紙の発明と商売
試験的に午前中の更新をしてみます
今回は、知識チート回ですね。
風花の情報では、BC707年である現時点では、【紙】は発明されていないらしく、少なくとも確実に普及はしていない、ということであった。
では紙の替わりに、この時代では何が使われているのかというと、【木簡】だ。
木簡は、要するに木札のことであり、細長い短冊状の木の板をイメージしてもらえれば遠くない。
それらを紐で連ねて使うわけだが、書ける文字の量も少ないし、なにより嵩張るので、その利便性は紙と比べるべくもないものであった。まぁ保存性においては木簡の方が優位なのかも知れないのだが。
紙の発明といえば、Paperの語源である【パピルス紙】を思い浮かべる人もいるかも知れないが、これは定義上、紙ではない、とされているようであった。
パピルス紙は、パピルスという植物の茎を薄く削いで重ねて作ったものである。つまり、植物の繊維をほぐして薄く漉いて作る、一般に【紙】と呼ばれるものの製法とは大きく異なっているのだ。
パピルス紙は、制作に多くの手間が掛かかったし、そもそも材料が世界中にあるわけではない。折り曲げにも弱いこともあり、広く普及はしなかったってわけだ。
では、俺たちが良く知る【紙】は、いつ発明されたのか?
一般には、AC105年頃、蔡倫という後漢時代の中国の役人が発明したとされているが、彼は【発明】したのではなく【改良】したというのが正しいようだ。
実のところ紙は、蔡倫から遡ること200年以上も前から存在していたことが、中国の遺跡調査やらで確認されているらしく、その近辺に発明されたのであろうと考えられている。
つまり、少なくともBC707年に、紙は存在しないと予想される。
そこで俺たちは、【紙】を作って、それを商おうと決めたのだった。
紙の発明者として、歴史に名を刻むはずだった蔡倫さんには、本当に申し訳ないと思うのだけれど、紙の材料は安く簡単に手に入るだろうから、俺たちが扱う商材としては最適だと判断したのだ。
まず間違いなく売れると思うしな。
「そんなものがあるのか……!?」
鮑叔に【紙】について簡単に説明すると、彼はかなり乗り気になってくれていた。
ただ、商売に関する裁量権は管仲が持っているらしく、飯を食った後で宿に戻った俺たちは、再度、管仲に同じ説明をすることになった。
「……非常に興味深いですね。木簡は重くて嵩張りますから」
管仲は、荷車の隅にまとめられている木簡の束を見せてくれる。
こりゃ、たしかに邪魔だわな。
「ただ、商売として考えた場合、原価の問題がありますね。原材料はどのようなものになるのでしょうか? 作るための人夫はどのくらい必要ですか? また、人夫に必要な素養などはありますでしょうか?」
原材料や作り方ついても、風花の検索能力を使って調査し、既に方向性は決めていた。
「材料は、桑の枝、正確には枝の樹皮ですね。それと黄蜀葵の根っこ。これについては、用意するのが難しければ、代替品を考えます。あとは木や藁を燃した灰……材料的にはこれだけです。道具として、布や木枠、木槌や水槽などが必要ですが、消耗品ではありませんね。紙を作ること自体は難しくないので、まずは俺たちで試作してみようと思っています」
「ふーむ。それならば、ほとんど費用を掛けずに材料を容易に集められそうです。鄭都の拠点に戻るまでに、試作品を作っていただけますでしょうか? それ次第で本腰を入れるべき商材かどうかを、判断させてください」
「承知しました!」
「ちなみに、それの存在や製法を、どのように知ったかは……?」
「教えられません」
「でしょうね。諦めましょう」
聞いてみると、曹を経由して鄭の都に至るまでの道のりは、少なくとも50日以上掛かるとのことであった。
材料集めと、試作品を作る時間は十分にあったので、俺たちはのんびりと旅を楽しむことにした。
衣食住が保証されているって、最高だね!
