第14列車 終電の悲劇を起こさない為に
『―なんかさ、こう、雨風続きになると嫌になってくるわ…』
『な~んや、そりゃ弱音かね?』
『相変わらずの口数やな、圓通寺。』
『はははっ、ムカつくんやったらはよ新大阪に戻ってきな~!』
『あぁ……にしても、こんな台風はいつぶりだったかねぇ…』
―18時13分、東海道新幹線 新大阪駅。
鳴り止まぬ暴雨が風を切り裂く不協和音と大雨の中、新幹線が2本、構内にて佇んでいた。
「のぞみ148号」と「のぞみ150号」である。
どちらも新大阪駅始発である両列車は、出発時間を遅らせながら在来線列車の待ち合わせを行っていた。
17時50分に出発予定だった148A(のぞみ148号)は博多駅からの列車がいなくなった今は待ち合わせや接続待ちがなかった為に状況的にはいつでも出発できたものの、「150号」が遅れているのと、それに伴う臨時運休によるお客様の積み残しを防ぐために後続の150A出発時刻になっても待機し続けていた。
「…で、実はまだ臨時接続の こだま がまだ岡山駅を発ったばかりでして。」
「岡山か…それだと…短くてあと1時間くらいはかかりますね…」
「―そうだ…とりあえず列車を変えられるお客様には先発の148A(のぞみ148号)に乗り換えて貰えるようご案内した方がいいんじゃ?」
皐月は今までで培った経験を最大限発揮し、なんとか先に帰れるお客様は先に東京方面へと行かせられるよう考えたが、
「148A、見ればわかると思いますが…自由席はほぼ満席だし指定席も空いてるかどうか…」
若い車掌も今までの事からその問題を指摘する。
「いいの、着座保証は向こうの乗務員に任せれば大丈夫です。司令に連絡を。」
『―え~お客様にご案内致します。本日 東海道新幹線は台風の接近に伴いこの「のぞみ150号」にて上り最終列車となりますが、只今山陽新幹線からのお客様の接続待ち合わせの影響で出発が…「大幅に」遅れる見込みとなっております。お急ぎのお客様、恐れ入りますが24番線停車中遅れております「のぞみ148号」が先の発車となります。どうぞそちらの列車も併せてご利用頂きますよう、よろしくお願い致します。なお、指定席・グリーン席をご利用のお客様で148号をご利用になるお客様は……』
車内 駅構内ともに音量を上げられるまで上げて、お客様全員に知らせられるようにアナウンスをかける。
私も車掌らと業務上の事とはいえ最後尾で立ち話をしている訳にもいかない。
立会挨拶を手際良く済ませ、東京方面16号車へと急ぐ。
ホーム上なので傘は持たなかったが、風と雨が容赦なく吹き込む新大阪のホームは水浸しになり、制服もごっそり雨粒で濡れた。
「ちょっとちょっと駅員さん!何時になったらこの電車は出るんだい!」
放送を聞いたご年配のお客様から声を掛けられた。
私駅員じゃないんだけど…と言いたいところではあるが、そんな事考えている暇はない。
「ええと、今はですね、山陽新幹線からの電車を待っていまして~……よろしければ24番線にいます「のぞみ148号」をご利用ください。」
分かりやすく状況を説明し、先行列車への振替も端的ながら説明する。
気付けば、多くの人々が隣の番線の148号へと移動し始めていた。
運転席に来た頃には、車掌は指令との連絡に追われていた。
三度連絡内容が運転室内に響く。
18時24分、こちらの列車からの振替輸送と1本前の山陽新幹線列車との接続を完全に終えた のぞみ148号 が30分の遅延にてほぼ満員で東京に向けて出発して行った。
『―繰り返し、お客様にご案内致します。24番線停車中「のぞみ150号」は、現在遅れております山陽新幹線の…』
定刻だと乗り遅れになる時間になっても階段からはお客様が出てくる。
