第12列車 例年以上
≪18番線到着の電車は8時26分発「こだま」639号の名古屋行です。本日は喫煙ルームの無い車両で運転いたします。自由席車は―…≫
ビィーッ―…
『はい、こちら運転手の神代です。』
『こちら車掌の曽根です。ブザーとマイク機器の異常はありませんでしょうか、』
『異常ありません。―…今日も大変になりますでしょうが、頑張りましょう。』
『…はい、異常時の訓練だと思ってお互い頑張りましょう。車掌から以上。』
神代はそっと受話器を置いた。
駅構内にある運行情報案内板が、接続近隣路線の運休時刻や運転見合わせなどを大量に表示して行く。
≪九州新幹線、運転見合わせ…九州新幹線は、台風の影響で本日は終日運転を見合わせ―≫
九州新幹線が止まるとなると、九州新幹線の鹿児島中央駅発となる「さくら」や「みずほ」は博多始発に変更となるか、運休の二択だった。
きっと今日の新大阪駅は普段より静寂だろう、という予想が彼女の頭の中で組立てられた。
日曜日の朝、こだま号は朝から静岡・浜松方面の需要をどんどん送り込むため、平日時よりも乗車率が高くなっている。
運転台横にある情報パネルより、車両状態を確認する。
乗車率はどこの号車も概ね半分程度で、名古屋までのすべての駅に止まっていく「こだま」では乗り降りを繰り返しながら走っていく。
「台風へ向かっていく」こだま号も、朝のうちに帰ろうとするお客様が殆どの様だった。
≪えぇ…レピーター点灯ぉ。≫
≪18番線、こだま639号、名古屋行が発車いたします。お見送りのお客様は―≫
≪―安全よし、18番線こだま号、ドア閉めます。≫
「…ドア灯点、ブレーキ緩解よし。東京2秒延発。ATC60。」
大きな混乱や乱れもなく、品川・新横浜・小田原…と順々に、「のぞみ」に追い抜かされつつ各駅停車超特急として西へと向かう。
熱海駅も過ぎ、在来線も管轄がNR東日本から東海へと変わる。
途中の三島駅には新幹線を泊めるための小さな車庫が有る。
そこからだろうか、一人が運転室に便乗してきた。
「―名古屋まで便乗します。大阪第二運転所の蓮田で…って神代先輩じゃないですか?」
「あれ、蓮田くんじゃん。三島なんかから便乗だなんてどうしたの。」
「昨日最終三島行の乗務だったんっすよ。ほら、業務行路表。」
蓮田和彦。
新幹線の運転士になってからまだ1年5ヶ月の新人運転士で、「彼が」見習いの時に何度か見かけたり同じ列車に乗務したことがある。
私の数少ない後輩のメンバーの一人だ。
ちょっと先輩の私にもなれなれしい所があるが、上下関係を気にしない私には無縁の話。
どっちかというと、彼みたいな慣れしい位の後輩が接しやすいんだけどね。
「…へぇぇ…名古屋から「ひかり」乗務で東京まで行って、そこから「のぞみ」で新大阪で終わりなんだ。」
「えぇ、台風来てるんで1往復半したら今日は終わりです。先輩は?」
「…ん。」
「うっわぁ…東京 名古屋1往復でその後新大阪まで1往復…乗務!?」
「―しかもこの「250A」って…最終ののぞみじゃあないっすか。」
「そうそう、1往復終わって東京で一旦車交して、その後新大阪止まりになった9379Aに乗務して折り返しが250A。」
「そっか、こいつX0編成でしたね。これで4往復乗務なんてできるの先輩位っすよ。」
「―それじゃ、俺は後ろの補助椅子で先輩の運転見学しますねっと。」
「はいはい。」
三島駅を出て、新富士も出発したあたりから天気が曇り始めた。
「ううぅん…いよいよ雲出てきたなぁ…」
「そうっすね、台風前に1往復出来っかなぁ…」
静岡市を抜け出すあたりからは遂に雨が降り始めた。
ワイパーを回すが、流石は270km/hの世界。「弱」に設定したくらいでは視界はほとんど変わらない。
時刻は10時過ぎ。
浜松駅よりは遂に本降りの雨模様となり、最速で動かしているワイパーでも水はけが間に合わない程の雨が全面ガラスに叩きつけてくる。
「ここからはATCだけが頼りになりそうっすね。」
彼の言う通り、視界不良時はこの速度計に表示されるATC信号のみが唯一の頼りとなる。
幸いにも速度規制の原因となる「強風」はまだなかったため、列車が遅れることは無かった。
「名古屋到着、11時15分20秒(定刻)。定着。」
晴天の東京を発ってからおおよそ3時間。名古屋に着いた。
運転やっぱりうまいっすね、あざました。そう言う後輩は駅の階段を焦り気味に降りていった。
私ものんびりしている暇はない、直ぐに運転台を片付けて名古屋車輌区の電留線に一度入区しなくてはならない。
雨は走っている時よりかはマシになったと思っていたが、実際状況は変わっていなかった。
急いでATCスイッチを構内に切り替え、後者終了の業務放送がかかって扉を閉め、入区する。
すると今度は運転台を大急ぎで片付け、傘を差しながら小走りで東京方面先頭16号車へ向かう。
車内では名古屋駅で乗り込んだ清掃員の皆さんがてきぱきとお掃除を済ませているのが窓越しに見えた。
「第一パンタよし、…………第二パンタよし…」
走りながら集電装置である「パンタグラフ」も確かめ、外見確認も済ませる。
運転室に飛び込み、ICカードをセットし、また量産車より多いチェック項目を全て確かめていく。
