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無礼な者が教える礼儀

 ◆


「流石に寒いな」


 一般的な人間ならば、決して入らないであろう森の奥深くまで、ネフェルカーラは足を踏み入れていた。

 彼女という存在は、どちらかと言えば人よりも妖精に近い。まして、魔神である母の力を継いでいるのだから、その力は上位妖精ハイエルフと比べても遜色の無いものだ。

 

「幻界にさえ入らなければ良いのだ」


 もっとも、ネフェルカーラ自身は生まれて以来、人間の社会しか知らない身である。それ故、母の力がどれ程のものであったかも知らないし、自らの限界も知らない。

 本来、彼女の力ならば、幻界に入ってしまったとしても、すぐに出て来る事など造作もないし、最大限に力を解放すれば、モルタヴの木霊たちを消滅させる事も出来るだろう。仮にアエリノールが抵抗したとしても、生きた年月の差で、勝利し得るだけの力さえ持っているのだ。

 けれど、彼女の呟きにも表れているように、この緑眼の魔術師は、自身を単なる魔族とのハーフだと思っている。

 そうではないと気がつくのに、今から千年かかるのだから、まったく気の遠くなる話であった。


 風が、横殴りに雪を運び、ネフェルカーラの頬を襲う。雪はいつしか吹雪に変わっていた。となれば、これ以上、森にいるのは危険だと、ネフェルカーラは判断せざるを得なかった。


「結局、得たものはどんぐりが八十個か」

「ねえ、ネフェルカーラ。もういいよ、危ないから、村へかえろう」


 ナタリーが必死の表情で、ネフェルカーラの上着を掴んでいる。

 頬に当たる雪に眉を顰め、飛ばされそうな身体を必死で支える両足は、指先の感覚が無くなりつつあった。

 ネフェルカーラさえ危険と思える場所なのだ。人間であるナタリーに耐えられるはずがないのだ。


 ネフェルカーラは、アエリノールを探していた。

 まさか、本当に食べるつもりだった訳ではない。ただ、去り際に寂しそうな表情を浮かべていたような気がして、それも気になっていたのだ。

 どんぐりをとんでもない勢いでぶつけられたのは確かだが、本人に悪気があった訳でもないだろう。ならば、大人気なく叱り過ぎただろうか? そう思ってもいたのだ。

 それに、魅了チャームの効果がどうなったのかも気になる。


「どちらにしても、会えなければどうにもならん」

「ね、ネフェルカーラぁ」

「む? あ、ナタリー! このような所で眠ろうとするとは! 何たる怠惰か! いや、人の限界か? ええい、どちらにしても、お主がそんなザマでは、ヒルダを探すなど到底出来んではないか! もう、寒いし帰るぞ!」


 こうして、ネフェルカーラはナタリーを担ぎ、不平不満を友としてメンヒ村へと帰ったのであった。


 ◆◆


 出かける前に大言を吐いた為、収穫無しとは言いがたいネフェルカーラである。

 森を抜けて、とぼとぼと家路を歩きつつ、何か良い言い訳はないものか、と考えていた。

 だが、不幸なことに、ナタリーが一部始終を見ていたのだ。


「いや、いっそ全部ナタリーのせいにするか?」


 幸いなのは、視界を覆う雪景色だ。これならば、誰が見ても危険に違いなく、この中で狩りをするなど、不可能であるのは明らかだ。

 さらに、この中でナタリーを見つけて保護したのだ。決して収穫がなかった訳ではない。止むを得ない事態なのだ。


「うむ。天気のせいだ。あとは、ナタリーが悪い。つまり、私のせいではない」


 とにかく「私は悪くない」という理論武装にネフェルカーラは満足しつつ、積もった雪にささる足音を周囲に響かせながら、彼女は帰宅した。

 ナタリーには、適当なところで目を覚まさせて、


「迷惑をかけてごめんなさい、美少女のネフェルカーラさま」


 と、言わせる思考誘導も完璧だった。

 

