自衛の準備は万全に(皐月剛side)
もう本当に嫌だわ。
せっかくのお昼休み時間が台無しじゃない。
生徒会長だからって理事長室へ行けだなんて冗談じゃないわよ。
生徒の自主性を重んじて学校行事を生徒会主導で進められるのは魅力的だけど橋渡しくらいは教師がして欲しいものだわ。
唯一の救いは校長も居たことね。じゃなきゃ理事長の空気に呑まれて用件さえ言えなかったわよ。
まぁ勉強にはなったわよ。
観客を呑み込むはずの歌舞伎役者が逆に呑み込まれる経験なんて普通なら出来ないし、有り得ないじゃない。
私の口調も元々は女形を演じる為にまずは形から始めたのがきっかけで素ではないわ。勿論オカマでなければ恋愛対象も女性よ。
直さなかったのは此方のが受けがいいのよね。
けして不細工でもなく客観的にも主観的にも化粧映えする切れ長のつり目のシャープな美形なんだけど柔らかさの欠片もない冷たい印象だったから口調一つでこんなに周囲がフレンドリーに変わるとは思わなかったわ。
でも、これはないわぁ。
理事長室から退出した私は左側の廊下を歩いてたのよ。いい?けしてど真ん中を歩いてたわけでも廊下の角でもないわ。
なのに、な・ん・で・ぶつかるのよ!
「きゃっ………………いったぁあ………」
「っ!!!」
私のが痛いわよ!私長身だから貴女の頭がもろまに鳩尾入ったんだけど!!どんな石頭してるの?私なんて言葉が出ないほど痛いわ。
貴女、女の子座りしてるけど私は弾き飛ばしてないから。貴女どう見たって自分から座り込んだわよね?それ尻餅じゃないわよ。分かってないのかしら………
「あっ、ごめんなさい。前をよく見てなくて………」
嘘おっしゃい!貴女、私を笑顔で認識してから走って当たり屋みたいにぶつかったじゃない。
何よ?手なんか出して?お金を要求しているの?
「見苦しいから早く立ちなさいよ」
「え?なんで?立たせてくれるんじゃ……」
金銭要求より質が悪いわね。
「嫌よ。貴女より私のが痛いし、悪いのは貴女でしょ」
「痛くて立てないの。それに姫歌はちゃんと謝ったもん」
「なら保険医には伝えといてあげるわ」
さっさと此処から立ち去りましょ。そして私は保健室へ行くわ。もう絶対に痣になってるわよ、呼吸するたび痛いもの。
「えっ、あ、ちょ、ちょっと!」
いや、お前が『ちょっと!』だよ!
めちゃ立ち上がってるからな!!
嘘なら最後まで突き通せ!!!
…………思わず口調が素に戻ったじゃない。
「何処行くの?姫歌も一緒に行くぅ」
保健室よ。保・健・室。
分かってないわね、この元凶。
「結構よ」
「姫歌も今からお昼ご飯なんだぁ。でもぉ、一人じゃ淋しくて………だから一緒に食べたいなぁ」
誰が、何時、昼食の話をしたのよ!
私はご飯より湿布が欲しいのよ!!
「そう、私には関係ないわね」
「え?なんで、あっ!そっかぁ~えっと、『わざと女言葉を使わないで素でいいんですよ。柔らかくなくても、冷たい印象でも、それでも貴方が優しいのは知っています。だから私には偽らないで大丈夫です』」
えっ、何この子。脈絡なく突然なんなのよ?ドン引きするくらい気持ち悪いわ。
なんかこの子、変なのよね。
女は女優とは言うけど、この子は演じて成りきるじゃなくて、演じて成っているつもりでいる様に感じるのよ。
与えられた台詞をただ読み上げるだけで、その台詞に至るまでの経緯も感情の抑揚もない、他人の読書感想文を読んでるみたいだわ。
「だから?それこそ貴女には関係ないわね」
「ひ、姫歌はただ仲良くしたいだけなのに」
鳩尾に特攻してきて、どう仲良くなるのよ。
好意を示すなら今すぐ保健室へ行って湿布を献上なさい。
「分からない子ね。それが迷惑なのよ」
「な、なんでぇ?だって剛h」
「名前で呼ばないで。皐月さんとお呼び」
初対面でいきなり呼び捨てですって。
ちなみに名前が嫌いとかじゃないわよ。
歌舞伎の屋号が【皐月屋】だから、皐月のが反応しやすいのよ。
「皐月はなんd」
「さん、もしくは先輩、会長。敬称くらいつけなさいよ、小娘」
「………皐月、さん……はなんで姫歌と仲良くなってくれないの?」
「仲良くなりたくないからよ」
当たり前でしょ。好意があればともかく、嫌悪しか抱けない相手とメリットもなく仲良くするわけないじゃない。
「ど、どうしてよ!?」
「貴女、タイプじゃないの。それに仲良くりたい子なら……」
あの方なら。
慈愛に満ちた笑みを思い浮かべていると、小娘の後ろに居た観客が廊下の端に寄り、後ろ後ろと口パクで伝えてきた。
え、後ろ?えっ……
「!!っ……天使さ……ま………」
さっきまで理事長には呑まれたけど、比じゃないわ。
理事長は絶対的支配、目を離した隙に喰われる感じだからけして視線を逸らせない空気に呑まれたけど……
目を離せない、離したくない。
支配なんて生易しいもんじゃないわ。
だって、これは私の願望。他者に強制された訳じゃななく自らそれを望む。
傍に居たいと思う自分が浅ましく畏れ多い、けれどただただ見ていたい。
私と視線が合ったまま天使様が会釈するけど余りにも自然で綺麗な会釈に私は呆然となり返せなかったわ。
今時、足を止めて会釈する者は少ないのに、それでいて手本のような綺麗なお辞儀に魅とれてしまったの。
理事長室へ向かう颯爽とした姿は理事長に早く会いたいからかしらね。
理事長が羨ましいわ。
「ねぇ!ねぇったら!!」
ああ、煩いわね。
せっかくの邂逅が台無しじゃない。
「あら嫌だわ。貴女、まだ居たの?」
「何よ!こっちはせっかく攻略対象だから仲良くしてあげようと思ったのに、もう剛なんて知らないんだから!!私だけが剛を救えるのに、後で後悔すればいいんだわ!」
小娘は怒り心頭で言うだけ言って走って行ったけど、生徒会長である私の前で廊下を走るなんていい度胸だこと。
ああ、考えなしの間違いね。
攻略対象、救う、後悔、ね。
攻略なんて城でも攻め落として勝つつもりかしら?あら、でも対象って私?
救うって事は私は助けられないといけない状況になるって事よね。
それで助からずに後悔する、と…………
えっ、これって犯行予告なの!?
私、殺される!?
け、警察!警察へ!!
…………いや待って、冷静になるのよ、剛。
狂言の可能性だってあるし、何より曖昧な証言だけで証拠はないわ。
それに家も学校も防犯対策に抜かりはないし不安になる必要なんてないのよ。
そもそも、生徒会長である私があんな小娘相手に何を慌てる必要があるの。
そう、落ち着いて考えれば警察沙汰にする必要もない程度の低い問題だわね。
……………帰りに痴漢撃退スプレーとボイスレコーダ買いに行きましょ。




