第6話「缶コーヒーと、冬のホーム」
夜のホームには、乾いた風が吹き抜けていた。
吐く息が白く浮かんで、すぐに消える。
人影もまばらな午後九時すぎ。仕事帰りの誠は、コートのポケットに手を突っ込んだまま、自販機の前に立っていた。
指先でボタンを押すと、ガコン、と缶が落ちる音。
取り出した缶コーヒーは、熱すぎずぬるすぎず、手の中にちょうどいい重さを残す。
蓋を開けると、ほろ苦い香りが鼻をくすぐった。
「……この匂い、懐かしいな」
思わず呟いたその瞬間だった。
「——それ、私も好きなんです」
振り向くと、そこに佐久間が立っていた。
グレーのマフラーに埋もれた顔が、少し赤い。
どうやら仕事帰りらしい。手には同じ銘柄の缶コーヒー。
「え、佐久間くんも?」
「ええ。これ、安いのに妙に落ち着く味で」
「確かにな。変に甘くなくて、ちょっとだけ苦い」
言葉を交わしながら、二人はホームのベンチに腰を下ろす。
風が吹くたび、足元をかすめる冷気。
けれど、手の中の缶は温かくて、少し救われる。
「……俺さ、前にもこれ飲んだことあるんだ」
「え?」
「妻と。あいつ、寒い夜に限って外で飲みたがるんだよ。『缶コーヒーは風の中で飲むとおいしい』ってさ」
笑いながら言うが、声の奥に、わずかな寂しさが混じった。
佐久間は静かに頷き、缶を見つめる。
「……きっと、あの人も“お疲れさま”って言ってますよ」
その言葉に、誠は少しだけ笑った。
風がまた吹く。
ホームの照明が揺れて、二人の影が長く伸びる。
電車の到着を告げるアナウンスが流れた。
ホームの端から光が近づいてくる。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「はい。また、“ゆる飯”誘ってください」
「もちろん。次は……そうだな、焼きそばパンでも食うか」
冗談まじりにそう言うと、佐久間が吹き出した。
その笑い声が、冷えた夜気の中で、少しだけ暖かく響いた。
発車ベルが鳴る。
誠は電車に乗り込み、扉が閉まる前にもう一度、手を振った。
ガラス越しに見たホームの佐久間は、まだ缶を握っていた。
その缶の湯気が、まるで小さな灯のように揺れていた。
---
> その夜、誠は思った。
“温かいのは、コーヒーのせいじゃない”
冷たい冬に、人の声があること。
それだけで、少しだけ生きやすくなるのかもしれない。




