車は無いとの報告を受けました。……東京までの健闘を祈ります。以上終話。』
「…健闘を祈ります…かぁ。…こんな言葉、新幹線では聞きたくなかったけどねっ!」
速度計を懸命にみて、現在速度を把握しながらその言葉とともに定速ボタンを叩き入れる。
速度制限の解除後、定速維持速度は285km/h。
東海道新幹線の信号''ATC''が許す、最高オーバー速度だ。
列車は今先ほど京都の駅を出た。
京都駅でのこれ以上の乗車は無かった。
この列車が運休になることを前提に指令が駅にその旨を通達していたようで、遅延を以て先に出発した248A(のぞみ248号)にお客様の誘導を行ったようだった。
接続も取れ、新大阪を出発で来たといえど、名古屋・東京までお客様を安全に輸送する義務がまだまだ残っている。
油断は許されない。
「岐阜羽島…通過。」
停車線(ホームのある線路)2本と通過線2本の広い駅を、雨粒を綺麗に振り払い、強く吹き付ける風を切り裂いて豪快に通過して行く。
見慣れた16両のN700系が通過したほんの数分後、今度は8両の短きヒーローが高速度で通過する。
その姿は、かつてここ東海道新幹線を走っていた「地上の戦闘機」の姿の復刻そのままだった。
岐阜羽島を通過するあたりからは多少雨が楽になる。
台風に近い最後の停車駅「名古屋」まではもう一押しだ。
≪『名古屋、名古屋…ご乗車お疲れ様でした。本日は列車が大変遅れましたことを』≫
名古屋へ到着、ドアが開く。
若菜が無理矢理に救済のぞみ号を運行したからだろうか、そこまで大人数の下車では無かったが、それでもこれだけの人数を抱えて運休となってしあっていたら…と思うと、背筋に氷が走る。
数分後すぐに今度は救済の「のぞみ」が隣の番線に入線してくる。
その珍しさから、ようやく(?)その雄姿を撮影すべくこの悪天候の中携帯や旅行道中で使っていただろうカメラを構え、短い停車時間の中撮影する方の姿も見られた。
若菜はあの運転室で、怪しい笑みでも浮かべている事だろう。
「ふぅ…やっぱし初号機を撮る人はいないか…と。」
「―…ドア灯点、ブレーキ緩解、名古屋…発車。」
名古屋駅を滑り出すように出発する。
新大阪や京都の雨にさえぎられたあの景色に比べて、名古屋はまだその晴れた夜景の姿を残していた。
名古屋を出ると、次は新横浜まで無停車となる。
途中の豊橋・浜松・静岡も全て通過だ。
ここからは台風からも遠くなってもう安心…とは当然まだいかない。
途中の豊橋付近には三河湾、浜松付近には浜名湖、そして天竜川。
さらに大井川、安倍川、富士川、相模川…それら鉄橋の総数は読み上げただけでも6本。
川や湖を横断する鉄橋付近では風を防ぐ障害物がないため、とても強い強風が吹きやすく、それに伴う速度規制が発生しやすい。
285km/hの高速運転が出来るのもここまでかも知れない、そう思いながら滝の様に雨が流れている運転室窓とのにらみ合いが続く。
―19時28分、豊橋駅。
「なんすか助役~…こんな時間に『ホームに来い』なんて。」
「そうっすよ…面白いもんって、どうせ遅れてる250Aっすよね?」
「―…運転報はひとつ前のを見てきたんだな。いいからとりあえず来てみろ。」
駅員二人が、臨時の終車を終えた誰も居ないホームへと、階段を上がっていく。
ホームの最終点検も終え、こののぞみが通過すれば今日はもう業務終了となる彼等だ。
腕時計を見ながら線路の一方へと視線を向ける。
「…そろそろ、だな。」
一直線の光が、一直線の銀色の線路に反射して映る。
現れたのはやはり純白のボディー。
その純白に青色帯を纏ったN700が、風を切り開く音を立てて通過していく。
待ち合わせの列車ももういない。
「なんだ、やっぱりただのN700か。あれのどこが面白いんです?」
「最後尾だ。最後尾の(運転室)窓の編成番号見てみろ。」
その大きな音の渦の中、大きな声での会話が続く。
「………X…0、X0編成?」
「ふぅん…あの一匹狼女のN700じゃないっすか。たまにひかりとかで豊橋にも来ますよ…」
「それだけじゃないんだ。もうしばらく待ってみろ。」
ベテラン腰の助役駅員は、まだ線路の名古屋方面をじっと見つめ続けている。
「待ってみろ…って言われても。もう列車は無いじゃないですか…助役、今日に限ってどうしたんすか。」
豊橋までくると先ほどまでの「大嵐」とまで言える様な天気にはまだなっていなかった。
不穏な風がまだ強く吹くが、ホームが雨で水浸しになるようなことはまだ無い。
「…来たな。おい、カメラとか構えるなら今の内だぜ。」
「だから終車はあれで……って、まだ列車が…?」
また再び線路に光の筋が流れ込んでくる。
ヘッドライトの位置が高いのが分かってくる。
「…700系の回送か?」
駅の照明に照らされ、その全貌が明らかになる。
先頭ドアまでを廃して作られた先頭車部分。今までにない丸みを帯びた車体、純白の700系やN700とは似つかない、ブラックラインに青帯。
それは確かに、かつてここを走っていた新幹線車輌の姿だった。
「ご、500系!?」
「編成が短いぞ!山陽編成だ!」
