41.年度代表馬
レースが終わると、俺は満足しながら一角獣サイレンスアローを眺めていた。
死闘と言えるホープフルステークスで敗れたコイツがまず取った行動は、休息をしっかりと取って自分の身体をケアすることだった。
普通の感覚なら、勝負に負けたクセに休憩なんてしてるんじゃないって言われるところだろう。
しかし、一角獣とはいえサイレンスアローの身体はサラブレッドととてもよく似ている。サラブレッドは身体がガラスでできていると例えられるほど、体を壊しやすいのである。
だから、最初に休息を選んだとき、俺だけじゃなく真丹木調教師もホッとした表情をしていた。
「あれほど激しい動きをした後で、また走り込みをしたい……なんて言われたら、どう止めようかと悩んでいたところです」
「ええ、アローにはしっかりと食べて、まずは疲れを取ってもらわないといけませんよね」
『小生だって、そこまで向こう見ずじゃないよ』
間もなく、サイレンスアローが露天温泉に入りたがったので、俺も同行することにした。
「まずは身体から洗ってやるよ」
『おお、さすがはレン兄ちゃん!』
サイレンスアローの身体を洗っていると、あらためてコイツの栗毛には艶もあるし、たてがみと尻尾がクリーム色というところに美しさを感じた。
いや、この美しさなんて、サイレンスアローの内面と比べれば、高級ステーキに乗ったパセリ程度のものだろう。そう思えるほど……ホープフルステークスは凄かった!
「なあ……アロー?」
『なんだい?』
「お前……どうして、俺みたいなダメ人間のところに来ちまったんだ? 俺よりも優れた馬主なんて……いくらでもいるだろう?」
サイレンスアローは目を細めると、俺を凝視した。
『やっぱり似てるね』
「は……?」
思わぬ答えが返ってきたので、キョトンとしているとサイレンスアローは言った。
『いや、涼花お姉さんとだよ……彼女も兄ちゃんと同じように、私なんかが乗ってていいのかって……そんな言葉をたまに口にするんだ』
「涼花が……?」
聞き返すと、サイレンスアローは大まじめに頷いた。
『いいに決まってる! 涼花お姉さんがいなければ……昨日のレースは確実に最下位だっただろう。兄ちゃんにしてもそうさ。小生がここでゆっくりしていられるのも……友達とじゃれ合えるのも……好きな時に練習できるのも、全てレン兄ちゃんのおかげなんだよ!』
なんだか、アローに言ってもらえると、不思議と勇気が出てくるのだから不思議だ。
「……ありがとう。俺もお前たちが安心して走れるように……働きやすい牧場を作りたいと思う!」
そう答えると、サイレンスアローも満足そうに笑った。
年が明け、正月が過ぎたころ……中央競馬会は今年の最優秀馬たちの発表を行った。
最優秀4歳以上牡馬には、有馬記念をはじめとした数々のレースの栄冠を欲しいがままにしたシルバーデアデビルが選ばれ、最優秀3歳牝馬には、サイレンスアローの全姉チャチャカグヤが選ばれた。
そして、最優秀2歳牡馬には、栗東トレーニングセンターのエースと言われる黒毛の牡馬。シリウスランナーが選ばれた。
その勝ち鞍は、G1朝日杯フューチュリティステークス。デイリー杯2歳ステークス。他2つの戦いを連勝し、4戦4勝という堂々たる戦績だ。
「……さすがは栗東……強力なライバルがいるな」
そうつぶやくと、サイレンスアローも頷いた。
『確かに……だけど小生はホープフルステークスでギャロップジミーと戦えてよかったと思っている』
「前のレースは残念な結果だったけど、涼花のアビリティの使い方は絶妙だったよな……あの失敗は必ず血肉になる!」
サイレンスアローは頷くと、俺のスマートフォンを睨んだ。
そこには年度代表馬という項目があり、シルバーデアデビルの名前がしっかりと書きこまれている。デビルは中山競馬場で開かれた有馬記念で、姉チャチャカグヤを4馬身という差で抜き去っている。
『血肉に……なっていないと話にならない。絶望的な実力差が、小生とデビルの間にはある!』
その鋭い表情を見て、俺は生唾を呑んだ。
サイレンスアローとチャチャカグヤはまだ直接対決はしていない。だけど、彼女の体格を考えればサイレンスアローよりもはるかに強いことは容易に想像できる。
そのチャチャカグヤを相手に……牝馬で更に3歳馬だからかなり重量軽減を受けている、あのチャチャカグヤを相手に、シルバーデアデビルは10メートルも差をつけ……影も踏ませないような差をつけて勝っているんだ。
サイレンスアローが顔を上げると、真丹木調教師が姿を見せた。
その表情はとても思い詰めている様子で、どう見ても只事ではない様子なのが伝わってくる。なんとなく察しがつくが……俺は思い切って聞いてみた。
「真丹木さん。どう……されましたか?」
「朝比奈さん。それにサイレンスアロー君……チャチャカグヤを助けてあげてください」
思わずサイレンスアローを見ると、彼もまた俺を見ていた。
「もしかして……」
真丹木調教師は指先を震わせながら言った。
「調教師として……プロとして、こんなお願いをするのは……恥ずかしいことです。心苦しいことです……プロ失格という言葉も甘んじて受けます!」
その必死な訴えに、俺は身震いを覚えた。
真丹木調教師は、その道のプロだ。若くして調教師になったというプライドも絶対にあるだろう。その誇りをかなぐり捨ててでも、素人の俺に助けを求めている!
「もしかして……有馬記念の……!?」
真丹木調教師は頷いた。
「はい……食が細って飼い葉が食めないだけでなく、眠ることもできていないようです……体重がもう20キログラムも減っています!」
サイレンスアローは即座に温泉から立ち上がった。
『行こう……レン兄さん!』
俺は反射的に腕まくりをすると「おう!」と答えた。
俺は、サイレンスアローと出逢う前のことを思い出してみた。思い出すことはいま考えても恥ずかしくなることばかりである。
それに比べたら、サイレンスアローも、三矢本涼花も、真丹木調教師も、チャチャカグヤも人の役に立っている。多くの成果を出しているじゃないか。
だから、取り返しのつくミスで……そんなに悩む必要はないんだ。
そのことを……チャチャカグヤにもわかって欲しい!
【作者からのお願い】
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今後も滞りなく投稿を行えるように、今のうちから書き進めています。
引き続き、本作をよろしくお願い致します。




