第6話 4月11日 (月) 午後 先輩パートその2
わたしの肩に頭を乗せて、すうすうと寝息をたてているユキちゃんを横目に眺めながら、ひどく満ち足りたような気分になった。
なんでだろうと考える。
まあスキンシップが不足してたんだなと思いついた。
自分は女の子で、死んだのがお母さんだからそういうことになる。
わたし以外の家族は野郎ばかり四人で、そういう意味ではわたしは孤独だ。ブラだって自分ひとりで買いに行かなきゃならなかったし。
◆
降りる駅に着いて、車掌さんのアナウンスが聞こえてきたので、ユキちゃんを起こす。
電車を降りてそれから遠慮するユキちゃんを家まで送るからといって、一緒に歩いていく。
「ユキちゃん家から駅までは歩きでしょ?」
「はい」
「じゃあユキちゃんの家をまわって帰ったってたいしたことないわよ」
「……でも」
「デモもストライキもないの。いまさらほっぽりだして濡れて帰らせたら、学校から駅まで相合傘で歩いてきた意味ないじゃない」
はい、この話は終わり! と言いつけてユキちゃんから帰る方向を聞き出す。幸いわたしの家の方向と同じだった。
歩き始めて少したってから、いつも寄るスーパーの前を通ったので、
「あ、ちょいスーパー寄ってもいい? 晩ごはんの買い物しないとだから」
と断ってスーパーに寄らせてもらう。
魚売り場に鰆が出ていたから、もう春だよねーと思いながら刺身のパックを適当に買い物籠に放り込んでいく。それから心のままに店内をうろうろする。
「いつも先輩が晩ごはんのお買い物してるんですか」
わたしの買い物カートを押してくれながらユキちゃんが聞いてきた。
「うん、そだよ。うちお母さん死んじゃっていないから」
と答えると、ユキちゃんはちょっと黙って、私のお母さんもこのあいだ亡くなりました。と小さな声で言った。
わたしは、ユキちゃんのほうを見たけど、言葉が出てこなかった。
それならユキちゃんに触らなきゃと思ったから、とっさに左手をユキちゃんの肩にまわして、それから力をこめて抱き寄せた。
ちょうど左右に陳列棚がある通路で、あんまり人目がなくてよかったと思いながら、しばらくそうしていた。
「じゃあ、ユキちゃんも晩ごはんのお買い物にこなきゃいけないかもしれないね」
自分でもびっくりするほど、かすれた声がでた。
はい、とユキちゃんは気丈に答えた。
わたしはユキちゃんを見ていると泣きそうだったので声を励ましていった。
「そうね、夕食のしたくが一番面倒だわね! よし、今日はお姉さんが超手抜きの夕食メニューをユキちゃんに教えちゃいましょう! はい、拍手!」
ユキちゃんが小さくぱちぱちと手を叩いてくれる。
「えー、まず無洗米を買うのはアリね。無洗米ならとがなくてもいいからね。お米の袋に書いてある通りの分量で米と水を炊飯器に入れてスイッチを押すだけよ。
あ、あとね、あんまり美味しくないけど、だし入り味噌を使うのもアリよ。これもお湯の中で溶くだけで味噌汁ができるわ。具は太葱とか油揚げとかを適当に入れるの。
さらに豆腐を買えばほとんど切るだけで、冷奴か湯豆腐に、ナスはコンロ下のグリルで焼いてパック入りのかつお節をふるだけで焼きナスに。
あとレタスをちぎってトマトをくし形に切って、あと鮭の切身とかをフライパンで焼けば完璧よ。どーよこの超手抜きメニュー!」
そうやって教えてあげたら、ユキちゃんはだし入り味噌と太葱と油揚げとレタスとトマトを買っていた。
手抜き、というか簡単な料理だとグッチ裕三さんという人の料理本が他の追随を許さないわ。とか教えてあげたりしながら、お菓子コーナーをまわって十分な吟味ののち、ジャイアントカプリコとアイドルかつとよっちゃんいかとラムネとヨックモックとクッキーとコアラのマーチとビーフジャーキーとたけのこの里とコーラーを買った。
ユキちゃんがそんなに買うんですか的な目で見てきたような気もするけれど気にしないことにして、次は正しいクッキーの選び方を教えてあげた。
戦利品に満足してスーパーから出たところで、ふと思いついて、
「そういえば今日の晩ごはんは大丈夫なの?」と聞いてみた。
「はい、こっちに引っ越してきた日におばが食事を作ってくれて、そのおかずがまだありますから、ご飯だけ炊けばなんとかなると思います」とのことだった。
その後はちょっと会話のネタに困ったので、さっき話に出てきたグッチ裕三さんについて話しながら歩いた。
