忠節のほど篤実にして、畢竟、供犠も得心し
忠節のほど篤実にして、畢竟、供犠も得心し。
つまりそのようなものに、わたくしも成りたかったのです。姉上様。
――いいえ、姉上様。わたくしは姉上様にそう認めていただけるような身ではございませぬ。
……そうではないのですよ、いまだこのような雲上の暮らしに、慣れないわけではないのです。
殿下、あなたさまを姉と慕うことに、臆したわけでもないのです。
いくら長い間暮らしを別とうと、姉上様。花街の路地裏に埋もれていたわたくしを、本来の暮らしに戻るように、と。この宮殿の暮らしにまで引き上げてくださったのは姉上様ではないですか。母親もろとも打ち捨てられた妾腹のわたくしにすら、慈悲をかけてくださった。
ああ、わたくしのこの髪ですか。この装いですか。まったく、軍士官のようでしょう。とはいえ、急拵えで身に合わぬ衣装ですから……こうしてそれらしく見せようとは気を張ってはみても、男にもまだなりきれぬ、貧弱な少年でしかない。
姉上様、あなたのくださった絹の衣装は、きちんとしまってあります。あなたの梳いてくださった髪も、長くつややかで無念でしたが……仕方がないことなのです。もちろんわたくしも、このようななりは似合わないだろうと不安ではありますよ。ですけれど、かような装いや髪の短さでないと、剣をふるえないのです、姉上様。
はい。此度の戦は、ずいぶんと苦しいものであると、わたしもうかがいました。復位を求める西の反乱の旗印は、旧王族の落胤だとかたるそうですね。離反してしまった諸侯もいると。姉上様、いいえ、女公殿下。誰ぞが吹き込んだわけではないのです。誰ぞに唆されたわけでもないのです。ただわたくしが自ら忌まわしく思って、そしてわたくしがわたしくし自身の考えでとうに決め置いていたことなのです。
いまや戦場は、かの西の軍の統率者への、供犠でみちあふれていると。兵はそう噂すらしていると市井に聞きます。
一方で、指揮官たちはこうも囁いていると。ええ……事態の打開には、決定的な求心力ある、勝利と正義の象徴がまさに必要であるとも。
ですから、わたくしも思ったのです。これが、わたくしの動くべき時だと。
このわたくしが、いま、ここで動くことこそが、我が主の望まれる安寧に繋がるのだと。
――そう、この国の正統の支配者たる、わたくしを拾い養ってくださった、わたくしの主。その掌には、まさしく統治の杖が握られるべきなのです。今度こそ揺らがずに。そして主君の代わりに危険を覚悟で敵陣へと乗り込んでゆくのはきっと、いついつまでも忠臣たるべき、わたくしの役目なのです。
ねえ、姉上様、姉上様がいま統治なさる治世を盤石のものとするために、姉上様の軍隊は戦っています。
その奮戦にはしかし、いまや象徴が必要です。味方を鼓舞し、威光正しく、兵の模範となるべき英雄が必要です。適任は――ええ、そうですね。姉上様が最もふさわしいでしょう。
ですが姉上様。わたくしは姉上様に、戦場に立ってほしくはないのです。……はい。ですから、髪も切りましたし、このような軍服で、御前に参っております。
最前線に、敵陣に、英雄として切り込む役目はこのわたくしのもの。そうでございましょう? ただしく主君の安穏の為に、その役目を引き受けるのに、ふさわしい人間はわたくしでしかないのです。
ああ、泣かないでください、姉上様。女公殿下ともあろう方が、そのようにたやすく涙を見せるなど。わたくしの身の安全ですか? 怪我の心配ですか。そのようなことにはまったく、お心を割いていただかずともよいのです。わたくしは、わたくしを拾い養ってくださった、わたくしに人間としての尊厳を教えてくださった主君に、忠を尽くしたいだけなのですから。
ああ、ああ。わかってくださいますか。姉上様。いいえ、詫びなど不要にございます。姉上様が万能の神ではないとは承知しております。わたくしの存在を欠片だけでも知ってからずっと、ただお心を痛めていてくださったことも。
