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第10列車 また会えた恩人。


「ほんでさ~大阪車掌区の小沢さんがな~…」

「あぁ~!あのちょっとイケてるおじさんね~…」


昼下がり、太陽の日も斜陽となるころ。

完全に仕事から離れ、「周囲に馴染んで」いる2人だが、やはり職絡みの話が弾んでしまう。

他愛もない話ばっかしているが、1年以上会う事の無かった同僚だ。

なんでもかんでも話したくなる。


「えぇと、ここを右やで。」

ふと、若菜に先導されるがまま大通りを外れて路地の裏へと進む。

―何か香る、このいい匂い…どこかで憶えがあるような…


「…―きちゃん、さつき?」


「…えっ、あ、ごめん。ちょっとボーっとしてた。」


「どうしてもたの。さつき、ここが今日の昼処や!」

明らかに漂うラーメン店の雰囲気。


「博多ラーメンかぁ…ちょっと胃にきそうだけど、なんかちょっと暗い店だね…?」

そこは、年季が入った…という類の店よりも、なんだか繁華街からお店だけを路地裏に引っ越しさせたようなラーメン店だった。


「こ~ら、ウチの行きつけの店に変な口叩かんでくれへん?おじゃましま~す。」


店内は、「いかにも」な感じ。

テーブルはカウンターだけで座席は6席しかない、綺麗ではあったけど冗談でも飲食店の規格の間取りとは思えないような内装だった。

研修の時知り合ってから分かってることだけど、やっぱり若菜の「行きつけ」は変わったところが多い。

「弘さ~ん、いつもの、今日はふたつ!」


カウンターの向こうでは、待ってましたと言わんばかりの顔をしたがたいの良い男性店員が、テーブルに腕を置いて待っていた。

ふと席を見渡すが、客は私たち2人だけだった。



「―久しぶりですね、今日は女性同志2名かな?」


「そや、こっちは東海道の東京運輸所のさつきちゃん。」


「へへぇ…なんとわざわざ東京から!」


「えへへ、急に仕事の変更が入って、若菜と再会した次第で…神代皐月って言います―」

暫く自己アピールの様に、会話が続く。

初めてあった人なのに、全然緊張もせず、不思議にもむしろ親類の人と話しているような雰囲気の人だ。


「―ここのお店、今日はすごい空いてますね。」


「あ~ぁ、平日の昼終わりですから。お昼と朝時は行列が出来ますよ。」


「せやで、私も合間の休憩時間殆どここに費やしてるんだもん。」


「えぇ…嘘でしょ…」


―はい、お待ち。と、決め台詞どんぶりが置かれる。

「いよっしゃ!いただきま~すっ!」

ラーメンのどんぶりが目の前に置かれた瞬間、さっき頭をよぎった「香り」が目前に立ち込めた。


どこか昔に嗅いだ、香りだけでもちょっと脂っこくてコクのある、この香り。



挿絵(By みてみん)



―あぁ、そうだ、思い出した。これは…―


「…さつき?さっきからどうしたの?疲れたん?」


「そりゃあ、朝1番で東京から博多になんて来たら疲れますよ。」


「―思い出した、どうして忘れてたんだろう…味までも憶えてる…」


『…?』


「―もう10年も昔だよ、私がまだ…」


…私がまだ中学生の時の冬、ただでさえ溝の深かった父さんこと母さんで、金銭を巡って大きなトラブルになったことがあった。

そんなピリピリした家庭環境が続いた、ある日の晩…もともと感情を伝えるのが不器用だった父さんの堪忍袋の緒がついに切れて、一人っ子だった私を含めて家族で乱闘となったことがあった。

一家を巻き込む騒動の末、それを耐えかねて私の母がお金と必要最低限の物だけ持って私を連れて家を飛び出た。

行く当てもなく駅に行って、とにかく父から逃れたくって、最終ののぞみに飛び乗って博多まで来たんだ。


博多に着いたのはもう0時前で、空いてるホテル探しにくたびれて2人で商店街の店の前で…凍えて座り込んでたら後ろのシャッターが空いてね、一人のオジサンが出てきたんだ。

