第一話 優希の日常
「夕実のこと?」
いきなり話しかけられて驚いたが、この声は樹によるものだ。彼は中学時代からの付き合いで、放課後になると遊ぶこともあった。彼も僕と同じくらいの妹がいるので、話題は家族のことが多かった。
彼の穏やかな雰囲気は、誰でも気兼ねなく話しかけやすかったため、男女問わず人気だった。
「樹って、たまに怖いよね」
「優希は分かりやすいからね」
そんな顔に出してるつもりは無いのだが、表情に出ていたのだろうか。
「俺も瑞樹をどうすればいいか」
樹が鋭いのは元々だが、それに拍車がかかったのは中学からで、妹の様子が豹変してしまったことが要因だと言っている。その頃から家に遊びに行くことが極端に少なくなっていった。
「また遊びに行こうよ」
「そうだな」
また遊ぶ約束をし、そのまま講義を受けに行った。
「何か食べに行きませんか?」
講義が終わり、昼休みに今日習った内容を書き記したノートをパラパラと捲って復習をしていると、同じ大学の学生であろう知らない男の人が僕を食事に誘ってきた。
突然のことで言葉に詰まってしまった。断りたいのは山々だが、できれば相手に傷つかないように返事をしたい。だが、僕の頭では返答方法を模索するどころか、状況を整理するのに精いっぱいだった。
「何やってるの?」
話しかけられた方に振り向くと、美咲が来ていた。キッチリしていて頼りになる存在だから、このタイミングで来てくれたことは本当にありがたい。
「食事に誘われちゃって」
「嫌ならハッキリ言わないと」
小さな声で会話をした後に断ってくれていた。
「私も友達も行きたくないので諦めてもらってもいいですか?」
敬語と目が笑っていない笑顔は、感情を出して怒るよりも圧倒的に怖いと、男の人の表情が物語っていた。
「なんで走っていったんだろう。私は普通に断っただけなのになぁ」
人を殺せそうなくらいの脅しをかけておいて、逃げた理由が分からないわけがない。
「優希は人のこと気にしすぎだよ。分かってると思うけど、はっきりしない態度が一番ムカつくんだからね」
自分の性格は悩み事の一つでもあるので、あまり触れないでほしいのだが、彼女はそんなこと気にもしていないだろう。そんなことを思っていると後ろから樹が話しかけてきた。
この後昼食を三人集まって談笑しながら楽しく食べた。高校の時では当たり前だったのだが、それぞれ専攻している分野が違うので、時間が合うことが少なく、こうやって食べるのは久しぶりかもしれない。
「それにしても、優希から勉強を教えてもらってるって、なんか情けないよな」
「そう思うなら、自分でやればいいじゃない。私は優希と楽しくお勉強してるから」
昼食を食べることは少ないのだが、勉強を僕が教えることがあるので、二人との会話が少ないわけではない。それに、そのおかげで樹と美咲の学部で勉強してることに少し興味が湧いてきて、二人が習っていることを本で読んだりしていると、あっという間に時間が過ぎていたりするので、時計を見ると驚くことがある。
「それにしても、優希って全然男に見えないよな」
「そうね。高校で初めて会ったとき、自分の見間違えだと思ったもん」
二人の会話を聞いていると、思わぬ方向に話が進んでしまっていた。話題を変えたかったが、僕にそんなことが出来るはずもなく……
「そう言えば、私の制服を無理矢理着せたことあったじゃない」
「そんなこともあったな」
「さすがにやりすぎたと思ったけど、涙目で上目遣いされたときに新たな扉を開きかけたのは、今でも覚えてる」
「まぁ、そこらの女子とは比べ物にならないくらい可愛かったもんな」
そんなことはないと言いたいのだが、今日の出来事もあって、否定しても説得力がない。それに、男の人から食事に誘われたのは、今日が初めてではなく、両手で数えることができないくらいナンパらしきことを受けている。
自慢ではないが、高校の文化祭の出し物で喫茶店をしたときには、無理やり女子用の衣装を着せられ、その衣装で僕が外に宣伝しに行ったときの客の入りようが凄まじかったらしく、午前は暇を持て余していたのに対して、午後は猫の手も借りたいほど忙しかったらしい。そして、見事に僕のクラスは売上一位になった。
その後、"文化祭で謎の美少女現る"という校内新聞が貼られ、僕の女装写真が学校中に広まることになってしまい、僕の平穏な高校生活にピリオドが打たれた。
そんな僕の黒歴史は置いておいて、せっかく三人揃ったから、夕実をどうすればいいか訊こうとしたら、樹が話題を変えた。
「ところで、お前と夕実が話さなくなったのっていつからだっけ?」
「僕がここに入学した頃には距離を置かれてたから、おそらく受験勉強してるときだと思う」
態度が素っ気なかったとか、何か腹を立てさせるようなことをしたのだろうが、原因が分からない以上、解決方法が思いつかない。それに思いついても、その方法をシミュレーションすると、悪い結果にしか辿り着かない。
「あんたが頼りないからじゃないの?」
「そうじゃない……と信じたい」
実際に美咲の言っていることが正しいのだとしたら、僕にはもう一生仲直りできないと思う。色々な解決方法を模索しているのは、美咲が言っていることを否定するためでもあるのかもしれない。わざと事実から目を背け、これは現実逃避をしているわけではなく、現実と向き合っているんだと自己暗示をしているんだろうか、という考えが一瞬浮かんだ。
そんな自己嫌悪に陥るような考えを捨て、もう一回考え直してみたが、何も思いつかなかった。
「学校でうまくやっていけてるんだろうか」
最悪、僕とは仲良くならなくてもいいが、友達と遊んだりしているのだろうか。真面目なのはいいことなんだけど、休日に遊びにいくことがなく、学校や買い物以外で外に出掛けることがない。
「夕実だったら大丈夫だろ」
「そうね。心配するようなところは、特に見当たらないし」
あまり干渉するようなことはしたくないのだが、それでも夕実のことは気になってしまう。心配してしまうのは、信じてあげることが出来ない自分の弱さからくるものなんだろう。
「考えても仕方ないよ」
美咲が会話を切り上げ、他の話題に移ったが、その時もずっと夕実のことを考えていて、どんな会話をしていたか覚えていない。僕に話を振らなかったのは、気を遣ってくれていたからだろう。
「これらを踏まえて……」
講義の内容が頭の中に殆ど入ってこず、ただホワイトボードに書かれたものを書き写しているだけになっていた。
帰っている最中は、気分を変えるために頭の中で習ったことを復習していた。すると、いつの間にか自宅に着いていた。
「ただいま」
自分の声だけが家の中に響き、返事はなかった。おそらく、夕実しか帰ってきていないのだろう。
リビングに行くと、夕実がテレビをソファに座りながら淡々と見ていた。
僕は話しかけることもなく、冷蔵庫に入っていたお茶をコップに入れて飲み干し、自分の部屋に戻った。
部屋に戻って勉強をしてから数時間後、休憩がてらにリビングに戻ると、お母さんが帰って来て、夕実と楽しげに話していた。
気を遣わせるのは申し訳ないので、そのまま音を立てずに自分の部屋に戻ろうとすると「優希、料理手伝ってくれる」と話しかけられた。
黙って頷き、母さんと一緒に台所の前に立ち、夕食の支度をしていると、いつの間にか夕実はリビングには居なかった。
夕食中は夕実と母さんが楽しげに話しているのを聞きながら、食事は終わった。
日々の習慣のように今日も何も出来なかったと思いながら、ベッドの上に寝転び一日が終わった。




