表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

鱗の四・変化(へんげ)

 シレーネは前より深く、王子のことを想いはじめた。

 ひどい経歴をもったひと。悲しみの運命さだめの王子様。何度だって生まれ変わり、妻と夫と永遠に一緒にいられるという、歪んだ甘い呪いにかかった愛しいひと……。

 姉のシーレンの言葉は、語った本魚ほんにんの思惑とはまったく反対に作用した。シレーネはなかば静かに狂ったように、ナーマンを想いはじめてしまったのだ。

(また、逢いたい……)

 そう願いながら、シレーネはふたたび崖へ行くのをためらっていた。思い出すのは、以前に一度きり逢った時、海蛇王子の語った言葉。

『ここはお前のような、美しいものが来る場ではない』。

 そのことを思うたび、優しく拒まれているような気がした。

 お前はここに来てはいけない。

 お前と俺とはつり合わない。

 そう言われているような気になって、シレーネはしまいに自分の美さえも嫌になった。

(海蛇のような容姿になりたい。そうすればもしかして、ナーマン様もわたしを受け入れてくださるかもしれないし)

 そう念じるようになった人魚は、どうにも辛抱がきかなくなって、珊瑚さんごの森へと泳いでいった。珊瑚の森には、珊瑚の魔女がんでいるのだ。

(魔女にお願いをするなんて、いつも姉さんの話してくれるおとぎみたい……)

 内心でつぶやいたシレーネは、くすりとひとり苦笑した。

(ああ、違うか。姉さんのおとぎの人魚は、より美しくしてもらいに行くんだもの。わたしはより『みにくく』してもらいに行くんだから、全然違うわ、おとぎとは)

 赤い珊瑚を組み合わせたほらの前で、シレーネはくすくすと笑いをもらす。中からいら立ったような、あでやかな声が響いてきた。

『そこな女。門前で黙って笑っておらんと、とっとと戸を開けて中にらんか』

「……っは、はいっ!」

 あわてて返事したシレーネは、うぅむとそこで考えこんだ。

 さっきもそれで立ち止まって考えたのだが、『戸』の開け方が分からない。入れ子細工のようにひっ絡まった珊瑚の扉は、どうしても開かない檻のようだ。ためしにちょんとつついてみると、珊瑚はがらがらと崩壊して『扉が開いた』。

『……ぶきっちょめ』

 中にいる赤い美人がため息をついて吐き捨てる。えへへ、とごまかし笑いしながら、シレーネは奥へと入っていった。

『……で、望みは何だ? 人魚の娘。わざわざまれる魔女の所へ出向くとは、よくよくの望みがあるのだろう。たいていのことなら叶えてやる。ただ働きはごめんだがな』

 珊瑚の魔女は、ひとと関わりをもつのが好きではないらしい。たんたんとそちらで話を進め、ちらと横目でシレーネを見やる。シレーネはちょっとあわてながら、胸の前で手を組んだ。

「え、えぇっと……今日は何も持ってきていないんですが、報酬は必ず……で、あのっ! わたし、海蛇の姿になりたいんです!」

 珊瑚のようなごつごつとした肌の魔女が、ぴたりと動きを止めて目を見はる。ぱちりぱちりと二度ほどまたたき、赤あかしい目で人魚を見やった。

『……正気か?』

「はいっ! わたし、海蛇の王子に恋をしちゃいまして! 彼と同じ姿になれば、結ばれることもあろうかと……っ!!」

 なかば呆然としていた魔女が、思わずくくっと吹き出した。珊瑚の指を口もとへあて、苦笑しながら人魚を見やる。

『面白いやつだな、わざわざ今より劣る容姿になりたいなどと申すとは……。気に入った、小娘、お前の望み叶えてやろう』

「あ、ありがとうございますっ!!」

 ぺこたんと弾むように頭を下げるシレーネに、魔女は抜け目なく言いたてた。

『何にせよ、報酬はもらわんとな。海蛇になりたいのならその白肌は要らんだろう。小娘、その美しい肌を私によこせ』

「は、はい! こんなもので良ければいくらでも!」

『良し、これで契約成立だ。イナクリャ・サラーヴィナ・グルルゥニャ……カ!!』

 魔女が人魚には理解出来ない言葉を吐いて、すっと胸もとで印を組む。一瞬光に目がくらみ、景色が元に戻ったときには、珊瑚の魔女の容姿はひどく変わっていた。ごつごつとした珊瑚の肌はなくなって、魔女は赤毛の人間のようになっていたのだ。

 今までもかなり美しかったが、今やその美は以前の比ではなくなっていた。

「わあ、魔女さんとてもお綺麗!」

『見え透いた世辞を言うでない。私のことなど構わずに、お前の姿を見るが良い。注文どおりになっただろう』

 つんと冷たい言葉とは逆に、魔女は嬉しげにはにかんでいる。ごつごつの珊瑚のような肌が、よほどコンプレックスだったらしい。部屋の奥の姿見かがみを示され、シレーネは我とわが身の姿を目にした。

 注文どおりどころではない。

 つやつやと真っ黒に長い髪、深翠ふかみどりの色の肌、ぬめりと黒いしなやかな魚体、予想以上に『海蛇』そのものの姿だった。シレーネはまつ毛の長い赤い瞳をまたたかせ、ぺこりぺこりと玩具おもちゃのようにおじぎした。

「ありがとう、ありがとうございます! さっそくわたし、海蛇の王子様に逢ってきます!」

『ああそうだ。……今さらだがな』

「はい?」

『海蛇の王子はひどく身持ちが固いそうだ。何でも呪いをかけられてから今の今まで、正妻も側室もめとったことがないらしい。まあ、がんばってみることだ』

「え……えぇえっ!?」

 軽くパニックになるシレーネを追い立てて、魔女は扉を閉めてしまう。がらがらと組み立った珊瑚の戸の向こうから、綺麗な鼻歌がもれてきた。その鼻歌を聴きながら、シレーネの体から、すんと力が抜けてゆく。

(どうしよう……誠実な方だとはお見受けしていたけど、そこまで身持ちの固いひとだったなんて! わたしなんか鼻先であしらわれるかもしれないわ!)

 そう考えてみると、今さら早計なことをしたかと思えてくる。何にせよ、仮のお暇乞いとまごいにと、シレーネは自分の住みつく海底に一度戻ってきた。ひらひらと姉の背中から近づいてゆき、いつもの調子で呼びかけてみた。

「姉さん、姉さん!」

 笑顔で振り向いたシーレンは、恐怖にひきつった顔で悲鳴を上げた。

「ぎゃあぁっ! ば、化け物ぉおぉっ!!」

「姉さん! シーレン姉さん、わたしよ、シレーネよっ! 姉さんってばっ!!」

 必死の言葉も、恐慌状態におちいったシーレンの耳には入らない。姉の人魚は飛ぶような速さで水中を逃げていってしまった。

 その背をあっけにとられて見つめ、シレーネはくたくたとその場にへたりこんだ。

「……どうしよう。こんなんじゃ、王子様に断られても、もうここには帰れない……」

 絶望混じりにつぶやいた後、シレーネは思い直してかぶりを振った。

(ううん、そうしたら何とか頼みこんで、海蛇さんたちのコロニーのすみっこにでも置いてもらおう。何にせよ、今よりは王子様との距離が近くなるんですもの。それでも全然構わないわ!)

 恋する女の強さだろうか、シレーネは心中でつぶやいて、すっくと海底に立ち上がる。そうして黒い髪をわかめのように揺らしながら、一心に崖を目ざして泳いでいった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