迎えにゆくまで十三年もかかった? 公位を継いでようやく、宮殿に迎え入れられた? そのようなこと、気にするようなことではないではないですか。
わたくしが、今日この日まで尊厳ある人間として生きながらえたのは事実なのですから。
そうです、姉上様。わたくしは、花街の路地裏で死にかけていた、家畜以下のいきものを拾い上げ、尊厳ある人間として育ててくださった我が主君に忠節を誓っております。
ですから今宵、このようななりで参りました。明日になってしまえば、姉上様を国の統領として、戦の象徴として、戦場に送り込むなどという話がすすめられてしまいますもの。
供犠は必要です。戦に、供犠は必要です。
わたくしは姉上様に戦場に立ってほしくはありません。
ですので、機も熟した事ですし、栄光ある汚れ役を、わたくしが負うべきと判断いたしました。それゆえ御前に参りました。女公殿下。
礼、など。礼など言わないでくださいませ。詫びなどしないでくださいませ。わたくしは英雄になるのです。傷跡も……ええ、そうですね。戦場に立っておきながらかけらも身を損なわずに帰還するなど、あまりに虫のいい話のでしょうから……もしかしたら消えずに残ってしまうかも。けれどわたくしたちをそう時もたたぬうちに死が別つでしょうから、どうかこの先の不確かな未来のことなどは、お気になさらないでくださいませ、姉上様。
ああ、夜も更けてきましたね。暁の訪う前に、そろそろお別れの御挨拶を述べなければ。
姉上様、女公殿下。どうぞ、おやすみなさいませ。そして――やすらかな死出路への旅を。その首級いただきまして、わたくしもそろそろ……我が忠すべてを捧げるべき、国王陛下のもとへ帰参せねば。廃されて久しい王位の回復は、いまや我が養い親の安寧の為には急務ですから。
まったく、つまらない理由で離れているうち、王位奪還の旗印などと面倒な者に成り果ててしまって。ねえ、義兄さん。いいえ、陛下。わたしの神様。あなたに拾われて、尊厳も矜持も人間性も、なにもかも与えられた以上は、いくらわたしが女公の異腹のきょうだいだからと、あなたへの忠信を捨てて――やすやすと敵に与すはずなど、ありませんのにねえ? 御身災禍を逃れるも、明日をも知りえずにあった時分……曰く高潔な同情心を振りかざしてくださったのは、うら若い手でわたしの指先をつなぎとめてくださったのは、まぎれもなく義兄さん、あなただというのに。
おや、姉上様。ずいぶん重い頭をされている。身体はもとより置いていくつもりでしたが、これではなかなか運びにくい。申し訳ありませんがそのご自慢のお髪も、邪魔なので断たせていただきますね。なにぶん、熟すのを待ちかねたかような好機にあなたの首をとりました以上、わたしを育てたかの方のいらっしゃる西へ帰参するまで、ずいぶん急ぎの旅路ですから。
殿下の忠臣の皆様も、きょうだいの別れを邪魔はしないと、それぞれ申してくれまして。甘くやさしい犬であることですね。
それにしても、嬉しい事です。象徴を得られなければ軍は瓦解し、統治者を失えば民は大公家を見限り、そして優秀な姉上様、あなたの他にこの荒れた時勢で舵をとれるような才能は、身内だなどとの事実だけで甘ったれた本音を見せて、わたくしの甘ったるい嘘の言葉にたやすくなびいてくださった、あなたの他にはもはやなく。
忠節のほど篤実にして、畢竟、供犠も得心し……どんなにこの日を夢見たことか。わたしの主に供すのです、あなたはさながら犠でしょうか。
神と等しく主を仰ぎ、忠節篤く裏切りなどできず。
つまり家畜以下のちりあくたであった幼いいきものから、十年かけて人間としての尊厳を得た者と育てられた以上、そのようなものに、わたくしも成りたかったのです。
初出:2014.07.19
フリーワンライ企画 ( http://twitter.com/freedom_1write )
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甘い本音と甘い嘘
妹かもしれないし弟かもしれない。