51.勝敗を分けた僅かな差
中山競馬場の皐月賞。
シリウスランナーとギャロップジミーの戦いは、いよいよ本格化しそうな空気になってきた。
第4コーナーの時点では、ギャロップジミーの方が優勢だ。彼は強靭な脚を軽やかに動かしながら、前へ前へと進んでいく。
この時点になると、馬群の前方にいた馬たちの体力は、すでに30パーセント近くまで減っていた。
『逃げ馬が屈強なジミーを恐れて、自然とオーバーペースな戦いになっている……』
「オーバーペースになると、逃げ馬と先行馬が不利……なんだっけ?」
『状況にもよるけど、逃げ馬にとってはやりづらいレースになるだろうね。どちらでも影響がないのは姉さんくらいだろう』
そんなことを言っている間に、馬群先頭のウマが最後の直線に入った。
すでに前の3頭の体力は、25パーセントとサイレンスアローは予測している。これなら、体力を45パーセントほど残しているギャロップジミーの敵ではない。
サイレンスアローの予測を裏付けるように、ギャロップジミーは50メートルほどで、トップを奪い取った。
彼は、そのたっぷりとして筋肉を力強く動かしながら、中山競馬場の坂道を突き進んでいく。
ギャロップジミーの体力は坂道を駆け上がると、残り20パーセントを下回っていたが、不思議と危うさはなかった。
俺の脳裏には、年末のホープフルステークスの光景が焼き付いていたからだろう。残り100メートルも、コイツなら文字通りに死ぬ気で走り抜く。
そのある種の期待に応えるように、ジミーは汗を全身から流しながらも、懸命にゴールを目指していた。
しかし、そのまま終わらせてくれないのが皐月賞である。後方の坂道を、まるで突風のように駆けてくる黒い影があった。
「シリウスランナーか!」
シリウスランナーの末脚は、他のウマとは次元が違った。
その黒い脚が1歩、前に進むたびに1頭ずつライバルが抜き去られている。ランナーの体力も……残り25パーセント。
ゴールポストとギャロップジミーの差は、90メートル。
ギャロップジミーとシリウスランナーの差は、残り10メートル。
瞬きをしていたら見逃してしまうような、そんな刹那のやり取りの中で、俺はジミーとランナーが確かに鋭い意思が、火花のように散らしていることに気付いた。
シリウスランナーの胸中には、なんとしてもダービー馬になるという思いがあるようだ。皐月賞を制し、東京優駿を制し、その先も引退までずっと走り抜けて、燃え尽きてしまった父を越えようとしている。
ギャロップジミーの胸中は、もっと単純だった。
あくまで彼はチャチャカグヤが好き。彼女に相応しい一角獣となることだけを考えて走っている。たとえ片思いであったとしても、相手にされなかったとしても、自分という競走馬の力を限界まで高める。そんな気迫でゴールを目指していた。
シリウスランナーの身体が、どんどんギャロップジミーに近づいてくる。
体力バーを見ると、ギャロップジミーは12パーセント。シリウスランナーは14パーセント。もはや両者ともに限界のはずだ。ほぼ、気力だけで走っていると言ってもいい。
残り50メートルを切った。
リードしているのはギャロップジミーだ。体力の残りはジミーが10パーセント。シリウスランナーは11パーセント。
これ以上、体力を低下させると寿命が縮むほどの影響を受けるが、それでもジミーもランナーも走ることを止めようとしない。騎乗している騎手たちも必死な形相で鞭を入れていた。
2頭がゴールポストを越えた!
俺も、サイレンスアローも、涼花も、チャチャカグヤも、真丹木調教師も、グランパレードも、チャイロジャイロも、その他の関係者も、一言も発することなく……画面をただ黙って睨んでいた。
観客席がざわついているなか、掲示板に映し出されていた【審議】の文字が消えた。
勝ったのは……ギャロップジミーだ。
着差はハナ差。本当に紙一重の差が、両雄の勝敗を分けた。
その様子を眺めていた涼花は、静かにつぶやいた。
「シリウスランナーは……何が足りなかったんだろうね……?」
俺は言葉に詰まっていた。
運という言葉で片づけてしまえばそれまでだが、ギャロップジミーとシリウスランナーの必死なやり取りを見ていたら、そんな言葉ひとつで片づけられるものではないような気がした。
『強いて言うのなら……本能かな?』
どういうことだと思いながら、サイレンスアローを見たら、彼は淡々と言った。
『シリウスランナーは、自分自身の理想のため……という感じだった。それは立派なことだと思う』
俺が頷いて話を催促すると、サイレンスアローは話を続けた。
『だけど、ジミーは本気で姉さんを好きだと思っていた。少しでも近づきたいと無我夢中で走った……たとえ今日のレースに小生が参加していても、あのジミーには……勝てない』
思わず生唾を呑んでいた。
そうサイレンスアローに言いきらせるほど、今日のギャロップジミーは強かったんだ!
『だからランナー……恥じることはない!』
グレードワン 皐月賞 中山競馬場2000メートル 優勝:ギャロップジミー
【作者より】
どこか悔しそうなサイレンスアローを尻目に小話をさせていただきます。
フランスからの刺客エレオノールペルル。
彼女はすでに桜花賞を制し桜花賞馬となっています。さて……彼女の次の一手はいかに!?




