55 アーネストとジス
しばしの沈黙。
「弱き者は去れということだろうか?」
「ヴィラージュは安全ではない」
ジスの口調は静か。だが、事実だと言わんばかりの揺るぎなさがあった。
「魔境には恐ろしい魔物が多くいる。安全な場所に移ればいいだけだというのに、アーネストが来て変わってしまった」
もう住めないと感じていたはずの人々は、まだヴィラージュに住めると思った。
魔物や強い植物は自分たちの生活を脅かす存在だったが、活用すれば豊かで楽な生活を送れることを知った。
互いに邪魔者扱いしていた獣人やエルフと交流して、力を合わせるようになった。
ヴィラージュ側、人間側から見れば良いことばかり。
猫族、ウサギ族、エルフも良い方に変わって来ていると感じている。
平和に仲良く暮らせる。もっと豊かに、幸せになれそうだと期待している。
しかし、それは現在のことしか考えていない。将来を見据えていないとジスは言った。
「私は魔人とエルフのハーフだ。長命種だけに、短命種よりも長く生きる。だからこそ、未来がどうなろうが、自分は死んでしまうために関係ないとは思わない。生き続けているはずの遠い未来を見据えて考える」
「それはわかっている」
フォレスト・エルフは森やその恵みを大切にしている。
それは自分たちが森と共生しているからでもあるが、短絡的な行動によって住処や食料を失わないようにするため。
人間はせいぜい百年が寿命だが、長命種のエルフはそれ以上に生きる。
その間に恵みを失うようなことをするのは愚か、自分たちの未来を閉ざしてしまわないためだという考えに基づいていた。
「私はフォレスト・エルフの町を離れて旅に出た。何かと居心地が悪かったというのもあるが、広い世界を見たかった。多くのことを学びにいった」
世界は広い。人間が住める場所は多くある。
それらの土地で暮らせばいいだけ。
わざわざ魔物が出る場所を開拓し、強い魔物やバランスが崩れた自然の猛威に蹴散らされるような未来を選択する必要はないとジスは言った。
「ここに残るのは自滅を望むのと同じだ。戦略的撤退という言葉を知っているかな? そうすべきだよ。それが利口で賢明な判断だ」
「ヴィラージュから人間がいなくなると、いずれ草原は森になり、より多くの魔物が生息する場所になる。すると、今度はヴィラージュに隣接した地域に住む人間が、やはり少しずつ避難していくということにならないか?」
「なるかもしれない。だけど、アーネストたちはそこまで見届けることはできない。短命種だからね。森林火災があっただろう? あれがもっと大規模だったらどうする? 草原が火の海になれば、ヴィラージュの人々も死んでしまう。もっと安全な場所へ行った方がいい。通常植物が多くある場所へ。そうすれば、魔物との距離ができる。遭遇する機会が減って、安全度が高まる。人間が移動するだけで、魔物と共存できる」
アーネストは考え込んだ。
「それほど言うということは、森の奥にかなり強い魔物がいるのだろうか?」
「当然だよ。何もいないわけがない」
「どんな魔物だろうか?」
「教えない。教えると、見たい知りたいなどと言って、わざわざ死にに行く者がいる。あまりにも愚かだ。アーネストは愚かではないだろう?」
「わからなくはない。だが、どれほど危険な場所でも離れたくないと思う者がいるのも確かだ。フォレスト・エルフもそうではないか? 森から離れない」
「フォレスト・エルフは愚かだ」
ジスは答えた。
「でも、滅びを受け入れた上で残っている。放っておけばいいよ」
「人間のことは放っておかないのか? エルフから見れば弱い種族だ。勝手に消えるだけだと思わないのか?」
「思うよ。あと少しで、人間は全員いなくなるはずだった。でも、未来とはわからないものだね。真っ先にいなくなりそうな人間のせいで、エルフも、猫族も、ウサギ族もまだここに残れると思っている」
「以前よりも状況が良くなっている気がする。種族を超えて交流し、この地で生きて行こうとしている。それを愚かだと決めつけるのもまたどうかと思う」
「アーネストはここに残りたいようだね?」
「ヴィラージュで生きる者を守るのが私の務めだ。考えてみてほしい。移住したところで、豊かで楽な生活を送れると思うのか? 魔物の脅威は少なくても、貧しくて苦しい生活であれば、人々は幸せになれない」
どうすれば人々が幸せになれるのかはわからない。
だが、ヴィラージュに残り続け、努力してみるのも選択の一つであることをアーネストは伝えた。
「話はした。あとは自由にすればいいよ。自分の人生を決めるのは自分だからね」
「ジスはどんな人生を?」
アーネストは尋ねた。
「行商人をしているんだろう?」
「そうだね」
「商売が楽しいのか? それとも珍しいものを手に入れるのが好きなのか? 人との出会いがあるからか?」
「理由はいくつもある。それを全て話すのは無理だよ。でも、世界の広さを感じることができるのはいい」
「ジスは一人なのか?」
「どういう意味かな?」
「非常に聞きにくいが、家族は?」
「一人だよ。両親も親族も死んだ。兄弟姉妹もいない。婚姻もしていないし、子どももいない。完全に一人だよ」
「……そうか」
「でも、寂しくも悲しくもない。自分のやりたいことだけをすればいいだけからね」
「それは、どんなことだろうか? 一つだけでも教えてくれないか?」
「強い装備を集めている。自分自身を強くするにも限界がある。でも、強い装備があれば、自分が強くなくても強くなれる」
「なるほど」
「でも、今のところ完全だと思える装備とは巡り合えていない。何かを選べば、何かを選べない」
「そういうこともあるだろう」
「アーネストの持っている剣にはとても興味がある。私の飛竜を一撃で倒してしまったからね」
アーネストは驚いた。
「ジスの飛竜だったのか?」
「草原の様子が変わったから見にきた。びっくりしたよ。剣が飛んで来たと思ったら、飛竜が死んでしまったからね。宣戦布告かと思った」
「すまない。ヴィラージュを荒しに来た魔物だと思った。被害が出る前になんとかしようと思って倒してしまった」
「気にしてはいない。素材として売ったからね。若い飛竜に乗り換える機会だと思うことにしたよ」
「すまない」
「勝手にヴィラージュ内を飛んでいたのはある。普通は飛竜なんて飛んでこないだろうから、攻撃されても仕方がない。まあ、剣も普通は飛んでこない。すごいよ。アーネストが操っているのかな?」
「特別な剣だ。契約者だけが使える」
「そうなのか」
「私を殺して剣を奪っても、次の契約者にはなれない」
「契約者になる条件が厳しいということかな?」
「非常に特殊な条件だけに、滅多なことには満たせない」
「どんな条件?」
「私も全ては知らない。ジスも魔境の全てを知らないのと同じだ。謎が多い剣ではある」
ジスは魔剣を見つめた。
「見せてくれないかな?」
「装備を集めるのが好きだと言った。難しい」
「警戒しているのか」
「王家の秘宝だ。なくしたら怒られる」
「なるほど。だったら、なくさなければいいってことだね」
「そうだ。面倒がなくなる」
「わかるよ。面倒は嫌だよね」
ジスは微笑んだ。
「そろそろ帰るよ」
「わかった」
「失礼する」
ジスはキッチンを出て行った。
アーネストはため息をつく。
残されたカップの水を捨て、浄化魔法をかけた。
「仲良くなれればいいが……」
アーネストは深いため息をついた。




