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鱗(うろこ)の一・美しいもの、みにくいもの

 真夜中の歌に聞き惚れた次の日に、シレーネは姉のシーレンといさかいをした。

 きっかけはいつものとおり、『海底の崖の歌』だった。

「シレーネ、何をぼうっとしているの?」

「歌が……」

「歌? またあの聴こえない歌のこと? 空耳もいいかげんになさい、シレーネ!」

「いいえ、空耳なんかじゃないわ。聴こえるのよ、男のひとの綺麗な声で……」

「そんなの嘘よ、気のせいよ! だいたいが、海底の崖なんかにそんな綺麗な声のひとなんか居やしないに決まっているわ!」

 姉のシーレンが上からぴしゃんと決めつけた。そのあまりの断言ぶりに、シレーネもちょっとむっとして言い返す。

「何よ、姉さん! 何でそんなこと言いきれるの? 海底の崖に行ったこともないくせに!」

「行ったことないのはお互いさまよ! だってあそこには奇妙な姿の深海魚や、海蛇の一族しかいないって、あたしたち人魚の間に口伝くでんでつたわってるんだから!」

「それじゃあ、深海魚や海蛇が歌っているのかもしれないじゃない!」

「海蛇が? おお怖い! みにくい姿の生き物が、生意気に歌を歌うだなんて!」

 シレーネが桃色のくちびるを噛みしめて、不承ぶしょうに黙りこむ。

『美しいものは正しい』――。

 姉のシーレンには、譲れないそんな持論がある。

 まあそれはそれで構わない。そう思うなら好きにしたら良いのだが、シレーネがどうにも納得できないのは、もう一つの持論のほうだ。

『みにくいものは、正しくない』。

 シレーネからしてみれば、『みにくい』という定義からして分からない。外見そとみがどんなに美しくても、性根が腐っていればその美貌すら嫌味になる。浮かぶ表情が性根を映して醜悪なら、そのものは『美しい』とはいえないのではないだろうか。

 その逆に、見た目がどれだけ珍奇でも、その中身が善なるものなら、表情もしぐさも優美になるものと、シレーネのほうは考えている。

 内心でいろいろ思考をめぐらすうちに、姉のシーレンはお説教をはじめ出した。

「だいたいね、あなたは何につけ夢見がちなの! あなたには『世界を危ぶむ能力ちから』が足りないのよ!」

「……『危ぶむ能力』?」

 ふっと気の戻ったシレーネがぽつり問い返す。シーレンは我が意を得たりと、ことさらに声のトーンを大きくした。

「そうよ! 海には危険がいっぱい潜んでいるのに、あなたときたら何ものとでも『話せば分かる』と思いこんでいるんだもの!」

 危険がいっぱい。

 それは分からないでもないが、シーレンにとっての危険とは何だろう。姉さんにとっては『みにくいもの・すなわち危険』であるのだろうか。

 そう考えると何だか無性に淋しくなって、シレーネはそっとうつむいた。妹の変化に気づいた姉が、こほんと小さく咳ばらいする。

「ま、まぁあたしもちょっと言いすぎたわ。おいでシレーネ、気分直しに水上の世界の話をしてあげる」

「……また、『人魚姫と人間の王子』の話をするの?」

 少しうんざりと問うた妹に、姉は今度は気づかずうなずいた。

「ええ、そうよ! あたしたち人魚と人間の王子様のラブロマンス!」

 目を輝かせて言葉を流す姉の姿に、シレーネがこっそり吐息をついた。

 実を言うと聞き飽きているし、あまり好みの話でもない。けれど姉がせっかく仲直りにと提言したおとぎなので、シレーネは覚悟を決めてその場にすわり、おとなしく耳をかたむけた。

 姉のシーレンはゆらりと揺らぐ白銀の髪を右手でさばき、綺麗な声で語り出す。

「昔むかし、海の底の小さな王都に人魚の姫が住んでいました。姫はある時、船に乗って海に出ていた人間の王子に恋をしました」

 いつもと変わらぬおとぎ話に、思わずシレーネが『はぁあ』と深いため息をつく。今さら妹の乗り気でないのに気づいたらしく、姉はこれでもかとざっくりお話をはしょり出した。

「まあ何やかんやで、姫は人間の姿になり、末に王子と結ばれました。おしまい」

 甘ったるいおとぎ話は始まったとたんに終わってしまう。

 これだけはしょっても魅力はおとろえないらしく、シーレンは乙女のようにうっとりとして両手を組んだ。その様子はまるで恋する少女だが、妹のシレーネは知っている。姉がそれほどあこがれるのは、『王子』ではなく『人間』なのだ。もっと極端に言ってしまえば『美しい人間の足』なのだ。

「……姉さんは、そんなに人の姿が好きなの?」

「ええ、そうよ! 人魚の姿も嫌いじゃないけど、あのすらっとした白くて細くて長い足……あたしも欲しいわ、お話の中の人魚みたいに、いずれは人間になりたいわ!」

 妹はもう一度、今度はさっきと色味の違う吐息をついた。

 外見にそこまでこだわる姉の心が、分からない。どれだけ『みにく』かろうとも構わない、自分は心を通わせた優しいひとと結ばれたい。

 そう思うと、今もかすかに聴こえている『海底の崖』の歌の主に、逢いたくてたまらなくなった。

「……ねえ、姉さん。どうして『海底の崖』に行ってはいけないの?」

 妹の言葉に、夢を見ていたシーレンがぴっと肩をいからせた。

「簡単なことよ。崖には深海魚や海蛇がいて危険だからよ」

「どうして危険なの?」

「深海の生き物や海蛇どもが襲ってくるからよ! 当たり前でしょ?」

「どうして彼らは襲ってくるの?」

「自分たちがみにくいから、あたしたち人魚の美しさをねたんで、それで襲ってくるの」

「襲われたひとが誰かいるの?」

 ぐっとつまったシーレンが、白銀の髪を揺らして綺麗な声を張り上げた。

「……そういうひとに逢ったことはないけれど! とにかくあいつらは危険なのよ! とってもみにくいらしいから、見ただけで目が潰れるかもしれないわ!」

 シレーネはあきらめきって、伏し目でおざなりにうなずいた。シーレンはぷりぷりと肩をいからして、どこかへ出かけていってしまった。

 いつもこうだ。同じ腹から生まれたというのに、どうにも話が噛み合わない。

 うっすらと落ちこむ気分をなだめるように、『崖の歌』はかすかに続く。つやっぽくかすれて、緩やかになり、切なげになり、甘く呼ぶように海中をゆるゆる響いてゆく。その美しさときたら、さながら細かな宝石を織りこんだ帯のようだ。

(逢いたい……この歌を歌っている方に……)

 シレーネは胸のうちでつぶやいて、むきだしの乳房に手をあてた。

 ごく幼いうちから、たゆなまく聴こえてきた歌への想い。逢ったことも見たこともない、その歌い手への想い。もうそれは一種の恋だった。

 海底の崖のほうから、歌が響く。その声がいつになく切なげに、泣いているような声に変じる。その嬌声あだごえを耳にして、シレーネはたまらなくなった。

「……そうよ、こっそり逢いに行けばいいんだわ! 深海魚や海蛇だって、同じ海の生き物だもの! 話せばきっと分かり合えるわ!」

 姉が聞いたら烈火のごとく怒り出すような言葉を吐いて、シレーネはひらひらと海中を泳いでいった。昼なお暗い海底の崖を一心に、恋のひずみにおぼれるように降りていった。

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