茹で卵と老人。2
夜が明けた。
冷たくなった爺さんに、「行って来る」と挨拶しても、返事は返ってこなかった。
店主が「まさか卵にあたって、腹下したのか」と聞いてきた。
だから食べ慣れない贅沢なものを食べて、腹がビックリしたんだと言っておいた。
約束通り、タダ働きをした。
だけど、今日は空いてるからと、いつもより早く仕事が終わった。
「ただいま」と言っても、やっぱり返事は返ってこなかった。
それから5日経った。
店主に臭うぞと言われた。スラム暮らしだから当たり前だ。今まで言わなかったくせにとムッとして、気付いた。
無意識に気付かないようにしていたその事実に愕然として、家に帰って「ただいま」の前に吐いた。
7日経って、あれからずっと同じ場所にいた女が死んだ。
爺さんを火葬して、骨だけ家に持ち帰った。
汚い子供が「ごはん」と寄って来た。
大事に抱えてたから、食料だと思ったのかもしれない。
「コレは食い物じゃないっ! お前の母親が殺した、俺の大事な人だっ‼︎ 」
この世界で暮らし始めて、初めて怒鳴った。喉がカァッと熱くなって、痛かった。
俺より小さくて、俺と同じくらい汚い子供。
母親が死んだ事も分からず、俺に怒鳴られて泣く子供を見て、涙が止まらなくなった。
翌朝、店主にココを離れる事を伝えた。
「行くあてはあるのか」と聞かれ、自分で探すと答えた。
「だったら、今まで雇ってやった恩を返せ。
この手紙をココに届けてくれ。特別に前払いにしてやる」
地図が描かれたメモと、手紙、布鞄を渡されて、店の外に締め出されてしまった。
手紙の表には不格好な字で名前らしきものが書いてあったが、字が読めないから誰に渡せば良いのか分からない。
地図の方は、何となく分かる場所で、そこまで距離もなさそうだ。まる1日歩けば着くかもしれない。
鞄には、いつもの固いパンと水筒と、茹で卵が入っていた。
家に帰り、骨だけ持ってスラム街を出た。
「……おい、いつまでついて来るつもりだ」
「おにぃ、ごはん」
「俺はお前の兄じゃない。
ほら、パン分けてやるからどっか行け」
パンを半分にちぎって差し出しても、首を振って黙ってついて来る。
仕方ないから無視する事にした。
歩き始めて3時間、後ろを追って来る足音が小さくなった。
振り返ると、体力の限界で動けないであろう足を、必死で引きずりながら歩く姿があった。
「おにぃっ、おいついた! 」
「……ああ、そうだな」
木の幹に腰掛け、日陰で休憩する俺に辿り着くまで20分かかった。子供でも3分あれば追いつく距離だ。
コイツのせいで20分もロスしてしまった。
手紙と一緒にコイツも置いて行こう。
途中で休みを挟みながら、おぶって夜通し歩き続けた。
「おい、寝る前に食べろ」
「たまごらっ!おいちぃ! 」
半分にした茹で卵を嬉しそうに、もきゅもきゅ食べるコイツを見て、味が分からなくなった。
寝ずに歩き続けたが1日半以上かかってしまい、着いたのは夜中だった。
家主は起きているだろうか。
「すみません! 手紙を届けに来ました! 」
「たー! 」
ガサゴソと物音がして、厳ついオッサンが出て来た。
「誰だ! こんな夜中に来る非常識なヤツは!――――ガキ? 」
「コレ、届けに来ました」
グイっと手紙を押し付けると、オッサンはしげしげと封筒を見て、俺達を招き入れた。
「とりあえず読むから、お前達も中入んな。
ボロボロじゃねぇか」
「……」
「…おにぃ? 」
「ハァ。お前はともかく、そのちびっこにはキツイだろう。休ませてやれ」
「…でも、服が……いや、その」
