霧の部屋ー終ー
これは二人の姉妹の生死の境
ハッ、と胸が跳ねる。
篠崎月子は不意に目を覚まし、息を浅く吸い込んだ。
……白い。
視界に広がるのは、壁も床も天井も、何もかも白で塗りつぶされた密室だった。
ただ一つだけ色があるもの――天井から吊るされた小さな豆電球。薄い光を揺らしながら、部屋をぼんやり照らしている。
「……ここ……どこ、なの……?」
囁くような声が震えた。
体を起こしたとき、ふわりと柔らかい布が太ももに触れ、月子は反射的に自分の服を見下ろした。
メイド服。
黒い胸元のフリル、白いエプロン、長いスカート。
自分の体にまるで似合っていない可愛らしいその衣装が、ぞわりとした羞恥を呼び起こす。
「……え、や、やだ……なんで……こんなの……」
頬が熱くなる。
スカートの裾を握りしめ、思わず膝を寄せる。胸元のリボンがかすかに揺れ、その動きがいつもの自分と違う“誰か”の姿を見せつけるようで、胸の奥がざわついた。
だが恥ずかしさより先に、状況への恐怖が込み上げてくる。
――ここはどこで、誰が自分にこの服を着せたのか。
月子はまず扉へ近づいた。
木製で天使の絵が金の装飾で描かれている扉……、扉は冷たく、無機質で、まるで外界を拒絶するかのようにそこにあった。
取っ手を握る。
ゆっくり回す。
……動かない。
もう一度、力を込める。
ガチ、ガチッ。
中から頑丈な鍵がかけられているようだった。
開く気配すらない。
「嘘……閉じ込められて……」
心臓がくぐもった音を立てる。
嫌な汗が背中を伝い、急に呼吸が浅くなるのを感じた。
部屋の中を見回すと、中央にぽつんと木のテーブルが置かれている。
月子は足元を慎重に確かめながら近づいた。
この部屋には家具が“意図的に”置かれている――そんな気配がした。
テーブルの上には紙と、赤黒くどろりとした液体が入ったワイングラス。
しかし月子はすぐには紙を読む気になれなかった。
なぜなら、テーブルの裏側が妙に気になったからだ。
彼女は屈み込み、スカートを押さえながら覗き込む。
恥ずかしさで耳まで熱を帯びていたが、それ以上に胸の奥の警戒が勝っていた。
その裏側に――それはあった。
「鬼は外」
赤い絵の具が垂れるようにして、雑に書かれた文字。
まるで誰かが血をこすりつけたようでもあり、嫌な湿った感触が残っているような生々しさがあった。
「……どういう……意味……?」
声が震えて喉に張り付く。
節分の掛け声のはずなのに、ここでは不吉にしか見えなかった。
再び立ち上がると、頭がくらっと揺れる。
吐き気が波のようにこみ上げ、視界の端が滲む。
そのとき――
シュー……
空気が漏れるような音が耳をかすめた。
部屋のどこかで、何かが放出されている。
胸が急に重くなり、指先が微かに痺れる。
「……っ……なに、これ……!」
慌ててテーブルの紙へ手を伸ばす。
震える指で文字を追った。
『この部屋には毒霧が散布されている。
目の前の飲み物はこの毒そのものだ。
しかし、飲み干せば目の前の扉の鍵が出る。
どうするべきか、君が選べ』
体がじわじわと痺れていくのは、気のせいではない。
呼吸が浅くなり、膝が震え、心臓がゆっくりと締め付けられる。
怖い。
怖い。
怖い――!
月子は裏返した紙の裏側に文字があることに気づく。
『この部屋は“今の君”を象徴している』
「い……まの……わたし……?」
意味はわからない。
しかし、豆電球の揺れが先ほどよりも大きくなり、光が不安定にちらつく。
意識が遠のく。
――死にたくない。
その思いだけが、濁った視界の中で強く光った。
月子は震える手でワイングラスをつかむ。
赤黒い液体がゆっくりと揺れ、まるで飲まれる瞬間を待っているようだった。
「怖い……でも……!」
覚悟を決め、一気に喉へ流し込む。
鉄のような味が舌を刺し、胃が反転しそうな感覚が襲う。
カチン。
扉の向こうで鍵の外れる音。
体を支えきれず、月子は這うようにして扉へと向かった。
手が震えて取っ手をつかむのに数秒かかったが、どうにか押し開けた。
その瞬間――
白ではなく、夜の草原の色が広がった。
満月。無数の星。
優しい風。
さっきまでの痺れも苦しさも、嘘のように消えている。
「……ここ……懐かしい……」
理由もわからず、涙がこぼれそうになる。
背後から白い鳥がピィーと鳴き、星空へ羽ばたいた。
遠くに川が流れ、その向こうに小さな扉が見える。
月子は無意識のまま川へ近づく。
そのとき。
「月子!!」
誰かの声が――確かに聞こえた。
はっとして振り向く。
だが、背後に見えたはずの白い部屋には、もう誰の気配もない。
ただ、止まった豆電球だけが揺れていた気がした。
月子は川を渡り、扉を開く。
その瞬間、背後で豆電球が役目を終えたように――
ふっ……
と、灯りを落とした。
ーーーーーーーーーーーーーーー
――闇だ。
目を開けたはずなのに、視界を覆うのは夜よりも深い、光の欠片すら存在しない闇。
それでも私は、その中を走っていく妹の月子の姿だけは、はっきりと見えていた。
黒と白を基調としたメイド服……その裾が風に揺れ、月子の足が必死に地面を蹴る。
あの子の髪だけが、暗闇の中に淡い光を生んでいるようにさえ思えた。
「月子……?」
声が自然と漏れる。
喉がやけに乾いて、呼びかけはかすれて聞き取りにくいほど弱かった。
でも、それでも彼女の背に向かって絞り出す。
「月子!!」
その瞬間、月子の動きがぴたりと止まる。
闇の中で、彼女だけが影のように輪郭をもつ。
振り向く――と思った。
だが違った。
月子は、ただ足を止めただけだった。
そして次の瞬間、彼女の姿はゆっくり、ゆっくりと闇へ溶け込むように薄れていく。
「待って……! 行かないで……!!」
伸ばした手は空を切り、闇は何も返さない。
――消える。
彼女が完全に闇へと沈む、その瞬間。
私は目を覚ました。
天井。
白い蛍光灯。
鼻を刺す消毒液の匂い。
病院のベッド。
視界がぶれた。
気づけば頬をいくつもの涙が伝っていた。
「……っ、うそ……やだ……なんで……」
胸が痛い。
息が苦しい。
夢の残滓が、心臓を爪で引っ掻くように痛んだ。
現実が波のように押し寄せる。
月子の名前を呼んだ声だけが、まだ喉に残って震えている。
ふと横を見ると、隣のベッドは空だった。
こんな感じでストーリーを展開していきます!
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