事情を直ぐ察して大急ぎで店を開けてくれて、色々話に乗ってくれた。

そのお店もラーメン屋さんで、急ごしらえでラーメンを作ってくれたし、「家に帰りたくない」って私が我儘いったら、一晩泊めてくれた。

新博多小町のすっごく小さなお店だった。



「―新博多小町のラーメン屋…?」

「……それ、師匠のお店だ…」


「―あっ!やっぱり!」

「どこかお店の雰囲気も似てるし、このスープの香りが…」


「はっはっは、勿論師匠の叩き込みの製法ですから。」


「お~?残念ながらさつきの方が古くからの常連やったのかな…?」


「…そうだ、弘さん、よかったらあの店の紹介を改めて―」



「…ごめんなさい、あの店は…もう無くなりました。」


「…え……」


「師匠、丁度5年前にあった北九州・福岡豪雨の時、向かいの家の息子さんを大洪水の中助けにいって、そのまま…」

彼は壁を向いたまま、先ほどまで使っていた調理器具を念入りに洗っている。

ふと、彼の指先が調理場の奥の半開きになっている扉をさした。

奥には、これぞ''ラーメン屋のオジサン''に相応しい立派な仏壇があった。


「…ちょっと、あっちの部屋にもお邪魔していいですか?」


「あぁ、勿論ですとも。きっと師匠も再会喜ぶだろうなぁ…忘れっぽいとこあるから実際はどうか知らないけど。」


「さつき、ラーメンも忘れちゃあかんで。」

会話に待ちきれなかったのか、若菜は先にラーメンをすすり始めてしまっている。


「えへへ、早くしないと伸びちゃうね。」

カウンター横の扉を通り、皐月は慎重に仏壇の前に座った。

弘さんは、彼女の心境を察して、電気だけを付けて扉を閉めた。

部屋は和室で、失礼ながら一人暮らしにはちょっと広すぎと感じるほど大きな部屋だ。


「あ~あぁ、わざわざさつきも連れてきたのに、結局一人になっちゃった。」

「まぁまぁ、違う形にはなってしまったけど、折角思い出の人に再会できたんだから。」

「…家族…かぁ…。」

カウンターで、結局一人で来たような雰囲気になってしまった若菜が、また一つため息をつくと、店主の弘さんが慰めに入った。



「―おじさん、お久しぶりです。10年ぶりだね、あの時お世話になった神代皐月です。」

「…さっそくだけど、伸びる前に食べちゃうね。頂きます。」

仏壇に置かれた遺影は、大分老けたような気がするけど、それでもオジサンの顔であることに間違いは無かった。

その他にも、この店の「一世代前」の店にあった師匠の食器や調理器具も、仏壇脇のガラス棚に丁寧にしまわれていた。

遺影は、これでもかと言うくらい満面の笑みの表情を浮かべていた。


「うん…うん…確かにあの時おじさんが作ってくれたラーメンの味。なつかしい~…」

「―おじさんね、私、運転士になったんだ、東海道新幹線の運転士。」

「ここに逃げてきたときは、そんな仕事人になるだなんて1寸も考えてなかったんですけどね。」

「え…「仕事はどうだ」って?…確かに大変なことも多いし、在来線の時から技術を身に着けるために必死こいて勉強したよ…」


「…ふふ、オジサンにも私の仕事してるとこ、見てほしかったなぁ。」


「……おじさんにも、見せたかった…」

「おじさんはさ、少し優しすぎる所があったから……」

そう言うと、彼女は一切前を向かず、真摯に、大きな音を立てて麺をすすった。

扉越しで、泣いているのが聞こえないように。



「―…それじゃあ、ご馳走様でした。」

「―また恩人と再会することが出来て良かったです。」


「いえ、おそまつ様で…あ、最後に皐月さんにこれ渡さないと。」

お勘定も済ませ、さぁ、現実世界の職場へ戻ろう。そう思って店の扉を開けた時、店主が一人を止めに入った。


「これ、師匠が貴女に宛てた遺品です。」

そういって奥のガラス棚から取り出したのは、一つの少し大きな木箱だった。

渡されるがままふたを開けてみると、タオルと手製のお箸2膳と、師匠の遺した最後のお酒が入っていた。

オジサンは、弘さんがまだ見習いだったころに、「親子共よく泣く母娘がもしまた来たら、こいつを渡してほしい」と急に頼んだそうだ。

お母さんにもよろしく…と。


押さえきれない感情が溢れ出そうになるが、それでもそれを押し殺して、

「―ありがとうございます。また来れたら来ますね。」

そう言い残すと、彼女は足早に扉を閉め、若菜の後を走って追った。



「まさかさつきとあのお店がそない深くかかわってたなんて知らへんかったよ。」


「…うん、正直私もびっくりした。」


「へへ、あっちの師匠は、さつきにとっても第二の師匠やね。」


「むぅ、師匠と言うよりは恩人だよ。」


博多の駅まで戻って、また博多南線で新幹線基地まで戻って、西日本の運輸所へと入る。

新しくなった連絡先も改めて若菜と交換をして、じゃあまた…と告げると、すぐに着替えを済ませて、私は帰りの回送列車の西日本の補助運転士の待つ点呼場へと走った。


17時37分、私の「返却便」の回8958Aは、スケジュール通りX0編成で東京へ向けて博多総合車両所を出発した。

途中、乗務所の窓から手を振る若菜の姿が見えたが、全く知らない補助運転士の前で手を振り返すわけにもいかず、前照灯をハイビームとロービームに交互に切り替えて、別れの光を振った。


22時30分、私とX-RAYはトラブルもなく無事に東京大井車両所まで帰還した。

見慣れた点呼担当と点呼を済ませ、


「長距離変則運用お疲れ様でした、今日はこれで帰宅して大丈夫です。」


この頃はいわゆる「泊まり」の勤務が多かったのだが、一気に東海道・山陽を往復してくたくたになったこともあって、きょうはその言葉通りに帰宅した。


家に戻ると、母は私を玄関先で迎えてくれた。


―つらかったし、まだ受け入れられない部分もあったけど、あの日、私たちを助けてくれたオジサンのお話をすべて話した。

偶然勤務仲間と行った彼女の行きつけの店がオジサンの弟子さんだったこと、オジサンが洪水災害の中、向かいの子供を助けるために洪水の中を進み1人の生命を救ったこと。そして、それにより溺れて亡くなったこと。



途中で母が涙を流したのを見て、皐月は遺品であるタオルを母に渡し、あの彼が遺した言葉を言った。


「全く、親子ともよく泣くんだから…」





普段から長いと感じていた1日が、今日は10日も20日も越えるほど長い様に感じた。



その日、私は布団に倒れると、そのまま富士樹海の様に眠った。

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