準備も終えて乗務員室窓からホームを覗き込んでいると、また後ろから肩を叩かれた。
「…はい?どうかされ…」
「運転士さん…もう、出発しませんか。」
そう声を掛けてきたのはお客様ではなく東海の駅員さんだった。
「え…何故ですか?」
「見て分かるじゃないですか、これ以上大阪に居ると台風が近づいて…列車ホテルなんかにもなりかねません。」
台風などの悪天候時に遅延や終車(最終列車)の出発のタイミングを逃せば、最終的に出発ができない状態となり、お客様を天候が回復し夜が明ける翌日までに待って頂かなければならない。
今この時点で山陽新幹線「こだま744号」は1時間20分遅れ。
遅延が多少回復したと考えても新大阪駅到着は19時過ぎとなってしまう。
「―いや、もう少しだけ…余裕を頂けませんか?」
「―清水さん、清水さん!…これ以上ここに留まるのは危険です!お客様を抑えるのも限界です!早く出発を…」
また1人の駅員が私たちのもとへ踏み寄る。
「あぁ…早く出したいところだが、このお嬢さんがまた時間が欲しいって…」
乗務員室のブザーが「応答せよ」のリズムで鳴る。
『―…はい、こちら運転手。』
『運転手さん、こちら中間車掌の藤川です。…これ以上はお客様を抑えられなくなりますし…ここも危険です…!』
『そんな事分かってます、お客様方の心中も察しできます。でも…』
『―まだ、挑む時間はある筈ですっ…!』
彼女がここまで接続待ちに拘っているのには理由があった。
《―3番線は、遅れています普通最終列車 沼津行きです…》
あの日も、今日と同じような雷鳴轟く大雨の日だった。
夕刻から発達し続けた積乱雲群が夜半の愛知県西部を襲った。
その日、皐月が運転予定だった静岡始発沼津行きの最終列車を含め、名古屋から熱海にかけての広い区間でダイヤが乱れていた。
接続待ち元の静岡行きの終電も、40分遅れで運転されていた。
『―ええ、はい。しかし……!―』
『……っ、了解しました。信号が変わり次第出発します…』
迷いに迷って、指令とも言い合ったが、挙句にはその静岡行きの終電を待ち送り、駅を発って行った。
駅に残された客達は、為す術なく駅前からタクシーを拾って帰宅して行ったが、静岡から沼津は普通電車でも1時間かかる比較的長い区間。
乗り継ぎで長距離移動をタクシーでこなした客の支払った代金は、普通の東海道線とは比べられない程だった。
後日、NR東海に対しての苦情と批判が殺到した。
最初はネットに始まり、雑誌、新聞…
苦情は、運転士だった皐月に対しても同等だった。
「何故あと数十分待てば良かった列車を置いていったのか」
「相模日報 - 【鉄道輸送の本質とは】」
「東海道線最終列車 接続を行わず。客ら80人取り残し」
あの日の出来事で、彼女がどれだけ哀しく、苦しく、傷ついたことか…
同時に、彼女は「二度とお客様に終電を逃して欲しくない」と誓った。
「―さ、さつきっ!」
乗務員室窓からホームを覗いていると、背後からどこか聞きなれた声で呼ばれた。
「えっ!若菜…!今日は非番じゃあ…」
「そんな事言ってる場合やんけ!こんな非常時やから泊まり覚悟で駅業務やってるんや!」
まだ出発見込みさえ経っていないのに、跳び走ってきたのか大きく息切れしている。
「ほら、コーヒー!」
「ちょ!あぁっち!……で、なんで若菜がわざわざこんな所まで…」
「150Aの運転士があまりに動きたくないって駄々こねてるって聞いたから飛んできた次第。編成聞いたらすぐ皐月だって分かったわ。」
「そりゃそうだけど…今は山陽新幹線待ちなの。駄々なんてこねてないし、こねてる時間がない。」
「……皐月、気持ちはよぉ分かる。けど、これ以上はうちも限界やと思う。」
「―皆から散々言われてるだろうけど…これ以上待つと今度はさつきの列車が動けなくなんで!」
