第7話 4月12日 (火) 後輩パート
昨日の朝は、家庭科の本を見ながら、真面目に、目玉焼きとか野菜炒めとか味噌汁とか作ったから、朝からぐったり疲れてしまった。
でも、しのぶ先輩が昨日、
「そんなの、てきとーにくだもの切って、パンでも焼いときゃ十分よ」
って言ってくれたから、今日の朝ごはんはりんごを剥いて、バナナを一口サイズに切って、パンをトースターに放り込んで、ジャムとバターとオレンジジュースと牛乳を出した。
昨日にくらべてだいぶん楽だった。
昨日の晩もあんまり寝られなかったから、朝は胃がむかむかして、ほとんど食べられなかった。顔がむくんでる感じもする。
ご飯が終わって、食べられなかった果物をしまおうと冷蔵庫を開けたら、先輩がくれたケーキとかの残りが見えた。まだたくさん何種類もある。
胃の調子が悪いから今からは食べられないし、古くなる前に父にも分けてあげた方がいいんだろうけど、お店で買ってきたお菓子とかなら父と分けても、先輩から貰ったのは誰とも絶対分けたくなかったから、鍋とかタッパーとかでガードして見つからないよう奥の方に隠してある。
ご飯を食べ終わったあたりで、昨日はお昼のお弁当が無かったのを思い出したから、急いで身支度をして、近所のコンビニに寄ってお昼を買ってから学校に行くことにした。
コンビニでお弁当の棚を見てみたけれど、量が多そうに見えたし、おいしくなさそうだったので、三角形のサンドイッチにした。
父は昼ごはん代に千円札をくれたので、ペットボトルのお茶を買ってもまだお金が全然あまっていたから、おやつの棚のほうを見てみる。
昨日の夕方、学校の帰りに寄ったスーパーのお菓子の棚の前で、しのぶ先輩は『正しいクッキーの選び方』というのを教えてくれた。
『雪ちゃんにクッキーの正しい選び方というものを教えてあげましょう! はい拍手! ……えー、そんなに難しいことじゃないんだけどね。お菓子の外箱に書いてある原材料表示を見るの。
まず値段が高くても美味しいクッキーを食べたい場合は、ここにバターって書いてあるものを選ぶのよ。原材料でバターがたくさん入っているクッキーは、大体は割高だけど美味しいの。デパートなんかに売ってる贈答用のクッキーなんかがそうね。
それで、そんな高くて美味しいのじゃなくても、別に普通のクッキーでいいやってときは、原材料でバターのかわりにショートニングが入っているものを選ぶの。値段もバター入りクッキーほどは高くないし、味だってまずくはないわ。スーパーとかで売ってて、一般家庭で普通におやつにして食べるぶんね。
それからね、原材料にバターでもショートニングでもなくて『植物性油脂』とか書いてある場合は大体あんまり美味しくないことが多いわ。ぜんぶの商品を味見してみたわけじゃないから一概には言えないけれど、わたしの経験上は安いかわりにマズいことが多かったわ! ほら100円ショップとかで売ってるあんまり美味しくないクッキーとかよ。
シフォンケーキなんかだと油は、サラダ油とか使うのが普通で、それで美味しくできあがるのに、クッキーの場合はバターじゃないとマズいのよ。不思議!』
さすが先輩は、通学鞄の中とか、ポケットの中とか、あっちこっちにおやつを隠し持ってるだけあって、お菓子にはくわしいみたいだった。
お菓子の棚のクッキーをあれこれひっくり返して、パッケージを見てみたけれど、ショートニング入りのがほとんどだった。
でもひとつだけバター入りのがあって、ちょっと高かったけど、おいしいらしいし、ひょっとしたら放課後とかに部活でしのぶ先輩とかと一緒に食べたりするかもしれないから、バター入りのを買った。
コンビニでクッキーを色々見てたから、ちょっと時間を取ってしまって、時間がぎりぎりで、定期を出して改札を通ったくらいのところで電車が来たから、ちょうどいいタイミングで走り込んだ。
走り込んだ先に昨日のスーツの男がいて、冷や汗が出そうになる。
どっちに逃げようかときょろきょろしたら、座席に座っている、しのぶ先輩の姿が見えた。そっちに寄っていって挨拶すると、笑顔で迎えてくれて、少し寄って座る場所を開けてくれた。
「お菓子どうだった?」
言われて、まだお礼を言ってなかったのに気付いて慌てる。
「すごく美味しかったです」
ほんとうに美味しかった。
ガトーショコラに、一緒に入れてくれていた生クリームを付けて、気分を出すために、引っ越しの段ボールを漁ってティーカップを出して、これも一緒にいれてくれていたティーバッグで紅茶をいれて、食べたり飲んだりしていると、すごくのんびりした気分になった。
こんなにくつろいだ気分になったのは、こっちに引っ越してきてから初めてだと思う。
でも言葉にしたら、すごく美味しかったとしか言えなくて、もどかしかった。
そうして、おしゃべりを始めて5分もたたないうちに、ものすごく眠くなってきた。
なんだか先輩の横は安心するからかもしれない。
でも昨日の帰りの電車でも寝ちゃったし、今日も寝てしまうと、なんだか先輩と顔をあわせるたびに寝てるみたいな感じで、ちょっと失礼かなと思ったから、起きてようとしたけど「着いたら起こしてあげるから寝てたら?」って先輩が言ってくれた。
でもそんなわけにいかないから起きてようとしたけど、
「我慢しなくていいの」って言われて、体を引き寄せられて、頭を肩にもたれさせられると、もうどうしても我慢できなくなって寝てしまった。