『こちら構内19番停車中1648A…準備完了しました。名古屋構内15番への出区許可願います。』
折り返し時間は10分しかない。
≪16番線に到着の電車は11時29分発「こだま」648号、東京行きです。喫煙ルームはございません。ドアが空き次第お近くのドアからご乗車ください。自由席は…―≫
ドアを開ける前に車掌と運転士間のマイク・ブザー点検も済ませておく。
≪16番線、「こだま648号」東京行き、間もなく発車となります。ご乗車になりましてお待ちください。…レピーター点灯。≫
「ドア灯点、ブレーキ緩解よし、名古屋8秒延発。ATC110。」
「1往復目」のこだまの復路の乗車率はなかなかのものだった。
先ほど車輌区への際にすこし見えたのぞみ号では立ち客さえ発生しているような状態だったことから、指定席はそもそも満席だったのではないかという予想は経験上直ぐに分かった。
「のぞみ」は長距離の列車である性質上指定席の割合が高くなっているが、どうしても連休の最終日、しかも台風接近間近となると首都圏へと戻ろうとする乗客であふれかえる。
指定席や満員の自由席を避けて、「こだま」を利用し時間をかけて横浜・東京へと向かうお客様も少なくはない。
人が多ければ多いほどお客様の乗り降りには時間がかかっていく。
私の乗務している「こだま」は途中の豊橋・浜松・静岡でも途中需要を拾っていくため、慢性的な混雑と遅延が発生した。
運転中、ふと無線に耳を傾けると先発・後続の「こだま」や「ひかり」でも混雑が発生し遅れが出ているという旨の他列車の通信が聞き取れた。
「こだま」往復のラストスパート、東京駅に入線していく。
終点までも遅延を数秒単位でも取り戻そうとブレーキを掛けるのをギリギリまで抑え込む。
「―ATC照査…東京着番線は19番ね。」
ググっとブレーキハンドルの手が手前へと進む。
「―…東京着、14時16分00秒(定時)。2分37秒延着。」
ドアが開くと同時に、大量のお客様の列がまた吐き出される。
この後本来は車両はそのままで折り返しの「ひかり」となるが、今日はX0編成という特殊編成なのでここで一時東京大井総合車輌区へと戻り、一旦待機休憩となる。
「―ううぅ…東京も雨降ってるし、先行きがかなり不安になってきた…」
名古屋と同様、ここでもせかせかと今度は16号車から品川方先頭の1号車の運転台へと移動する。
遅延からか、忙しくかかる業務放送の中から「19番、降車終了」の放送がかかるとともに、直ぐにドアが閉まったのが横目に流れる中に見えた。
「ICよし、空線供給電圧よし―」
『こちら指令、東京19番停車中 回1469A運転士、出発が確認されていませんが何かありましたか?』
「んも~っ、うるさいなぁ…!」
『こちら回1469A運転士。現在出発確認と安全確認を行っています。準備が出来次第発車します。どうぞ。』
『―了解。後続の列車が速度制限を受けています。速やかに出発してください。』
『回1469A了解。』
遂には遅延により遅れた出発に、さらに遅延している後続の列車が私の列車に巻き込まれるという事態が発生してしまっているようだが、安全出発準備等が整わない限り出発が出来ないし、怠るわけにもいかない。
「ATCよし、進路良し。東京発車。」
途中、車輌区への「信号所」の役割を果たす品川駅までの行路。私や他の遅れている列車などを待っていた列車たちが3列車程詰まって連なっていた。
「大井車両区入区。ブレーキ位置「非常」。逆転機「切」。」
これにてようやく「前半戦」が終了した。
「最後はちょっと遅れちゃったけど、まぁ今日ばかりは仕方ないよね…」
最終点検もパパッと終え、乗務員扉をしっかりと閉める。
東京では、小一時間ちょっと休憩だ。
余裕をもって、急ぎ気味で大井から千代田区内の東京第一運転所へ戻る。
第一運転所は、朝よりも忙しさを増している様だった。
東京から九州の博多までを結ぶ「のぞみ」は、山陽新幹線の計画運休時刻に揃えて午前11時30分発以降の列車は全て広島・岡山・そして新大阪のどれかの駅までの運転となり、以降の区間は運休とされた。
よって通常時の乗務員や車両のやり繰りが複雑化するため、担当の者々は各自それに対応している様だった。
乗務仲間の皆が釘付けになっている情報パネルを実に6時間ぶりに確認する。
【10:01…台風9号 進路を南寄りに変え、熊本県天草付近に上陸】
台風は、依然として勢力を強めたまま私が名古屋に居た頃位には九州に上陸していた。
その下の運行情報欄には、予定より早く運休となった列車の番号が掲示されている。
台風のスピードスピードがかなり上がってるんだ、と言ったのは私の先輩運転士だった。
「これ、岡山以西もかなりまずいのでは…」
「…あぁ、そうかもな。福岡はもうそろそろ暴風域圏内だ。」
休憩室のテレビは、台風を報道するニュース番組のみが映し出されている。
カメラはいまにも吹き飛びそうな暴風雨の中、必死にリポートするアナウンサーを映していた。
朝より誰もが緊張度を強めていた。
「これは例年の台風よりきっと酷い事になる…」
ベテランも彼女の同期も新人も、皆腹を括って準備を進めていた。