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猫とお伽  作者: 絵の具箱
4/5

4.一音(1)




ようやく一音の登場




一音。



私の愛した人。愛してる人。



一音は死にそうだった私を助けてくれた人。

私は一音と出会った頃、人生に見切りをつけようとしていた。




笑うことのなくなった母。

帰りを待つ人がいない家に帰る毎日。

友達も恋人もいた。でも、それだけだった。

我儘だと言われてしまうかもしれないけれど、私にとってそれはとても現実味のない世界だった。



笑えるし、優等生でもいられる。

でもそれだけ。


友達と遊びに行ったり、長いお喋りをしたり

恋人と手をつないだり、キスをしたり、それ以上のこともしたりした。



彼女、彼らを嫌いではなかったし、好きだったと思う。



だけれど



いつもどこかに

一つ線がひかれていて(もしくはひいていて?)

どこか違う場所にいるみたいだったのだ。

酸素ボンベを背負いながら、立ちあがる毎日。

いつこの大量の酸素はなくなるのだろうかと考える毎日。




死にたかったわけではない。

ただ、生きてる心地がしなかった。


灰色で、ぬるい、そんな世界の中で

ずっと揺られて揺られて

ボンベの重さで沈むのが怖かった。


そうだ、きっと怖かった。



あんなに私のことを大好きだと言ってくれた父親は

大好きだった母親のことも私のことも

おいてどこかへ行ってしまった。


あんなに仲の良かった友達も

少し“ずれ”てしまっただけで

それまでの思い出はあとかたもなく消えてしまった。


あんなに愛してると言ってくれた恋人も

飽きてしまったのか、私が悪かったのか

あっさりと私の手を手放していった。



だから




私は




何を信じていいのかわからなくなった。





母親から

父親から


友達から


恋人から



もう信じて裏切られるのは耐えられなかった。


これ以上、傷つくことが怖かった。



そう



だから



だからきっと


この世界は私が望んだ結果なのだと思っていた。



私は泣かなかった。

望みもしなかったし、求めもしなかった。

この世界に生きている人たちに

弱音や愚痴をはいたりはしなかった。


だって平和なのが一番だもの。



嘘っぱちでもお腹の中で全然違うことを考えていたとしても

笑って、普通で、良い子でいるのが

周りにとっても私にとっても一番だと思っていた。




だけど



もう疲れた、と思った。

これ以上頑張り続けてどんな意味があるのか、

その先に何が待っているのか、

見通すのも、見る力も残っていなかった。



母親はいつになく泣いて自暴自棄に自分を責めていた。

友達からはいつもと違う空気を感じていた。

ひそひそと聞こえてくる小声がそれを示していた。

恋人とは別れをすませてきた。



「もういいでしょう?」


と、誰に言うでもなく呟いて

私は学校の屋上にいた。


屋上とは仲が良かった。

屋上は私に話しかけたりしない。感情もない。

だから仲良くなれた。



進んでいく。まっすぐに。

いつもは越えない柵を越えて

空と向き合う。



晴れ渡ったりしていない灰色の空。

私とよく似た空。






片足を浮かせた。

怖くは、ない、と言い聞かせて。





その時




「君は死んでる。だから死ぬ必要はないんだよ。」



柵の外にいる私は

片足を宙に浮かせた私は


私は抱きしめられていた。




死ぬ気でいたのに

本当に死ぬ気でいたのに

「おかえり。」と言われた私は

温かな腕の中にいた私は



死にたくないと思った。

もう一人ぼっちは嫌だと思った。



だから言った。



「ただ、いま。」



「ただいま。」



「うん。」



どうして他人にここまで言えたのかはわからないけれど

どうして他人がここまでしてくれたのかはわからないけれど

見ず知らずの男は私を抱きしめたまま世界の中にいれてくれた。





私は



私は



何十年ぶりに聞いた自分の泣き声と共に

背中に背負った酸素ボンベが

私の代わりに地面に落下していく音を聞いた。





一音。



私を初めて死人だと気づいて

そこから

私に「生」をくれた人。





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