森の妖精は魔術師を慕う
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ネフェルカーラは衣服の上に黒羊の毛皮を着込んで、万全の状態で狩りに出た。
元々が寒がりな為、妙に着膨れをした、目つきの悪い緑眼黒髪の美少女である。
目つきが多少悪くても、美少女は美少女足り得るのだ。むしろ、目つきの良い女は腹黒い、とネフェルカーラは思っている。もちろん、それはとんでもない僻みであった。
最近、三軒先のヒルダが七軒奥のノーラッドに告白されているのを見たネフェルカーラは、少しだけ気が病んでいた。
ノーラッドは、絶対自分に気がある! と確信していたのだ。
それが蓋を開けてみれば、背の高いノーラッドが、薄茶色の愛らしい瞳をした、目つきの良いヒルダに、
「俺が騎士になったら……結婚してくれ!」
などと言っていたのだ。
だから今、ネフェルカーラの目つきが三割ほど悪くなっていたとしても、致し方ない事であろう。ノーラッドだったら、永遠の命を失っても良いかな? と、ほんの少しだけ思っていたのだ。
ちなみに、ネフェルカーラがそう思うことは、半年に一度位、ある。わりと頻繁なので、相談されるエレノアは、「またか……」と思い、話の大半を聞き流すのが常だった。
それはともかく、ネフェルカーラの装備は短剣二本と弓一つ、矢が二十本といったところだった。魔法を使ってしまえば獣を容易く屠れるが、流石に妖精が住まう森で、防御以外の魔法を行使する気にはなれなかったのだ。
寒がりながらネフェルカーラが雪道を歩くと、自分以外の足跡が、森へと続いている事に気がついた。
「今日の様な日に狩りに出るとは、命知らずな事だな」
そうネフェルカーラは一人ごちたが、完全に自分を棚に上げている事には気がつかないようだ。
そうは言っても足跡はそれ程大きくなく、とすれば十五、六歳の少女と思われる。
思えば、他人事ではない。心配が募ってきた。
こうして歩く速度を上げたネフェルカーラは、森の入り口を少し過ぎた所で、無謀な少女と合流することが出来たのである。
「ナタリーではないか。雪が未だ降っているというのに、狩りに出るとは感心せんな」
ネフェルカーラに呼ばれた少女は、先に進むことを躊躇うような仕草をしていたが、後ろからいきなり声をかけられた事に驚いたのか、飛び上がっていた。
「ネ、ネフェルカーラ! 違うよ! 狩りじゃなくて、一昨日狩りに出たヒルダ姉を探してる!」
少女は、赤毛を毛糸の帽子で包み込んで、快活な印象だ。身長もネフェルカーラと変わらない。
尻餅をついて雪を凹ませながら、ナタリーと呼ばれた少女は、褐色の瞳をネフェルカーラに向けて口を尖らせていた。
「ヒルダ? まさか、森で行方不明になったのか?」
僅かに口元が歪みそうになるネフェルカーラは、未だに僻んでいる。しかし、流石にそのまま消えてしまえ! と思う程には腐っていない。村人は、なんだかんだで彼女の家族なのだから。
「そうなの。昨日も帰って来なかったし、私、心配で」
不安そうなナタリーは、縋るような瞳を緑眼の美少女に向けた。
なんでネフェルカーラは、口の両端が吊り上っているのだろう? と疑問に思ったが、口調は心配気で、頭も優しく撫でてくれたので、それは気にしない事にした。
「うむ……そういう事なら、私も共に探そう。こう寒くては、命に関わるかもしれんし、妖精の仕業かもしれん」
◆◆
「たいくつ」
針葉樹の枝に腰掛けながら、纏わりつく雪を払うアエリノールは、いつにもまして不機嫌だった。
「そう言われてものぅ~。そうじゃ、かくれんぼをやらんか?」
金色に輝く幻界と、白一色の色彩の無い現界。
アエリノールは先ほどから、交互に世界を移動して遊んでいる。けれど、どちらであっても、アエリノールには新鮮味のない森だった。
足をぶらぶらと揺らすアエリノールに声をかけた者は、森を形成する「木」そのものともいえる木霊である。けれど、木霊に「かくれんぼ」などと言われても、「はい、そうですか」と遊べるものではない。大体、「木」がどうやって隠れるというのだ。
アエリノールだって、その程度の事は気がつくのだ。だから、唇を尖らせて、ジットリした目を木霊に向けて、言い放ったのである。
「切り倒しちゃうよ?」
「おお、なんと恐ろしい事を!」
木霊は、
「こんな子に育てたつもりはないのに」
と、切実に思っていた。
優しくて、教養のある良い子に育てているつもりであった。
アエリノールが生まれた時は、歓喜したものだ。
通常の妖精ならば、妖精からしか生まれ得ない。しかし、彼女はこの森が生んだ生命なのだ。
即ち、この森が彼女であり、彼女こそが森の全て。妖精の真祖たる上位妖精が彼女なのだから、それはもう、森を守る神を崇めるかの如く、木霊はアエリノールを大切に育てているのだった。
なのに、彼女が生まれて間もなく百年。
身長体重が人間の幼児並なのは仕方が無いとしよう。通常の妖精と比べれば、彼女は信じられない程に長命なのだから、肉体の成長が遅々として進まないのは許容範囲内だ。
しかし、この言動はどうだろう?