暗かったから外観はあまり分からなかったけど、ドアを開けた家主は綺麗な服を着て、手紙を持つ手の爪は、ちっとも汚れていない。
俺やコイツは頭から足の先まで汚くて、服だって異臭を放っているに違いない。もう、鼻が馬鹿になって自分では分からないけど。
だって夜の森を子供だけで抜けて来たのに、野良犬さえ近付かなかった。ハエはいっぱい寄って来たけど。
「いいから入れ。こんな見た目をしてるが、ガキを痛ぶるような人間じゃねぇから安心しな」
「あっ」
躊躇する俺の腕をガッと掴んで、家主は家に引き入れた。
あーぁ、せっかくの綺麗な手が汚れちゃった。
「腹空いてるか」「茶でも飲むか」と聞かれたが、どうして良いか分からず、とりあえず首を横に振る。
「よしっ! 風呂入るか、風呂」
「おにぃ、ふりょってなぁに? 」
風呂。目が覚めてから水浴びしか出来なかったから、この世界の風呂が俺の知っている風呂か分からない。
「なんだ、ちびっこ知らねーのか。ウチの風呂は広いぞ、手作りだかんな」
「ひりょい? 」
「おう。ま、一緒に入ってやるからマネしてみな」
「うん、まねする! おにぃも! 」
「よーし、まずはその服脱げ、サイズはデカイだろうがテキトーに貸してやる。――なんだ、ちび。お前女だったのか」
マジか。てっきり男だと思ってた。
「あー、お前は…男で合ってるか? 」
「俺が女に見えるのか」
「いんや、全く」
「すまんな、ちび。女の子の世話出来るヤツ、明日連れて来るから、今日はオジサンで我慢してくれ」
「? 」
歪で不格好ではあるが、立派な岩風呂。
さすがにシャワーのような物はないみたいだ。
「どうだ? すげーだろ」
「すごい」
「……フッ、お前もちゃんと子供なんだな(子供らしくないと思ったが、ガキはガキだな)」
「おにぃは、おにぃだよ? 」
「ん? あー、そうだな。ちびの兄ちゃんだな」
「俺はソイツの兄じゃない」
「まっ、いーじゃねーの。せっかく懐いてるんだ、今日から兄ちゃんになってやればいい」
そんな期待された瞳で見られても、兄にはなれない。
性別が女だって事も、今初めて知ったし。
何より、やっぱり複雑だ。
別にコイツが悪いわけじゃない。むしろ自分の母親が死んだ事さえ知らないなんて、同情する。
だけど、コイツがもう少し元気だったら。
あるいは、コイツとあのオンナの拠点がもっと離れていたら。
爺さんはあとちょっと、1分でも長く生きていられたのに。
そう思わずにはいられない。
それからオッサンは、水魔法で空の岩風呂に並々とお湯を注いだ。
魔法、俺も使えたりするんだろうか。
桶でバシャバシャと俺達にお湯をかけ、嫌な顔ひとつせず、石鹸でゴシゴシ洗い続けてくれた。
結局、石鹸が泡立つまで5回洗った。
その度に荒っぽく頭から降ってくる温かいお湯に、何の感情なのか喉がきゅっとしまった。
――――――――――――
――――――
―――
「さて、見れるようになったな。
んじゃ、遅くなったが自己紹介でもするか。
俺ガルだ。前は冒険者としてそれなりに有名だったんだがな、今は引退してのんびりやってる」
「俺は………アラタだ」
俺として、この世界を認識した時には、すでに4・5才の姿だった。
だから何でスラムにいたのかも、自分が誰なのかも分からない。それ以前の記憶がない。
爺さんも名前を聞いてこなかったし、名前もつけなかった。
そういえば、店主にも名前聞かれなかったな。
どうせなら、爺さんに名づけてもらいたかったが。
頼んだら、つけてくれたんだろうか。呼んでくれたんだろうか。
「アラタ、か。あんまし聞き慣れない響きだな。
ちびは何て言うんだ」
