53.サイレンスアローを求める者(青葉賞)
東京競馬場。
そこでサイレンスアローは、目を大きく開いたまま1頭の牝馬を眺めていた。
牝馬の名はエレオノールペルル。
阪神ジュベナイルフィリーズと、桜花賞を勝ち抜いた名牝の中の名牝である。
実力がある牝馬がダービーこと、東京優駿に挑む日程を組むことはままある。サイレンスアローが異様な顔をしながらペルルを眺めたのは、自分に向けてテレパシーを送ってきたからだ。
【はじめまして……シロンスフレッシュ】
【君はエレオノールペルル……小生に何か用かい?】
【単刀直入に言います。私の牡になりなさい】
サイレンスアローはピクっと耳を動かすと、難しい顔をしたままペルルを眺めた。
【これからレースだというのに唐突すぎるね。それに……小生の名はサイレンスアローだよ】
【このレースは私が勝ちます。そして……まずは名前を私好みに変えてもらいましょう】
【あのねえ……ゲームのキャラクターじゃないんだから。そう簡単に馬名は変更できないよ】
サイレンスアローは迷惑そうに答えたあとで、ペルルを睨んだ。
【だいたい、小生が勝ったらどうするつもりなんだい?】
【私が負けることなんて、あり得ません】
得意げに答えるペルルを見たサイレンスアローは、不敵な笑みを浮かべていた。
【な、なんですか……?】
【そこまで踏み込んだことを言うのなら、小生のことくらいは把握しているんだろうね?】
【……貴方こそ、私の何がわかると?】
サイレンスアローは目を細めると、淡々と言い返した。
【エレオノールペルル。フランスノルマンディー地方出身。好きな食べ物はイチゴとオレンジ全般。得意距離は1500~2700メートル。生まれながらの両利き。嫌いなモノはネズミとコウモリ】
すらすらと答えられると、ペルルはムッとした表情を返した。
【あなたは左利き……ということくらいしか……わかりません】
その正直な返答に、サイレンスアローは気を良くしたようだ。
【小生の好みを教えてあげるよ。このサイレンスアローはね……どんな苦境に立たされてもめげない。どんな状況でも再び立ち上がって向かっていく……そんな生き方をするウマや一角獣が好きだ】
そこまで伝えると、サイレンスアローは鋭くペルルを睨みつけた。
【君にその覚悟はあるのか……たっぷりと見せてもらおう】
【私に……覚悟を問うなんて……!】
そうつぶやいた後に、ペルルは気に入ったと言わんばかりに微笑んだ。
【わかりました。では、どちらが口先だけのウマなのか……レースで決着をつけましょう!】
【望むところだよ!】
なんだろう。相手はグレードワンの大会を2度も制しているのに、軽く2億円以上の賞金を稼いでいる名牝なのに……サイレンスアローと並ぶと、どういう訳か格下のウマに見えてしまう。
各ウマが入場を果たし、準備運動を進めているあいだも、馬券は売れ続けていた。
1番人気はやはり実績もあるエレオノールペルル。その単勝倍率は2.8倍と、彼女にしては珍しく人気が低めの印象だと競馬アナウンサーが言っていた。
そして我らがエース、サイレンスアローの人気は2番目。
単勝倍率は6.1倍と大きく溝を開けられている。アローは実績を見れば十分に実力馬なのだが、今日も389キログラムと軽めの体重なので、ペルルとの平面戦では分が無いと、競馬ファンには思われているようだ。
牝一角獣であるペルルは、サイレンスアローの馬体重を聞いたとき、気に入らなそうに言った。
『私の方が体格が勝っているのに……フレッシュの方が2キログラムも重い荷物を背負うなんて……』
『そう言って小生と同じ条件にすると、君が苦しむことになるよ』
サイレンスアロー 馬体重389キログラム 騎手を含む重量負担56キログラム
エレオノールペルル 馬体重482キログラム 騎手を含む重量負担54キログラム
間もなく、ライバルたちは次々とゲートへと入って行き、ペルルも……そして今回は、一番最後にサイレンスアローがゲートインを果たした。
青葉賞は、東京優駿トライアルの別名を持っているだけあり、その距離は2400メートルだ。
サイレンスアローやエレオノールペルルを含む18頭は、ゲートが開くと同時に飛び出した。
エレオノールペルルは、当初の予想通り18頭のうちの5番目を走り、サイレンスアローはと言えば……なんとペルルの隣を挑戦的に走っている。
ペルルだけでなく、彼女の背に騎乗しているフランス生まれの騎手D・メルも、理解に苦しむ様子でアローを眺めていたが、サイレンスアローは構わず隣を走っていた。
確かにDメル騎手が、理解に苦しんでいる理由もよくわかる。
身体の小さなサイレンスアローが、牝馬で体格にも恵まれたエレオノールペルルと真っ向勝負をしても、勝ち目は薄いと感じているのだろう。
これは素人の俺が見ても、同じ印象を感じる。プロも同じ考えということは……このレースを見ている誰しもが、サイレンスアローが不利な勝負を挑んでいるように感じているように思う。
テレパシーで挑発されたくらいで、サイレンスアローもわざわざ分のない勝負をするような一角獣ではない。一体、何の狙いがあるのだろう。
アローの考えが読めないうちに、先頭を走っているウマは最初のコーナーを曲がり、比較的緩やかな足運びで第2コーナーへと入った。
ライバルたちの様子にも目立った動きはない。競馬場の観客たちだけが、ペルルの隣を挑戦的に走っているサイレンスアローに興味を向け、中には面白がっている人もいる。
しかし、レース中のウマと騎手たちは冷静そのものという様子のまま、先頭のウマが向こう正面の直線コースへと入った。