「ワシか? ワシの育て方がおかしかったのか?」
大森林でも長老各である木霊が、人化して頭を抱え込む。
「あひゃひゃひゃひゃ!」
アエリノールはその姿をみて、木々を器用に飛び移りながら大笑いであった。
しかし、アエリノールに悪気はまったくない。
生まれながらに強く、敵する者とて居ない存在。そして、誰もが羨望の眼差しを向ける存在。それが彼女である。
ある意味で、とても真っ直ぐに育っていただけなのだ。
第一、いくら強くても、未だ身も心も幼児である。それが、人を育てた事の無い木霊には分からなかっただけの事。
暫くアエリノールが木々を伝って移動していると、眼下に漆黒の服を着た、陰気くさくて目つきの悪い少女が現われた。もう一人の少女は、後について、怯えたように小さくなっている。
森の入り口付近で、狩りでもするのかな?
けれど、人は森へ干渉しないハズじゃなかったっけ?
アエリノールは、未だ深々と降る雪をその身に受けつつ、この場が現界である事を忘れていた。
だから、灰色をした麻の貫頭衣にあるポケットから、どんぐりを一つ取り出して、食べながら考える。
「はいじょ? はいじょかな?」
木霊の長老に教えられた事は、森は森の民の聖域であり、人が闇雲に立ち入るべき場所では無いという事。ことに、幻界に立ち入った者は、即刻処断すべし。だが、現界ならば、生きる糧を得る為という限定付きで、ある程度は認めている、ということ。
「ああ、だから、けいこくかな? 妖精がいるぞって、けいこくかな? あれ、でも、ここはどっち?」
妖精ならば、弓を射て威嚇するらしい。けれど、今のアエリノールには弓がない。
弓が無くても、矢が無くても投げられるもの……。
「どんぐりっ! でも、『けいこく』や『いかく』ってなんだろ?」
もう一つポケットからどんぐりを取り出して、黒衣の人物に、魔力を込めて投げつけるアエリノール。
けいこくってなんだろ? と思うくらいだから、アエリノールが相手の頭部を狙って、全力でどんぐりを撃ち出したのは言うまでも無い事である。
無邪気な必殺のどんぐりは、ライフル銃もかくやという勢いで、螺旋すら描き、空を裂いて驀進した。
「いかくっ、いかくだよっ!」
どんぐりは黒衣の人物、ネフェルカーラの側頭部に命中し、彼女はこめかみから血を流している。
手の平で即頭部を押さえ、一瞬だけよろけた彼女は、ついで樹上で踊るアエリノールを見つけ、弓を構えて矢を番える。
だが、彼女は僅かに目を細めると、弓を下ろし、小さく呪文を詠唱した。
――瞬間――
アエリノールの身体は銀色に輝く鎖に縛られ、地上に落下した。
そして、雪に埋もれるアエリノールを強かに蹴り上げる足は、やはり黒い長靴であり、今や緑眼の美少女が、幼いアエリノールを見下ろしている。
「い、いかくだよっ?」
もがくアエリノールは、身体を蹴られても然程の痛みを感じない。それは、彼女が常に持つ防御結界故の事ではあるが、この際は、ネフェルカーラの怒りの炎に油を注ぐ役割しか果たさなかった。
「威嚇で人を殺す気か?」
事実、アエリノールの飛ばしたどんぐりは、ネフェルカーラが相手でなければ頭蓋を貫通し、人を即死させていたであろう威力である。
ネフェルカーラが無事であったのも、アエリノールと同じ防御結界の故ではあるが、痛いものは痛いのだ。それに、もしもナタリーに当たっていたらと思えば、不安にもなった。だから、怒りが収まる訳も無い。
だが、相手が子供だと思えば、僅かに蹴る足の力が弱くなるが、これとて懲罰である。だから、止める事は無かった。
蹴られながらネフェルカーラを見つめるアエリノールの碧眼は、大きく見開かれているものの、決して恐怖に歪んでいるという訳ではない。むしろ、興味の色が強かった。何しろ、アエリノールは始めて半透明ではない「人」というものに出会ったのだから。