「ははぁ…まさか若菜も説得役で来たの?…言いたいことはよく分かるし、指令から散々言われてるのも分かるよ。……でも、これ以上私もお客様を見捨ててられないの。」
「せやけど…もうタイムオーバー寸前や。時計みてみぃ…」
運転台にはめ込んだ懐中時計は、もうまもなく18時40分に針を進めようとしている。
ふと、何かに掻き立てられたのか、若菜が乗務員室窓から私の脇下を通して扉を開けた。
「―…さつきちゃん、ちょい電話借りるで…」
「……えっ?…う、うん。」
『もしもし、744Aの後部車掌さんか?新大阪の圓通寺や…』
『もしもし、そうです。744Aの渡部です。』
『で、状況はどうや?』
『あぁ…いま丁度姫路に着いたとこですけど…状況は最悪ですわ。』
『…せやけど運転は続けてるんや…偉い!』
『いやいや、褒められてる局面やないんでっせ。こっちは徐行と抑止の連続で…いつそっちに到着するかもわからんとす。』
『うん…それもせやね。……ひとまず、車内放送で新大阪から先のお客さんに名乗り出てもらうように促してもろてもええかな?』
「…え?若菜?」
『…ええ、分かりました…って!もう東京方面の終車は終わったやないでっか!』
『はい?なに寝ぼけたと言うとんねん。のぞみなら「へんこ(頑固)な運転士さん」のもとでまだ待機してんで。』
「ちょっと、若菜。一言余分。」
皐月から軽いチョップが飛ぶ。
『―…はぁ、分かりました。とりあえず放送だけして後は中間車掌に任せます。』
『いったた…うん、しっかりとよろしゅうお願いします。』
18時42分 遅かれながら兵庫県に続き大阪府・京都府全域と周辺県に警報が発令。
新幹線総合指令、これを確認。
一行情報にて当該情報を発信し、各2列車はこれを確認。
大阪府でも遂に雨風が猛烈になってきた。
強風に煽られて、「新大阪」と書かれた駅名表が四方に大きく揺さぶられ、時に外れるのではないかと感じるくらいの音を発する。
時折吹く突風が町中から軽いものすべてを駅構内にまき散らす。
ビイィーッ…
業務電話が鳴った。
『はい、250A運転士の神代です。』
『こちら744Aの中間車掌 古市です。』
『―先ほど名古屋・東京方面へ乗り継ぎのお客様の集計が終わりました。』
『はい、それで人数は…』
(若菜、メモメモ!)
(はいはい、わかってるって!)
『姫路出発時点で名古屋は27名、東京は39名です。』
『分かりました、ありがとうございます。』
メモも取り終わった若菜は、今度は個人用の携帯で必死に現在の台風位置を把握している。
「―今は宇野のあたり…744号はもうやけど、ここも直ぐ暴風域に入るで…」
ふとホームと反対側の窓を覗くと、外は薄暗い灰色一色の世界に染められていた。
そこに時々、粉の様な、ゴマ粒の様なものがバラバラ撒かれている。
「―ふざけるなぁ!」
「…いい加減にして出発しろ!こっちは家族も控えてんだ!」
「ちょっと、早く帰らせなさいよっ!」
「くそったれが!金返せ!全額払い戻せ!」
荒れ狂う天気の中、遂にはホームからも怒号が飛び交うようになってきた。
≪業務連絡~…東24番駅員は事務室までお願いします―≫
無言の時間の後、今度はまた別の駅員たちが全速力で走ってきた。
「若菜!運転士さん!待ってる744Aは西明石で運休だ!…もう本当に出よう、時間がない!」
「神代!今回ばかりは運が悪かったと思って諦めろ!」
西と海の「最後の説得役」だった。
「なっ…そんな…」
「…」
「若菜…」
「圓通寺、神代さん。もう行こう。これ以上はお客も天気も限界なんだ。」
「…うん…せやね……やけど、もうあと6分…いや、3分でいい。……………744Aと話す時間をください。」
その時の彼女の顔は、今までで私も見たことないような、複雑な顔だった。