プロローグ01 約束
佐倉との30秒のキスのお味は、やっぱり地味。
この日の朝にそれを経験しているから、特別な感情は抱かなかった。
30秒は、地味に長い。
途中でそっと目を開けると、佐倉は佐倉のまま。
さくらスマイルではないし、さくらスメルもしてこない。
乾燥した唇はおそらくさくらリップとは別物。
ときどき、んんっていう息継ぎをするが、さくらブレスとは思えない。
同意の上で行った本格的な最初のキス。
何故か俺は冷静に、さくらではない佐倉を見ていた。
正直言ってあまり良いものではない。
まだかまだかとピッとなるのを待った。
そして遂にそのときがきた。
佐倉は、ピッという音とともに俺から一目散に離れた。
俺は、そのときになって気付いた。
良いものじゃないというのもお互い様。
俺は地味に心を痛めた。
けど、そんな傷は直ぐに塞がれた。
今、俺は世界中の幸せを独占している。
だって、俺の目の前にいるのは、山吹さくらだから。
さくらスメルは俺の鼻を激しく、
さくらスマイルは俺の目をかわいく、
さくらブレスは俺の耳を華やかに刺激した。
さっきまでの地味な乾燥唇も変わっていた。
決して触れてはいけないもののように輝くさくらリップ。
見るだけで充分に刺激的だった。
変わったのが全てとならないのは、目の輝き。
佐倉のときからそれだけは一級品。
さくらになっても当然一級品。
「坂本くんっ。キスしてくれて、ありがとうっ!」
と、山吹さくらが俺にキスのお礼を言った。
何か言葉を返さなきゃって思う。
これがなかなか難しくって、俺にはそれができなかった。
入学初日に訪れた、幸せの絶頂期。
けどそれは、あまりにも儚かった。
「あっ……やっぱり、戻っちゃった……。」
次にピッとなったのと同時に、佐倉が言った。
「でも、予想の範囲内でした……。」
予想って何だろう。俺がそう思っていると、佐倉が続けた。
「こんな実験に付き合っていただき、本当にありがとうございます」
「いっ、いいえ。こちらこそ、どうも……。」
俺が体験したことの凄さを考えれば、俺の方がお礼を言いたい。
目の前にいるのは佐倉であって、さくらではない。
佐倉とさくらは、決して二重人格というわけではなさそう。
少なくとも佐倉はさくらだったときのことを自覚している。
さくらも、佐倉の行動を把握している。
だが、佐倉がさくらになるのは自由ではない。
制約がある。俺とのキスと何か関係がある。
佐倉はそれを確かめたんだろう。
「あっ、あのーっ……。」
佐倉が、申し訳なさそうに言った。
「はっ、はい……。」
「もしよろしかったら、実験の続きをさせてもらえませんか?」
地味だ。佐倉は本当に地味だ。それだけに真剣。
俺も真剣に応えるべき。
だから、俺は言った。
「おっ俺、独り暮らしでさ。今日は何の用事もないから、とことん付き合うよ」
「ほっ、本当ですか? うれしい! ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして」
「じゃあ、私の家に行きましょう! 今はホテル暮らしなんだけど……。」
「はっはひーっ!」
こうして、俺は佐倉の暮らすホテルに行く約束をした。