赤々と燃える森
◆
「ところで熊肉だが、どのくらい持ってきたのだ?」
アエリノールと共に食卓につくと、運ばれる料理を眺めながら、ネフェルカーラが問う。
「ぜんぶ!」
相変わらず身もフタも無い幼児エルフの回答だが、それでも意味は伝わるので問題はない。だから、眉を顰めて、ネフェルカーラは訝しんだ。
「では、他の部分は何処にいったのだ?」
「あげた!」
「誰にだ?」
簡潔を極めるアエリノールの回答に、ネフェルカーラはすぐに納得した。アエリノールの代わりに、エレノアが答えたからである。
「今、ノーラッドが解体してるんですよ。
アエリノールさまが、ネフェルカーラの家を教えてくれるなら、お肉を半分あげる、って仰られたから」
その言葉に、口元を僅かだが緩めて、しかし出来るだけ興味が無さそうにネフェルカーラは頷いた。
「そうか。それなら、いい」
もともとアエリノールが持参した肉の大半は、村人に分けるつもりでいたのだ。アエリノールが最初から、あげると言っているのなら、まさしく都合が良い話である。
それにしても、ノーラッドがエレノアの弟であったのを忘れていたネフェルカーラは、思わず赤面した。
「そうだった、だから仲良くなったのだ」
元々ネフェルカーラは、あまり自分から口を利かないので、エレノアに連れてこられたノーラッドが、あれやこれやとネフェルカーラに質問した事が、恋のきっかけであった。
――もっとも、実る以前に消え去った恋ではあったが――
「ノーラッドといえば、婚約者のヒルダが行方不明になったそうだな。今日、森でナタリーが必死になって捜索しておった。むろん、この天候では捜索など捗るはずもなく、私が救助したのだが」
「ええ、ノーラッドも心配しているわ。今日も、ナタリーと一緒に捜索に出る! って言っていたのだけれど、私が強引に止めたの。ただ、それでもナタリーは出て行ってしまったのね……」
「うむ。だが、まあ、ナタリーは私の機転で救助出来たから良いではないか。私の機転で!」
恐らく、ネフェルカーラは大事だと思われるポイントを二度言った。しかし、この状況でエレノアにとってその行動は、面倒意外の何物でもない。しれっと無視を決め込むと、手早く調理器具を片付けてゆく。
「う、うむ。ところでアエリノール。ヒルダという少女を知らぬか? 私よりは美しくないが、それなりに美人なのだが。どうやら、一昨日森に迷い込んだらしい。この天候では、早く探し出さねば命が危ないのだ。お前と違って、私たち人間はひ弱なのだ」
暖かいスープを飲みながら、眼前の幼女を眺め、ネフェルカーラはぬけぬけと人間宣言をした。
ライフル弾と同等の威力をもったどんぐりを即頭部に喰らって平然としている人間など、本来はいない。しかし、彼女はこの村で、あくまでも魔術師として過ごしているので、魔族と知っている者はごく少数だった。
「魔法ってすげぇ。歳もとらないし、不死身なんだ!」
故に、大半の村人はそう思うだけである。
「ヒルダ? うーん、一昨日は森にたくさん人間が来たから、よくわからないよ! でも、なんだか木霊が怒って追い返していたから、木霊に聞いてみる?」
「おお、それは助かる。では、明日、よろしく頼む!」
「はーい!」
ネフェルカーラは口の両端を持ち上げて、会心の笑みを浮かべた。
このバカエルフでは話にならないが、木霊と対話することが叶えば、或いは食糧事情の解決も可能かもしれない。
いやいや、場合によっては、このバカエルフを人質にして……
「時にアエリノール、外は吹雪だ。今日はもう、森に帰るのは辛かろう? 良ければこのまま我が家に泊まってゆかんか?」
「えー! いいの? いいの? 泊まる! 泊まる! ネフェルカーラと一緒に寝るっ!」
木の匙を大きく掲げてはしゃぎまくるアエリノールを眺めて、ネフェルカーラの笑みは止まらない。たまらず口元を隠し、目を細めた緑眼の魔術師だった。
「やれやれ、本当に仲が良いのね。……ヒルダも無事だと良いのだけれど」
調理場を手早く片付けたエレノアは、二人を邪魔しないように、大きな鍋を抱えながらも、なるべく静かに扉を開けて、外に出た。
自宅で食べる家族の分も作っていたのだろう。湯気が立ち上る大きな鍋は、しかし、エレノアの細身では手に余るように見えた。
「ん?」
ネフェルカーラは立ち上がると、エレノアの側に行き、鍋をよこせとばかりにひったくる。
別に、アエリノールとの会話に熱中していた訳ではない。本来、心根の優しいネフェルカーラは、よろけるエレノアを放っておける訳もなかった。
「あっ……ネフェルカーラ、大丈夫よ」