 しかし、おかしい。


 一人暮らしであるはずのネフェルカーラの家から、人の気配がするのだ。


 煙突から上がる煙は、暖炉に火がついている事を示している。しかも煙の量はかまども使われている事が明らかな程に多く、あまつさえ色硝子からは光が漏れて、灰色の世界に赤や青の光彩を生み出していた。


「む? 私のことを好きすぎる男が、勝手に侵入したのか? 由々しき事態だ! おのれ不審者め!」


 しかし笑顔のネフェルカーラは、只今、思春期真っ盛りな自意識過剰。現実には、そんなことは起こりえないのだ。


 だが、ネフェルカーラの想像は突飛でも、実は半分程、合っていた。

 二百年の時を経て、初めてネフェルカーラの事を好きすぎる者が現われたのだ。しかし、残念なことに、それが男ではなかっただけのこと。ついでに言えば、人でもないのだが。


「誰だ?」


 誰何の声音が、何故か期待に打ち震えるネフェルカーラに、二つの声が、元気良く答えた。


「あら、おかえりなさい!」


「ネフェルカーラ! 熊持ってきた! 魚も!」


 調理場に立つのは早朝、息子を連れて現われたエレノアであった。それは、肩越しに振り向いて見せる茶色い瞳をみれば、ネフェルカーラとて瞬時に分かる。声を聞くまでも無い事だ。

 男ではなかったし、ましてやノーラッドでもなかった。少しだけ肩を落としたネフェルカーラだが、まあ、それは仕方がないであろう。

 けれど、どうしてアエリノールまでいるのか? 何より、鍵を掛けて出かけたはずだ。どうして部屋の中に?

 そこまで考えて、ネフェルカーラは思い至った。


(ああ、アエリノールは上位妖精ハイエルフか。ならば、幻界を通れば室内に入り、鍵を開けるなど容易かろう)


 しかし、そう思って扉の裏にある鍵を見つめた時、緑眼の魔術師は、室内を走り回るアエリノールの襟首を掴んで持ち上げ、思い切り床に叩き付けたのである。


「ふぎゅう」


 腹から床に落とされたアエリノールは、潰れた蛙の様な格好だ。けれど、容赦なくネフェルカーラの質問は飛ぶ。


「どうして鍵を壊した」


「か、ぎ?」


 むくりと起き上がって、何事も無かったかのように首を傾げるアエリノール。この程度で痛みを感じる程、上位妖精ハイエルフはヤワじゃない。

 無表情ではあるが、怒気を孕んだ瞳をアエリノールに向けたネフェルカーラは、扉の中央にある閂を指差して問い詰める。


「あれだ。中に入ったならば、引くだけだろう? 入らなくても、貴様なら精霊にでも力を借りて動かせるだろう?」


 ネフェルカーラは、長い一人暮らしによって、留守中に鍵をかける習慣を身に着けていた。

 わざわざ金属の錠をつける程、この村の治安は悪くない。だが、実はネフェルカーラは領主との仲が悪かった。そして、領主はネフェルカーラが魔族である、という証拠を見つけて、出来ることならば処刑したいと考えている節がある。

 別に家捜しをされた所で証拠になるようなモノが出るはずも無いが、だからと言って、留守中、勝手に家に入られるのも困るのだ。という事で、普段彼女は、閂を魔法により外からかけて、出かける様にしていた。そうする事で、ネフェルカーラをあまり知らない者ならば、在宅していると考えて、場合によっては進入を諦めるだろう、とも考えての事であった。


「んー! 折れてる! 折れてるね! あひゃひゃひゃひゃひゃ! 押したら折れちゃったみたい! あひゃひゃひゃひゃ!」


 こいつは、馬鹿なのか?

 

 めくるめく脳裏に浮かぶ言葉は、諦め、或いは絶望、というネフェルカーラである。そして、彼女の見つめる先に、アエリノールの哄笑があった。

 反省していないのではなく、怒られている理由が分かっていない。どんぐりの時と一緒なのだ。


(まさか、私は一から教えなければならないのか? 木霊は、一体何をやっていたんだ?)