◆
『桜ヶ丘』っていうアナウンスが夢うつつに聞こえると、体が揺さぶられて、先輩が起こしてくれた。
目を開けると、うちの学校の高等部の制服を着た人が三人、目の前に立っていた。
昨日、しのぶ先輩と一緒にいた人たちだった。
寝起きでぼーっ、として見上げていると、三人のうちのボブカットの人に、
「おはようさん」って挨拶をされた。
たしか……昨日の部活動紹介の時間に、格闘技の部活の紹介で出てきて、キックで木の板を割ってた人だったと思う。
あとの二人は、昨日入った図書文芸部の先輩の西島先輩、それと、とても大柄で確かソフトボール部の部活動紹介にでてきていた先輩だった。
慌てて立ち上がって挨拶を返して、それから駅のホームに降りて、改札に向かおうとしたところで、
「ちょい待ち」ってしのぶ先輩が言って、鞄からクシを出して髪を整えてくれた。先輩にもたれてたところが乱れてたみたいだった。
そしたら、格闘技のほうの先輩が、
「私も私も! さあ、さあ!」とか言いながら寄ってきた。
「鈴木のは別に乱れてないでしょーが」と先輩が返して、そうだ、格闘技の人は、鈴木って名前の人だったと思い出した。
「いーや、乱れてる、っていうかいま乱す!」
「わけのわからんことをゆーとらんでもう行くよ」
って先輩が言って、私の手をひいてくれて歩き出した。
「のおおぉぉ!? 私にも愛をぷりーず! そう、髪が乱れてるかどうかではなくてそのクシに籠った愛を! ギブミー愛を!」
鈴木先輩はそう叫ぶと、小走りで私達に追いついて、がばっと両手を広げて先輩に抱きつこうとして――なぜか方向転換をして私に抱きついてきた。
「……え、なんで私のほうにくるんですか!?」
鈴木先輩は私を後ろからがっちり拘束しながら、
「なんでだろ? 強いていえばユキちゃんに注がれた愛情を私に転写? ていうかさ、しのぶに抱きつきすぎて最近ちょっと嫌われ気味だしー」
とか言って私の髪をクンクンし始めた。
……なんかこの人は色々と駄目な人な気がする。
っていうかちょっと不気味なので『やめてください!』とかきつい感じで怒鳴りつけても大丈夫かな。とか考えていると、頭上からゴンッ、というけっこう大きな音が聞こえて、何かと思っていたら、鈴木先輩が頭を抱えてうずくまってしまった。
見上げるとソフトボールのほうの先輩がこぶしを握って立っていた。
「な、なにするだ!?」
涙目で抗議する鈴木先輩に、ソフトボール先輩は「セクハラし過ぎ」と答えてから、私のほうに向きなおると、
「この鈴木ね、レズっぽい人で、こういう人だから気ぃつけるんだよ」
そう言って、それから鈴木先輩をずるずると引きずっていった。
「あーっ、第三者から勝手にカミングアウトとか無しですって!」
「うるさい。こないだまで小学生だったような子に迷惑かけるんじゃないの」
わあわあと騒ぎながら遠ざかっていく二人を、さすが高校生ともなると変わった人がいるもんだと思いながら眺めていると、しのぶ先輩が、
「遠藤は体も大きいし性格も姐御系だから頼りになるよ」
と教えてくれたので、ソフトボールの先輩は遠藤っていう名前だったと思い出した。
「鈴ちゃん……鈴木もね、スキンシップが激しいからちょっと鬱陶しいってことを除けば悪い子じゃないわよ」と西島先輩も補足してくれた。
◆
今日から授業が始まったけれど、といっても最初の授業は先生との顔合わせだけで、先生の自己紹介とお話だけで済んでしまう。
楽でいいとも思うけれど、時間のムダという気もする。
昼休みには、昨日しのぶ先輩とご飯を食べたベンチに、今日もしのぶ先輩が来てるかもしれないから、ちょっと覗いてみたかったけど、あんまりクラスで浮くのも良くないし、前の席の勝浦さんが、一緒にお弁当食べよ? って誘ってくれたから、近くの席の子と四人くらいで昼ご飯を一緒に食べた。
私は県外から来てるから、もとから知ってる子はひとりもいないし、クラスで馴染めるか、ちょっと不安だったけど、とりあえず安心できた。
しのぶ先輩もそうだけど、優しい人が多いみたいで、いい学校だと思える。
昼休みが終わるとすぐ授業で、昼ご飯の後が掃除になっていなくて、掃除は授業が全部終わったあとにすることになっていた。ここは小学校と違うとこだった。
掃除が終わってホームルームが終わると、お昼ご飯を食べたメンバーで部活を見学に行こうって話になったけど、私がもう入部したって言うと、わりと驚かれた。
一応、図書文芸部にも「見学にでも来る?」って聞いてみたけど、みんな文芸とかはあんまり興味ないみたいで別にいいって言われた。
そう言われたときに、なんでかすごいホッとして、自分でもびっくりした。
別の部活の見学に行くみんなと別れて、部室の図書準備室に向かいながら、なんでだろう? と考えたけど、たぶんクラスメイトと一緒にいるときと、しのぶ先輩と一緒にいるときでは、着けてる顔が違うんで、クラスの子にはそういう顔は見られたくないんだと分かった。
それは、別の言い方をすれば、しのぶ先輩には甘えてるってことになるんだろう。
そしてそれをクラスの子に見られるのは恥ずかしい、と。
ていうか、しのぶ先輩と初めてあってから、まだ一日くらいしかたってないのに、甘えるってなんなんだと自分で思う。
でも、部室に向かう自分の足がどうしても小走りになってしまうのは止められなかった。