身長だけならエレノアよりもネフェルカーラの方が小さいが、魔力を力に転化出来る分、緑眼の魔術師は力があった。
さも面倒そうに鍋を持ち、大またにエレノアの家へと向かったネフェルカーラ。辿り着いた先には、空腹に唸る子供が二人と老人が二人、そして騎士見習いの少年――ノーラッドが待っていた。
「あっ! ネ、ネフェルカーラ! アエリノールさまとは、会えたんだね? 急にアエリノールさまが熊を持ってエレノア姉の家に来た時は驚いたけど、君の友達だったのなら、納得だよ」
簡素な服に返り血を浴びている少年は、ノートラッド。今年十七歳になる騎士見習いの少年だ。服についた血は、熊を解体した時にでもついたのだろう。ネフェルカーラは気にも留めない。
しかしノーラッドはネフェルカーラを見ると、弾かれたように身体を彼女に向け、急いで鍋を受け取ろうとする。見るからに緑眼の魔術師にたいして鍋は大きく、重そうに見えたのだ。
だが、少年は知らなかった。ネフェルカーラが魔力を力に転化出来る事を。
いや、知っていたとしても、同じ行動を起こしたであろう。
彼は、ネフェルカーラにかつて淡い恋心を抱いていた。そして、一度だけ、その想いを伝えた事があった。けれど――
ともかく、以来、ノーラッドはネフェルカーラの瞳を直視出来なかった。そんな中で優しくしてくれたのが、ヒルダである。
だから、ノーラッドはヒルダに心を移したのだった。
「ああ、別にアエリノールとは、友達という訳でもないのだがな。む! それとヒルダだが……明日、連れてきてやる! 私を崇めつつ、待て!」
大鍋をノーラッドに渡して、それだけ言うと、ネフェルカーラは踵を返し、新雪の上を新たな足跡をつけて、自宅へと引き返した。
ネフェルカーラの胸は高鳴っていた。
やはり、ノーラッドの微笑みは核撃魔法に匹敵する。
まさか、エレノアの家にノーラッドがいるとは思わなかったネフェルカーラである。ただ、せっかく会ったのだし、ヒルダを心配しているであろうから、元気付けてやろう! とも思ったのだ。
――なのに! でも、まあ、いいか。
ネフェルカーラは、基本的に怠惰であり、自分の感情にも疎い。だから、顔さえ見なければ、どうということも無いのだった。
ネフェルカーラが家に戻ると、アエリノールが玄関の前で待っていた。
彼女としては、そのまま食事を続けるのも何故か憚られ、かといって後について行くのも寒いので、この場で立って待つ事にしたのだ。
これでネフェルカーラに好かれるぞ!
金髪に覆われた彼女の頭蓋の中身は、そのように考えていた。
もっとも、何の根拠も無い。
「席に戻って食え」
煩わしそうにネフェルカーラは言い、笑顔で従うアエリノール。
一見ちぐはぐに見える二人は、けれど何故か姉妹の様に食卓で向かい合い、夕食を摂ったのである。
◆◆
翌日、屋根から”どさり”と雪が落ちる音で目覚めたネフェルカーラは、捲った毛布の中から金髪の上位妖精が現われて、一瞬だけ戸惑う。
けれど、記憶の糸を辿ると、そういえば、と、ネフェルカーラは納得した。
流石に自身の寝台に入れるに当たって、アエリノールの薄汚れた貫頭衣は脱がし、寝衣を渡したネフェルカーラであったのだが、今見れば、金髪碧眼の幼女は、一糸纏わぬ姿で静かに寝息を立てていた。
寝息を立てつつも時折動く長い耳は、まるで意思を持っているかのよう。だから、ネフェルカーラは出来るだけ音を立てずに立ち上がり、暖炉に火をつける。
別に、私がアイツに遠慮する必要などないのだが。
内心ではそう思うものの、久しぶりの一人ではない朝に、少々胸が躍るネフェルカーラだった。
せっかくだし、アエリノールの身体を拭いてやろう。
ネフェルカーラは、ただ怠惰な訳ではない。こだわり始めると、とことん拘るし、ふと気が向けば、妙に人に尽くすのだ。
今朝は、なんだかアエリノールに尽くしたい気分になっていた。
上位妖精と言えども生命体である。アエリノールには普段、体を拭く習慣などない。たまに水浴びをする程度である。今は冬なので、その水浴びすら極度に回数が減っていた。なので、汚れた服からも分かるように、彼女の身体も非常に汚れていたのだ。
しかし、何故か体からは心地よい匂いがするのだから、上位妖精とは不思議なものである。
「んあっ! えへへ」
湯に浸し、軽く絞った布でアエリノールの身体を拭くネフェルカーラ。それでも尚、起きないアエリノールは、幸せそうに涎を零す。
「あっ! この馬鹿!」
大切な枕を汚されて、眉を吊り上げた緑眼の魔術師は、それでもアエリノールの身体を拭き続ける。