「おい、アエリノール。まず、座れ」


「はーい!」


 アエリノールは、ネフェルカーラが指差す先にある長椅子に腰を下ろす。だが、顔は常に左右に動き、足はぶらぶらと落ち着いた様子を一瞬たりとも見せなかった。


「うふっ、ネフェルカーラ、本当にアエリノールさまと仲がよいのね! もう少し待ってね! すぐに熊肉のスープと焼き魚が出来るから」


 思えば、今、竈の前に立つエレノアも酷い。


 ネフェルカーラが出かける時は、鍵をかける事を知っているはずなのだ。にも関わらずアエリノールの突撃を見ていたとしか思えない。

 若くして母になり、苦労して子供たちを育てているのは分かるが、だからこそ、アエリノールにも、もっと適切な対応が出来たのではないか? ネフェルカーラはそう思えば、不快な溜息も出た。

 さりとてエレノアを責める気になれないのは、彼女が幼少の頃からの付き合いだからだ。ましてや、歳を重ねるごとに痩せ細る姿を見ていれば、何も言えなくなる。


 エレノアが痩せてゆくのは、偏に村の食料事情に起因する。

 元々が痩せた土地である上に、魔族の国との国境であり、人同士の戦火も絶えず、為に税も重い。これで子供を二人も育てているのだから、頭が下がる、とネフェルカーラは思うのだ。


 思えば、そこへ食料を携えたアエリノールが現われたのだから、エレノアとしては、責め立てるはずも無いか――


「アエリノール、よいか? 人が暮らす家には扉がある。扉が閉まっていたならば、みだりに開けてはならん」


 緑眼の魔術師は、長椅子に座る碧眼の幼いエルフを優しく諭す。

 当初、アエリノールの前に仁王立ちして、頭ごなしに叱責をしようと思っていたのだが、エレノア達に熊肉を振舞えるならば、ある意味では感謝したい。


 何より、打算もあった。


 アエリノールとよしみを通じておけば、或いは大森林の奥深くでの狩猟も認めてもらえるかもしれない。となれば、村の食糧事情は改善するのだ。

 もっとも、そこに領主が出てくればやっかいな事になるから、あくまでも個人的に、という事ではあるが。


「わかった! みだりに開けない! でも」


 思いのほか素直なアエリノールに、ネフェルカーラは満足気に頷く。


「でも、みだりってなぁに?」


 腰に当てていた手を振り上げそうになった緑眼の魔術師は、しかし寸での所で思いとどまった。


「……つまり、扉が閉まっていたら、ノックをする等して中に人がいるか、確認するのだ。それから、モノを壊してはいかん」


 モノを壊す事が直す事よりも遥かに得意なネフェルカーラがいうと、エレノアが竈を前に肩を揺らす。

 今でこそ減ったが、エレノアが祖父に聞いた話では、ネフェルカーラは三日に一度、必ずと言って良いほど魔力を暴発させて、村のあちこちに大穴を空けていたそうだ。

 もっとも、それによって生まれた井戸が幾つもあるのだから、村にとってはあながち迷惑でも無かったという。

 しかし暴発の理由が、芋を掘るのに魔法を使い、挙句に暴発したのだと聞いた時は、流石に時の村長も、ネフェルカーラを隔離すべきかと悩んだそうである。


「さ、ネフェルカーラ、出来たわ。アエリノールさまと二人分ですが」


 ネフェルカーラがアエリノールに様々な事を噛み砕いて説明していると、明るいエレノアの声が響いた。

 瞬間、アエリノールは椅子から飛び降り、竈に向かって走り去る。


「くまっ! くまっ!」


 殺風景な魔術師の家は、焼き魚の香ばしい匂いと、熊肉のスープによる馥郁たる香りに包まれた。

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