登録会社
メメは天気の良い日には大和の庭に行くことが多くなった。ちひろはメメがどこに行っているのかわかっているので後を追わない。しばらくすると帰ってくるからだ。そのたびにメメは「何故迎えに来なかった?」と言わんばかり。
ちひろはメメがキューピッド役を買っているかのように思われたがあえて無視した。
ちひろは一日だけでもOKの派遣会社に登録した。つきたい職業やどこまでだったら行けるのかを聞かれただけで承諾された。毎日配信してくれる気に入った仕事に参加すると会社独自のサイトにクリックして採用されるかどうかを前日十七時まで待つ。サイトのQ&Aで複数の派遣会社に登録したほうが仕事に就ける日数が多くなるということで同じような複数の派遣会社に登録した。
登録して初めての仕事はちひろが住んでいるところからあまり離れていない場所での事務雑務だった。封筒の中に書類を入れたり、地区別に分けたりというものだ。おしゃべりは必要ない。
手慣れてくると心に余裕が現れる。最大の心配事である金銭は少しでもメメに食事ができるように今頑張っている。そうなると考えるのは大和のことだ。
お茶を飲んだ時にちひろは大和を監視した。人生を楽しんでいる雰囲気が伝わり、周りのものを温かい気持ちにさせてくれる人だ。メメが彼の庭に入りびたりするのもわかるような気がする。
「内原さん、内原さん!」
思考回路を遮る声にちひろは我に返った。事務局のリーダーが読んでいる。ちひろは恐る恐る近づいた。
「封筒に書類を入れるだけの作業がなぜこんなにも汚くできるの?」そういうと山形はちひろにくちゃくちゃになった書類を見せた。自分がやったものではなかった。しかし誰がちひろの話をまともに聞いてくれるだろう?ちひろは黙って聞いていた。
「申し訳ありません。やり直します。」
「紙は一度折り目がついてしまうとやり直しは効かないんですよ。あなたには別の仕事を与えます。あまりにミスが続けば派遣会社に報告してあなたを違う仕事場所に回してもらうように手配しまいますから。仕事でお金をもらっていることを忘れないでください。」
誰かが自分をはめたと思ったが誰がやったのかわからない。証拠もあるわけではない。ちひろはこのまままた違う仕事場に回されて他人にとってはなんでもない会話におびえなければならないと思うとため息を抑えきれなかった。
自分の荷物を取るために今までの部屋に戻ると、隣にいた人と小声で話しくすくす笑いをしているものが目に入った。ちひろはその人たちが犯人だと思ったけれど、何も言わずに私物をとるとその部屋を離れた。
「生まれてこのかた、こんなことばかりだから今更驚くことではない。出会う人すべてが自分のことを好きになるとは決してないのだ。その逆に嫌いになる確率はかなり高くなるが。」
大和は店内に客がいないことをいいことに、雑務に追われていた。
全世界的な不況の中、売り上げが落ちていた。それは自分のところだけではないことを毎日のようにうんざりするくらいの情報が流れている。加えて大和が店を構えている地区は振興地区で新しいものが建ち、こんなはずではなかったと思いながらビジネスを断念する。
「さて、どうやってこの危機を打破するかな?」
大和はちひろが家に訪れた時のことを思い出した。何も話さない人だったけれど、ライフラインで問題がありそうだった。小さなタッパーに5品。普通の家庭なら翌日にもなくなりそうな量だ。それをまだ返さないというのはなくさないように大事に食べてくれているのだろう。何とかしてあげたい。」大和は自分の今の仕事をじっと見つめるとあることを思いついた。
結局、ちひろはその業務をうまく仕事することができなかった。
業務が終わり、それに合わせたように登録会社から電話がかかり、明日からは通わなくていいといわれたばかりだった。もらった報酬は一万円にもいかなかった。しかしこれでメメの食事代は何とか確保できた。
「いつものこと、何も新しいものはない。慣れているものばかり。」ちひろは目を麗せながら空を眺めた。
「今日は遅かったのですか?」砂利道でちひろは話しかけられた。大和だった。
「どうしました?」苦虫をかみつぶしたようなちひろの顔に大和は間髪入れずに付け加えた。
「私・・死にたい。」ちひろはその場に倒れこむように座り込んだ。
「落ち着いて。僕の家に行きましょう。あなたに話があって待っていたけれど正解だった。」
「メメに食事上げないと。今日はしっかりと彼女だけの缶詰です。」ちひろは缶詰を大和に見せる。
「僕が挙げてきます。鍵、いいですか?」大和はちひろから鍵を受け取ると足早にちひろのアパートに入っていった。
ちひろは大和の足音を聞いていた。五分前までは暗い気分だったのに今は爽やかな風が吹いていて自然と一体化している気分になっていた。
再び大和の顔を見たときはひとりではなかった。メメが大和の腕に抱かれている。
「僕たちだけで家を空かすのにメメも一緒に行ったほうが良いかなと思って。」
ちひろはメメを抱きかかえると大和の助けを借りて立ち上がり、500mぐらいの砂利道をゆっくりと歩き始めた。