豪快に通過するその車両編成は、今先ほどのN700とは真逆に、短い時間で通過していった。
その見事な車体から雨滴か拡散し、線路1本分離れたホームにも舞い落ちる。
「助役、一体あれは!?」
「…―9192A、臨時の救済列車…といったところだな。さ、今日の仕事は終わりだ。帰るぞ。」
「ち、ちょちょちょ!?9192Aってなんすかぁ!?救済!?」
「―そうですよ、それにお客さん乗ってましたけど!?」
「あぁ~うっせいうっせい。…明日は台風一過の東京が盛り上がるぞ。」
―同刻、250A「のぞみ250号」…N700系9000番台X0編成。
「…よしっ!浜名湖も越えられるっ!…まだ…頑張って。X-RAY…」
『…こちらは東京総合指令。指令より250A運転士、現在位置を報告してください。』
「―はいこちら250A運転士。現在豊橋~浜松間を走行中ですどうぞ。」
『走行位置補足…確認しました。現在静岡駅手前の安倍川鉄橋にて若干規制値を越えそうな風速が観測されています。それ以外は特に支障はありません。どうぞ。』
「こちら250A、ご協力感謝します。安倍川陸橋には留意の旨を了解しました。」
『報告は以上です。無事に東京へ着けることを願います。』
―この時点で東海道新幹線の線路上を走っているのは私が運転している250A(のぞみ250号)と若菜とその付添人が運転している9192A(のぞみ192号)。
今先ほど、我々より先に新大阪を発った各駅停車のこだま号さえも東京に到着したとの報告も入った。
ここから私たちは「東海道新幹線最後の列車」となった。
―9192A「救済のぞみ192号」…500系V4編成。
「…なぁ、君。薄々気付いていたが西日本の運転士だろう?…」
NR東海のシンボルカラーであるオレンジ色のマークを付けた40くらいの補助運転士が、ため息をつきながら彼女へと問いかける。
「…」
でも、若菜は答えない。運転台の向こうの闇を、ひたすらヘッドライトを頼りに見つめている。
「…どうして今回こんな無謀なことしようと思ったんだ。」
「運転中や。少し黙っててください。」
「…あ~あ、西日本側は許可したのかどうかは知らんが、こりゃ明日には問題になってるだろうねぇ。それにとっくに引退したこいつがこっちに来たって、営業運用にも入れないお荷物じゃないのか?」
「…」
ふと、彼女は左手のブレーキハンドルから手を放し、運転室後ろの乗務員室扉のスペースを指さした。
「じゃあ荷物まとめてあっちから降りて。」
「お前…ふざけるのもいい加減にしろ。他社にまで乗り込んでおいて今の言葉は失格ものだぞ。」
「失格ならそれで結構、なんなら運転士もやめるわ。お客の事も考えずに自分の会社のお偉いさん気取りで利益だけ求めとる、だれかさんと違ってね。」
「―あんたがどう思うかは勝手やけど、そんな考えの人がおったら1000人以上のお客さんが缶詰になるところやったんやで。…今のうちに出来ることは一つ。さつきとお客を責任もって護ることや。その為に二方共に少しでも楽にできたら、って、みんなで考えてこうやって走らせてるるんや。」
「…」
「これはうちとさつきにしかできないことや。…それでも文句があるんならそのポッケの電話からお客様センターにでも電話しとき。もう無いんなら引き続きうちの補助を。」
客室では、これ以上は動けないだろうと落胆していた旅客の皆が、今度は安堵の表情を浮かべ、運転席での戦いとは対照的に各個人が好きなように時間を使っている。
もう、先ほどまでの殺伐とした空気はどこにもなかった。
「―信号170。…もうすぐ熱海だ…」
N700は滑らかな減速を見せ、車体が傾くカントが付いた曲線上の熱海駅を通過していく。
台風からも離れ、途中での強風による速度制限が無かったのが本当に彼女達にとって救いであった。
途中、右手には東海道線の長い列車編成も見え
「そうか…こっちは終電だけど、向うはまだ走ってるんだね…」
と、思わず口に出た。
独りの戦いももう間もなく終焉に向かっていくところだ。
―小田原駅 東海道新幹線ホーム。
≪―『業務連絡、250Aは熱海駅通過。』≫
ここまでくると、2編成纏めた「のぞみ」を見物しようと、駅員が大勢集まって来ていた。
熱海のカーブの速度制限も終了し、トンネルをいくつも抜けまたカーブに差し掛かるとトンネルの向こうに小田原駅の照明が見えてくる。
「…あれは…小田原駅か…」
事情をだいたい察していた皐月は、すかさず足元のペダルを踏み入れる。
大きな警笛が、こだまとなって小田原の駅・町に反響する。
「―も~っ!用事がない駅員はとっとと帰ってよね~!」
彼らの目的が救済「のぞみ」なのにも知らず、時速250キロの世界で不満を垂らした。
結局、新横浜駅の到着もおおよそ68分遅れての到着となった、次の品川駅には66分遅れ。
もう、とにかく目的地に到着すればいいと思っていた客の皆は、もう怒号も喧嘩も起きることなくすたすたと階段を下りていっていた。
もう、遅延を回復させようという本来の想いは無くなっていた。
いまはただ、終着駅へと滑り込んでゆければ、あとはどうでもいい。
やがて、2つの最終列車は首都東京の摩天楼へと呑み込まれていく。