グッチ裕三さんがコメディアンとしていかに素晴らしいかということや、その昔、NHK教育にグッチ裕三さんが出演していた『ハッチポッチステーション』という番組があって、その『ハッチポッチステーション』は、幼児向け番組がいくつも纏めて放映される時間帯に、一緒に放映されていたのだけれど、その『ハッチポッチステーション』は、その前後の番組と比べて異様にクオリティーが高くて、幼児向け番組の枠を半分くらいはみだしていて、前後の他の幼児向け番組ラインナップからいっそ浮いたような印象があった。
とかそんな、どうでもいい話をべらべらべらべらと何かに追い立てられるみたいにして話し続けた。なんでかは知らないけど、ひどく焦ってしまって、わたしは本当に一瞬も話すのをやめられなかった。
喋って喋って喋り続けて、ときたま道を尋ねながら、スーパーからユキちゃんのおうちのほうに向かって歩いた。
ユキちゃんの家への帰り道が、わたしの家への帰り道と全然外れないので、あれ、あれ? と思っていたら、着いてみるとユキちゃんの家は、わたしの家の隣のブロックで、とってもご近所さんだった。すごい偶然にひとしきり一緒に騒いだ。
そういえば先週の週末に引っ越しのトラックを見かけたのを思い出す。あのトラックがユキちゃんの家の引っ越しの荷物だったわけだ。
ユキちゃんの家は、少し古めの平屋建て一軒家だった。
ユキちゃんが、家の玄関を開けるので鍵を取ろうと鞄を覗き込んで、会話が途切れる。
雨が降っていたから、空はひどく暗くて、わたしはユキちゃんのうしろから、傘を差し掛けながら、ドアを開けるのを黙って見ていた。
ドアが開くと家の中はひどく暗くって、ユキちゃんが玄関の三和土の壁を探ってスイッチを入れると、光が数回瞬いて、薄暗い蛍光灯が付いた。
「送っていただいてありがとうございました」
ユキちゃんが向き直ってそう言って、ぺっこりと頭を下げてくれた。
じゃあまた明日ね。
そう言えばいいだけなのに、わたしは絶句してしまって何も言えなかった。
玄関から見えるユキちゃんの家の中は、暗い蛍光灯のせいなのか、廊下に幾つか積みあがってる引っ越しのダンボール箱のせいなのか、ひどく寒々しい感じがしたからなのか、わたしは何秒か十何秒か、ちょっと不自然なくらいユキちゃんの顔をものも言えずに見つめてしまった。
そのあと、妙な沈黙を誤魔化すように、
「まだ、自作のお菓子がいっぱいあるの。よかったら食べてくれない?」
そう言葉が勝手に出てきた。
「いいんですか?」
「嫌じゃなければ。イヤ?」
「そんなことないです」
そんなことないです。っていうユキちゃんの言葉は慌てたような素早い言葉で、ユキちゃんが本当に嫌じゃないって思ってくれてるのがわかったから、心底ほっとした。
「ちょっと待ってて」
そう言って身をひるがえして家に走っていく。
自分の家の鍵を開けていると、我知らず、動物みたいな妙なうめき声がでて、涙が溢れてきた。
涙を流しながら、お菓子保存用の冷蔵庫を開けて物色する。
アップルパイ、バナナケーキ、シュークリーム、プリン、苺のタルト、ガトーショコラ、クッキー、しょっちゅう馬鹿みたいに作ったお菓子が幾らでもある。
あれもこれもそれも、あるだけ全種類。
少しずつ小分けにして詰める。最初は紙袋に詰めたけど、見栄えがイマイチで、小さなバスケットがあったのを思い出してそっちに詰め替えた。
ガトーショコラ用のクリームを小皿に入れてラップをかけて隣に添えて、クッキーを入れた小袋はリボンで留めて、食器棚に紅茶のティーバッグがあったのが見えたから、それもふたつ入れて、最後に泣いてたのがバレないように顔を洗って鏡で入念にチェックして、それからユキちゃんの家に舞い戻った。
ユキちゃんは玄関のところで、ひとりで立ったまま待っていてくれて、
「お待たせ」
わたしはそう言って、バスケットを持った手をユキちゃんに突き出した。
「ありがとうございます」
そう言ってユキちゃんはまたぺっこり頭を下げた。
じゃあまた明日ね。
と、今度はちゃんと言えたので、ユキちゃんが玄関のドアを閉めるのを確認してから家に帰った。
ひどく胸が痛んで、泣きたい気分だったから、先に晩御飯の準備をして食卓に並べて、それから部屋に戻って、もう一度泣いた。
そのまま眠りこんでしまいたかったので、そうすると夜中に目が覚めた。
リビングに降りていくと、お父さんがテレビを見ながら起きて待っててくれた。
「体調が悪いのか」から始まった、お父さんの遠慮がちで不器用で愛情深くて若干鬱陶しい探りを適当にかわしながら、晩御飯をもそもそ食べた。
スーパーで買った鰆の刺身はおいしかった。