57.優駿候補の有力馬たち
ダービー馬主になることは、一国の首相になることよりも難しい。
東京優駿というレースを説明するのなら、この言葉を紹介する必要があるだろう。
たくさんの馬を所有する大馬主の中には、ダービーレース直前に最有力馬を買い取って、優駿馬主の栄冠を掴もうとした人もいた。
しかし、その努力を袖にするように最有力馬は不調になり、ダービー馬主の栄冠は遠のいていく……そんな事件もあったほどだ。
さて、サイレンスアローたちの世代でも、まさにその一大レースが行われようとしていた。
10番人気。大地の一角獣チャイロジャイロ。
主な勝鞍は、OP.プリンシパルステークス。中山1勝クラス戦。
8番人気。炎の一角獣グランパレード。
主な勝鞍は、G3.阪神アーリントンカップ。東京1勝クラス戦。
4番人気。風の一角獣シリウスランナー。
主な勝鞍は、G1.NHKマイルカップ。G1.朝日杯フューチュリティステークス。
3番人気。水の一角獣エレオノールペルル。
主な勝鞍は、G1.桜花賞。G1.阪神ジュベナイルフィリーズ。
2番人気。大地の一角獣ギャロップジミー。
主な勝鞍は、G1.皐月賞。G1.ホープフルステークス。
そして、彼らを抑えて、最も観客たちの支持を集めた一角獣が姿を表した。
1番人気。紫角の一角獣サイレンスアロー。
主な勝鞍は、G2.青葉賞。G2.東京スポーツ杯2歳ステークス。
その勝鞍のグレードや、サイレンスアロー自身の体格を見たら、なぜこの一角獣が1番人気に推されているか、理解できないだろう。
しかし、彼は青葉賞でエレオノールペルルを下し、過去に2度も、2番人気のギャロップジミーを退けている。
サイレンスアローの姿を見ると、ギャロップジミー、シリウスランナー、そしてエレオノールペルルは、険しい顔をした。
この競馬場に集まった、選りすぐりの3歳馬たちのほとんどは、どんな走り方を得意とするか決まっているが、サイレンスアローだけは違う。
1番人気であるアローが、他の競走馬たちにとって最も不確定要素なのである。
だからだろうか。ジミーもランナーもペルルも……いや、同じ牧場のジャイロやパレードさえも、サイレンスアローを睨んだままパドックを回り、やがて入場となっても誰も話しかけようとはしなかった。
俺はスマートフォンの画面から、そのピリピリとした空気を感じ取っていた。
競馬アナウンサーの話だと、過去の東京優駿で6頭もの一角獣が集まったことはないそうだ。会場は満員になっており、観客たちは今か今かとレースが行われるのを待っている。
準備運動も終わると、次々とウマたちがゲートへと入って行く。
シリウスランナーが、エレオノールペルルが、チャイロジャイロが、サイレンスアローが、ギャロップジミーが……そして、最後にグランパレードがゲートへと向かっていく。
東京優駿。優勝賞金3億円。
これはサイレンスアローが、新馬戦の時代から青葉賞まで稼いだ全ての賞金より多い。そこまで考えると、俺はぐっと手を握った。
つまり、今までアローが勝ってきた大会全てを制するより、この東京優駿という大会を制する方が難しいと……そう言っているような金額だ。
さて、サイレンスアローはどんな走りを見せてくれる!?
係員がゲートから離れていく。その直後にガタンという音と共にゲートが開いて18頭の駿馬たちが一斉にスタートを切った。
そのウマたちの中から、1頭のウマが頭を出した。
そいつは軽やかな脚取りで前へ前へと突き進んでいくと、200メートルもしないうちに先頭を駆けていた。そいつの背中には唯一の女性騎手が騎乗している。
間違いなくサイレンスアローだ!
サイレンスアローは涼しい顔をしたまま脚取りを速めると、2番手のウマを軽々と突き放していく。2メートル。5メートル。8メートル。
東京競馬場の第1コーナーへと入ったとき、2番手との差は12メートルほどまで広がっていた。
間違いなくこの走り方は……逃げ。それも……今となっては珍しいと言われる大逃げだ!
俺は興奮のあまり、声を上げていた。
この大事な……それも決して敗北を許されない重要なレースで大逃げを選ぶとは。でもサイレンスアロー……お前、そんなに勢いよく走って……体力は持つのか!?