暫くすると、裸のアエリノールは肌寒さで目をさまし、小さなくしゃみを一つした。
「あー、おはよー……くしゅん」
「ふむ、やっと起きたか。ところで、なんで裸になっているのだ、昨夜、服を与えただろう?」
アエリノールの身体を拭いた布を篭に入れて、ネフェルカーラは朝食の準備にとりかかる。
朝食といっても昨夜のスープを元に、麦粥を作っただけである。その程度ならばネフェルカーラにも出来るのだ。
「ネフェルカーラが暖かかったから!」
鼻水を啜りながら笑顔を浮かべる金髪の幼女は、屈託なくそう言った。
しかし、くしゃみをした後に鼻水を垂らす幼女にそんな事を言われても、決して納得出来ないネフェルカーラであった。
「ふん。なんでも良いが服を着ろ。風邪をひくぞ」
「はーい」
素直に返事をしたアエリノールは、ぴょんと寝台から飛び降りると、椅子にかけてあった灰色の貫頭衣を着て、いつもの姿に戻る。
それで寒くないのか? とネフェルカーラは疑問を抱いたが、しかし、すぐにそれが愚問である事に思い至る。
木霊が作ったものであるならば、防寒の魔力でもこもっているのだろう。
◆◆◆
食事が済むと、ネフェルカーラはアエリノールと共にモルタヴ大森林へと向かった。
別に、アエリノールを送る為ではない。
木霊の場所に案内をしてもらい、ヒルダの所在を教えてもらう為である。
さらに、村の食糧事情に関する事など、木霊と話したいことは山ほどあるが、まずは会うことが大切なのだ。
何しろ、モルタヴ大森林で間違いなく第一位階のアエリノールは所詮幼女であって、判断力などは無い。だから、どのような会話をしても、出口の見えない迷宮にしかならないのだ。ネフェルカーラとしては、その点がいささか誤算でもあったのだが。
もちろん、何一つ分からないながらも、アエリノールが良しと言えば、森はその意思に従うだろう。木霊には上位妖精の意思を拒む事など出来ない。
けれど、そうしたときに、森に弊害が出ないとも言いきれないのだ。なるべく、平和的に共存したいネフェルカーラとしては、木霊達の反感は、出来れば避けたいのだった。
「ネフェルカーラは幻界にいける?」
雪は既に止んで、薄い雲の切れ間から、穏やかな陽光が覗いている。それを一面の銀世界が反射して、無意識に目を細めてしまうネフェルカーラは、唐突なアエリノールの問いにどう答えるべきか、僅かに悩んだ。
「うむ。案内してもらえれば、問題なく」
結局、事実を話す事にしたのだが、幻界に行ける人間など、そう居るものではない。よほど魔術を極めた者くらいであろう。
ネフェルカーラの見た目は、あくまでも十六歳から十七歳の少女に見える。とてもではないが、その年齢で到達できる境地では無い。その事に木霊が気付けば、彼女は正体が露見するのだから、出来れば幻界には行きたくなかった。
「じゃあ、いくよ! ついてきて!」
「あ、まて。行かなければ、木霊に会えぬのか?」
「うん! じぃはね、あっちじゃないと動けないから!」
アエリノールの答えは、ネフェルカーラにとって回答にはなっていない。けれど、結局行くしかないという事は伝わったようだ。
緑眼の魔術師は金髪の幼女に手を引かれながらも、その肘は曲がり、力が入っていないのだから。
ネフェルカーラとしては甚だ不本意であったに違いないが、アエリノールと手を繋ぎ、森の入り口まで歩みを進めた時のことである。
森の奥から爆発音が聞こえ、ついで木々よりも高く火柱が上がった。
驚いたアエリノールは、飛び上がって尻餅をつき、積もった雪に体を埋めた。
手を繋いでいたネフェルカーラも同様に、アエリノールに引っ張られる形で後ろに倒れる。
冷たい感触が二人の体を支配したが、しかし、眼前で立ち上る火柱は、轟々と燃えて、森を飲み込む程の勢いだ。決して距離的に近い訳でもないが、それでも、二人は眼前に熱を感じ、体が冷える感覚を忘れていた。
「ネ、ネフェルカーラ! どうしよう? どうしよう? 森が燃えてるよ!」
「……うむ……アエリノール、水の魔法は使えるか?」
立ち上がり、尻についた雪を払い落として、自身の装備を確認するネフェルカーラ。
アレが人為的なものだとすると、あるいは敵は魔族かもしれない。ならば、背中に背負った弓と小剣、それから自身の使える魔法が武器になる。
火を消す事は、小さな上位妖精に任せても問題ないだろう。
ネフェルカーラは、様々な可能性に備え、対処方法を考える。
けれど、怯えた小さなアエリノールは、その体を未だ雪に横たえたまま、蒼い瞳に赤々と、天を裂くような火柱を映しているだけであった。