耳の形や髪の色こそ違っても、その姿かたちは自分と酷似している黒髪の少女。
何より、なんてキレイな人なんだろう。
そう、アエリノールは恍惚とした瞳をネフェルカーラに向けていた。
一方で、潤んだアエリノールの碧眼に不気味な影を見出したネフェルカーラは、口の中で呟いている。
「なんだ、こいつ。気持ち悪いぞ」
蹴られながらも、どんどんネフェルカーラを好きになってゆくアエリノールは、現代ならばドMと呼ばれるだろう。しかし、彼女達の世界にその価値観はなかった。
ともかく、いてもたっても居られなくなったアエリノールは、魔力によって練りこまれた銀の鎖を容易く断ち切ると、立ち上がって自己紹介を始めた。
「わたし、アエリノール。この森の、ええと上位妖精だよ! あなたはここに、何をしにきたの?」
ネフェルカーラは、自分の腰程しかない身長の幼女が上位要請だと名乗った事に驚き、ならば自身の作り上げた鎖を断ち切る魔力も頷ける、と納得もしていた。
それに黄金の髪も、人のそれと比べれば、明らかに輝きが強い。瞳も澄んだ青色で、輪郭はふっくらしていても気品さえ感じさせるし、何より長く尖った耳は、間違いなく妖精のものである。
ならば、このモルタブの森の化身ではないか。
そう思えば、例え幼児でも、無下には出来ないネフェルカーラである。出来るだけ礼節を守りつつ、用件を伝える必要があるのだ。
「魅了」
しかし、その前に、例え上位妖精であっても幼女であっても、精神操作は忘れない緑眼の魔術師である。
(蹴られた事は忘れてもらい、どんぐりをぶつけた罪の意識だけ持っていてもらおうか)
多少やり方がゲスなのは仕方がない。ネフェルカーラは身内以外に手段を選んでやるほど、お人よしではないのだ。なにより、そもそもが魔族なのだから、非道な事をしている方が口元も綻ぶ。
それに彼女が真実、上位妖精ならば、この森を生かすも殺すも思いのままのはず。機嫌を下手にそこねて、村人が森へ入って狩りをする事が出来なくなれば、それが一番困るのだから。
「うむ、私はネフェルカーラ。メンヒ村の魔術師だ。
実は今、私の村では食料が不足していてな。森の主殿には申し訳ないが、狩りをさせてもらっておる」
「ん? ネフェルカーラ! 良い名前だね! 好きっ! ほえ~食べ物? 木の実なら、いっぱいあるよ!」
間延びした声で、ネフェルカーラに見惚れる碧眼の幼女は、ポケットから大量のどんぐりを取り出した。
これは、彼女にとって主食であり、武器であり、おやつである。つまり、とても大切なものだ。
しかし今、彼女には決して惜しいものではなかった。何故ならば、目の前の、初めて会った美しい人と全力で仲良くなりたいのだから。
それにしても、身体の力が抜ける。ネフェルカーラから視線を逸らす事が出来ない。あれ、わたし、なんで彼女にどんぐりをぶつけたんだろう? ああ、ごめんなさい。
魅了に掛かったアエリノールは、なんとそれでも、ネフェルカーラの精神支配は跳ね除けている。
「全部、あげるね!」
そして、二つのポケットに詰めたどんぐりを八十個ほどネフェルカーラに手渡すと、アエリノールは自分のしでかした罪の重さに慄いて、再び樹上の人となり、現界から幻界へと転移してゆく。
その目には涙を溜めて、黒髪の愛しい少女に、なにか、もっと良いモノをあげて許しを請わねばならない、と思っていた。
(だから、急いで獲りに行かなくちゃ!)
何を獲りに行くかは決めていなくても、とにかく何かを獲りに行き、ネフェルカーラに献上するのだ! アエリノールは、そう固く決意をしたのである。
対して、ネフェルカーラは唖然として、空いた口が塞がりそうもなかった。
「いや、欲しいものは、どんぐりではないのだが。それに話も、まだ……おいっ! なんなのだ、魅了が効かんのか?」