「ルル! 」
「アラタにルルだな。
これ以上増えると、またドヤされる気もするが仕方ないかっ。
ルル、アラタと一緒にいたいか? 」
「おにぃと一緒! 」
「そうかそうか。じゃ、アラタとルルは今日からウチの子な」
「は? 」
「だって、お前が持って来た手紙、紹介状だもん。『猫の目』宛ての」
だもん、て。
キモチワルッ。
「ベガ爺さんの紹介じゃ断れねぇからな。世話んなったし」
「ベガ爺? 店主の名前か? 」
「店主? なんだ、ベガ爺、店でも始めたのか」
「ポルドっていう酒場の…」
「ん? そいつは違うな。ポルドの店主は、その鞄を持たせてくれたヤツだ」
じゃあ誰が。
「紹介状にはな、昔の借りを覚えているなら、コレを持ってくる子供の面倒を見てやってくれって書いてあんだよ。時が来たら、ちゃんと届けられるようにポルドの小僧に頼んだってな」
「……ポルドの店主には仕事をもらってた」
「仕事…はーん、なるほど。たしかに届けるには必要だな」
「何がだ」
「こんだけ歩いて来たのに、よくその荷物で無事辿り着けたと思わないか。 喉、そんなに渇いてないんだろう? 」
そうだ。水は貴重だからと慎重に飲んだけど、おかしい。
2人で飲んだにしては、水筒の容量と合わない。
「その水筒な、マジックアイテムなんだよ。中身がなくなっても一定の回数まで補給されるっていう。見た感じだと、最大5回分ってとこだな」
「マジックアイテムって、高い…のか? 」
「まあピンからキリまであるが、お前のはブランド物だ。
安いマジックアイテムはパチモンが多いからな。割高でも必要な物は、有名どころを買えば間違いない。そのマークはトスティ商会のだから、王都一の商会だぞ」
「それって、いくらぐらいするんだ」
「んー、そうだな。大人が酒場で3年働いた給料分くらいか? 」
雇ってもらったのは2年前。
まさか店主は――――
「おにぃ、どうしたの? 」
「ルル、大人ってヤツは素直じゃねぇんだよ。
そんなの、言ってやらないとガキには分からないのにな」
「そのひとが、おにぃ にいぢわるちたのっ」
「いや、違う。あ? 違わないか、イジワルだな。下手したら旅立つ前に旅立ってたかもしんねぇし。ハハッ」
* * * * * *
「――と、いうわけで、頭に拾われて現在に至る。
色々勉強していくうちに、前世で姉貴がやってたゲームと同じ貴族の名前ばっかりだから、そうなんじゃないかなと思って。あ、乙女ゲームって知ってる? 」
どっ、どうしましょう。
めっちゃヘビー。ちょーheavy。
断罪フラグ回避! あわよくばイチャイチャ、うふふを覗き見しようと張り切ってたなんて言えない。
おお、自分が恥ずかしいわ。
「それは、何というか、その。私に出来る事があったら何でも言ってちょうだい! いえ、下さいませ!
そうだわ! とりあえず我が家の離れに…あ、離れないんだったわ。すぐに用意するから一緒に暮らしましょう! 」
「だいぶ、錯乱してんな、アンタ。
本当に社会人だったの? 」
「す、すみません」
「ま、いーけど。それにこの世界では、俺の方が先輩ですし? 」
「はい、その通りでございます」
「あ、そうだ。あんま関係なさそう、というか面倒になるのが嫌だったから言わなかったけど。
今日、子爵家のメイドが市場で買い物してたけど、途中でナンパされてプレゼント渡されてたよ」
へー。メイドをナンパするんだ。お休みで私服だったのかしら。仕事着のメイドをナンパする人はいないわよね。
「で、そのナンパした男、多分お貴族様だな。ボルテー伯爵家の馬車に乗り込んでたし」
「は? 」




