猿の手の扱い方
学食で飯を食っていると悪友の藤堂がしけたつらでやってきた。
「なあ京介、猿の手って知ってるか?」
「ああ、あれだろ、三つの願いを叶えてくれるステキアイテム。」
大きくため息をつくと藤堂が小さな声で語りはじめた。
「願いを叶えてくれる、それは間違っちゃあいない。でもな、そこには落とし穴があるんだ。」
俺は元の物語を知っている。
元々の物語では一つ目で些細な借金返済を望んだために息子が機械に巻き込まれて死に、見舞金として金を得た。
憔悴した妻の言葉で二つ目に息子の復活を望んだが、死ぬ間際息子がどんな状態だったのかを思い出して恐れ、三つ目の願いで取り消した。
残ったのは願いを言う前から平穏を取り除いた世界だけ、という救いの無い状況。
「猿の手は元々ある因果律を歪めて使用者の望みをかなえる。
手繰り寄せた因果律がひどく歪むから、自分の近くにある人やモノが本来あるべき運命を外れ、望まぬ結末に至るんだ。」
そう言って藤堂は懐から何かを乱雑に包んだくしゃくしゃの紙を取り出した。
その右手の人差し指と親指の間には、鋭い何かで切った様な小さな赤い線が三本走っている。
「オレも最初は信じなかったし、そんな便利なもんがあるなら自分はきっとうまく使えると思ったさ。」
「本物か?」
「ああ、藤原先輩から貰った。先輩は礼子さんと付き合うために願いを使ったらしい。」
礼子さん、といえば飲み会で先輩が話していたが雑誌の読者モデルをやったこともある美しい女性だ。
「で、結果は?」
「卒業と同時に結婚する。ただし結婚したあと先輩は暴力団の若頭になるけどな。」
「あの人エンジニア志望だろう。それに腕っぷしもからっきしなのに暴力団だって?」
「礼子さんの親がそれ系の親分だったから仕方ないな。もうお腹に子供もいるし絶対に逃げられないさ。」
先輩は意中の女性と結ばれて幸せなのだろうか。それとも将来の夢を投げ捨て、社会的にもヤバい望まない職業について不幸になったのだろうか。
「で、お前は何を願った?」
人は誰かが失敗しても『自分は大丈夫。』という根拠のない自信で同じ道を突き進む。
きっと藤堂も何かを願ったのだ。そして何かの代償と共に願いを叶え切ったのだろう。
「これはただの報告だ。オレの一つ目の願いは『叶える願の数を百個に増やせ。』だった。」
願いの数を増やして永遠に願いを叶えさせ続ける、よくある手だ。
「これはたぶんなんの代償も無く叶ったさ。まだ三つ目の願いしか言ってないが、まだまだ猿の手を使えそうな気がする。」
「で、二つ目は何を願った?」
「オレが乗ってたバイク、オンボロだっただろう?
だから『新車でカッコイイバイクが欲しい。』と言ったのさ。
次の日オレのバイクがピカピカのニューモデル、新車に変わっていた。」
「・・・で、代償はどうなった?」
「上機嫌で乗ってるうちに検問で止められた。盗難車だったんだ。
そしてご丁寧な事にバイク屋の防犯カメラには、オレに似た背格好の男がショーウィンドウを破ってバイクを持ち出す様子が映っていたんだとさ。」
今日何度目かとなる大きなため息をついた藤堂は話を続ける。
「盗難車だと知って堂々と乗り回す馬鹿なんぞ居るものか。それでも警察のやつらはオレが犯人だと決めつけている。
だから三度目の願いを使った。『真犯人が捕まれ。』」
「どうなった?」
「バイクの盗難を調べていた刑事が死んだ。刑事の死体には犯人ともみ合っただろう傷がいくつもあり、腰から銃が消えていた。
つまり追い詰められた犯人が銃を持ってウロウロしてるってわけだ。
オレの疑いは晴れたが、人間が一人死に、凶悪な犯罪者が銃を持って逃亡してるんだ。
直接か流れ弾かは知らねえが、きっと撃たれるのはオレに違いない。予感がするんだ。」
こいつの予感は昔からよく当たる。藤堂がそういうのなら、きっとそうなるだろう。
「なあ、悪魔でもランプでも、それにこいつでも、なぜ三つの願いを叶えるんだと思う?」
「そうだなあ、一つだと人は慎重になる。熟慮を重ねて最も効果が高いだろう願いを言うだろう。
だけど三つと言われれば、例外もあるだろうが人はまず一つ目をお試しに、まだ願いは残っていると二つ目をそこそこの願いに、そして三つ目は前に願った代償を取り消すために願うだろう。
そしてあとに残るのは後悔と悲惨な状況というわけだ。」
藤堂はくしゃくしゃの紙に包まれたそれをすっとこちらに差し出すと言った。
「これ以上オレが使っても状況が悪化する未来しか見えない。
オレには無理だったがお前ならもっとうまく使えるだろう?
それと勝手を言ってすまないが、もし可能ならでいい、願いの一つをオレが助かるように使ってくれると嬉しい。」
助けてやるさ。こいつは数少ない友人の一人だ、こんなところで死なせるものか。
紙の包みを開けると黒ずんだ干物の様な手が現れる。表面を覆う所々剥げた獣毛と長くぶ厚い爪は人間の物ではありえない。
「この手を握って願えばいいんだな?」
そう言うとごくりとつばを飲み込む音と共にうなずきが返って来た。
「一つ目の願いだ。『願いを五個に増やせ。』」
握った猿の手がもぞりと動き、人差し指と親指の間に鋭い痛みが走る。爪で引っかかれたであろう手には小さな切り傷ができていた。
さて、問題はここからだ。慎重に願いを決めなくては。
「二つ目の願いだ。『猿の手よ、お前は私が言う全ての願いをいかなる代償無く、私が望む形で叶えるのだ。』」
握った猿の手がもぞりと動く。だが一度目のように痛みは無い。
なぜなら私は願いを叶えるたびに引っかかれて手を傷だらけにする趣味などないのだから。
これで猿の手自体の危険は去ったと思う。さあ、ここからが本番だ。
「三つ目だ。『藤堂和彦と藤原速人先輩の猿の手で本当に叶えたかった願いを、彼らが本当に望む形にして歪みなく叶えよ。』」
手の中の猿の手が苦痛に身もだえるようにグネグネと動くと、藤堂のスマホに軽快な着信音が流れた。
「・・・はい、ありがとうございます。・・・はい、それで結構です。」
「何があった?」
驚きに固まった藤原に問う。
「ずっと前、オレも今まで忘れてた懸賞に当たった。商品はバイクだと。週末に納品すると電話があった。」
きっと先輩の方もうまいこと解決しているに違いない。
「さあ!猿の手よ四つ目だ!『私を神話伝承で語られる神々の如き全能の存在にするのだ!』」
手の中で猿の手が激しく暴れるようにガタガタと震える。
パン!
握った感触が消えたことを不審に思い手を開くと、そこには塵しか残っていなかった。
「あー、すまん藤原、猿の手に余る願いだったみたいだ。壊れちまったし、全能になった気配も無い。」
「いや、残念だがいいさ。オレが使ってもロクでもない結果にしかならなかったしな。
それより京介、五つに増やした最後の願いは何にするつもりだったんだ?」
「全能になれば自分で好きなだけ願いをかなえられる。
だから猿の手やそれに類する物を全て葬り去ろうと思ったんだ。
特別な一人は自分だけで十分だし、それに猿の手の願いの代償で不幸になるやつも居なくなるだろう?」
ちらりとテレビに目を向けると、凶悪犯が捕まった事を知らせる速報がテロップで流れていた。