旅の道中で、製紙の材料を揃えていく。
一番困ったのは【黄蜀葵】だ。
商店で扱われていないようなので、自力で探すしか無かったからだ。
ちなみに桑の枝は、養蚕が行われていたので、それ自体は商品として扱われてはいなかったけれど、養蚕業者と交渉すれば、簡単に手に入れることが出来た。
それも二束三文で。
「あ、これじゃ! これと同じ植物を探すのじゃ!」
俺は、黄蜀葵がどんなものか分からなかったので、ネット検索機能を持つ風花に、サンプルを探してもらっていた。
管仲と鮑叔に、風花が見つけた黄蜀葵のサンプルを見せると、たまに見かける植物だということなので、本制作に入ることになったとしても、材料に困ることはなさそうだ。
黄蜀葵は栽培が簡単なようなので、拠点に着いたら、自分たちで栽培してみるのも良いかもしれない。
紙の試験的制作は、曹に着いてからやることにして、そこまでの道中で下準備を進めておくことにする。
まずは、桑の木の枝を適当な長さに切り、一晩水につけておく。
次に、枝から皮を剥いて、その樹皮から表皮のみを削り取って【靭皮(表皮の下の柔らかい部分)】だけにする。
これで紙の基本材料となる、繊維の取り出しの完了だ。
黄蜀葵は、繊維と繊維を繋ぎ合わせる【糊】の役目を果たす。
糊作りはまず、黄蜀葵の根を乾燥させたあと、細かく切り刻んで水に漬けておく。そうすると、ねばねばの液が出来るので、それを布で濾してゴミを取り除けば糊の完成だ。
灰は、旅の間に火を炊くから、どうしたって出るので、それを回収して集めておいた。
大分時間が余ったので、ついでに油の材料になりそうなものも集めておく。
菜種をメインに、擦り潰してみて油の含有量が多そうな植物の種子を、片っ端から乱獲していく。
管仲が『何をしているのか』と聞きたそうにソワソワしていたが、早々にネタバラシしてもつまらないので、無視しておいた。
そうこうしている内に、曹の都である陶丘に着いた。
数日間、管仲は商いに、鮑叔は調査に出るというので、俺と風花は、いよいよ紙の制作に取り掛かることにした。
宿の厩の一角を借りて制作環境を整える。
といっても必要なものは、竈と大きな瓶くらいなものである。
水に浸しておいた灰の上澄みを取り出す。要するに灰汁だ。
これを水に混ぜて沸騰させ、旅の道中で作っておいた、桑の靭皮を柔らかくなるまで煮る。
煮た靭皮を水で洗ってから、木槌で叩いて、繊維をほぐしていく。
十分に繊維がほぐれたら、黄蜀葵の根から作った糊と一緒に水に入れ、木枠に張った布を使って、根気よく漉いていく。
厚みがある程度でたら、丁寧に剥がして、天日で干せば完成だ。
「なんか小汚くないか?」
「そうかの? 素人が有り合わせの材料で作ったのじゃから、十分じゃろ」
出来た紙は、表面が凸凹していて、厚さにもバラつきがあるし、不純物が混ざっているからなのか、なんだか茶色っぽいものであった。
でもまぁ、紙であることには間違いないと思う。
「それにしても、意外と楽しかったな」
「そうじゃの! 何かを作ることが、こんなに楽しいとは思わなかったのじゃ。英人と一緒だから尚更じゃな」
二人でわちゃわちゃと、水が冷たいだの、手順が違うだのと言い合いながらの作業は、なんだか楽しいものであった。
余談だが、いつの間にか、風花は二人きりのときに限ってだけど、俺のことを【英人】と呼ぶようになっていた。
別に嫌ではないし、敢えて止めはしないけれど、なんだかこそばゆい。
「このペースなら、1日1人あたりで、50枚くらいは作れるよな?」
「どうじゃろう? 紙を作ることは難しくないと思うのじゃが、材料の加工が問題じゃな」
確かに。
そうなると、材料の加工と、製紙作業を1日ごとに行うとして、1日1人あたりで25枚作れるってところか。
俺と風花の二人がかりで考えれば、1日50枚の生産力ってことになる。
「問題は値付けだよなぁ……」
「そうじゃのぉ……」
この時代、青銅貨幣が使われるようになっているとはいえ、中華での統一通貨というものは存在していない。
簡単に言えば、青銅そのものに価値があり、その重量をベースにして、青銅貨を介して取引しているようであった。
風花にも詳細な貨幣事情は分からなかったので、鮑叔に詳しく聞いたところによると、最小価値の青銅貨(1両と翻訳された。両は重さの単位らしい)でも10人分くらいの食事が取れるらしいので、1両=5000円ってところだろうか?
それ以下の微細な取引はどうしているかというと、規格の無い青銅塊や、大きな商家が発行している証書のようなものが使われているらしかった。
証書は、発行した商家以外では現金化できないので、その地を離れる時に、まとめて青銅貨に替える、ということになる。
中々に面倒な仕組みだ。
「紙は時代を先取りした発明品だからなぁ。結構な値を付けて良いと思うんだよな」
「じゃが、木簡に比べて高すぎると、売れないじゃろ?」
そうなんだよなー。
木簡は、品質を気にしなければ、100枚で1両程度で買うことが出来る。
試作品として作った紙は、1枚で木簡10枚くらいの面積があることを考えれば、面積のみの価値換算だと、紙10枚で1両(5000円)ということになるだろう。
「木簡と同じ価値ってのはないよな。紙の方が利便性が圧倒的に高いし」
「そうじゃな。倍付けくらいしてもよいと思うのぉ」
ってことは5枚で1両。
俺と風花で、1日50枚作れるのだから、1日10両(5万円)稼げることになる。
管仲・鮑叔から出資を受けている間は、利益の1割しか貰えないので、日給は2人で5千円となるが、材料費が安いので出資は直にいらなくなるだろう。
出資なしの場合、10両(5万円)の内の何割を貰えるかは、管仲と応相談だな。
いっそ独立する手も無いことは無いけれど、販売手段の確保や、彼らとの縁を繋いでおくべきことを考えれば、独立は愚策に思える。
いずれにせよ、生きていくための稼ぎとしては、十分なようにも思えるけれど、紙が【歴史的大発明品】ということを考えると、ちょっと微妙じゃないかね?
「まともな宿と飯で、大体1人あたり5000円くらいじゃから、1日で5日分の生活費が稼げると考えれば十分じゃろ?」
「でもなぁ、お前と面白おかしく人生を過ごすための貯金を、俺的には早めに貯めときたいんだよなぁ……」
「妾と///。うむ。そうじゃの!」
まず、拠点としての土地と屋敷が欲しいよな。
それを護ってくれる常備兵も欲しいし、家のことを切り盛りしてくれる家人も欲しい。
出来れば、観光旅行とかもしたいから、馬車も欲しいし、それなら護衛も雇わなくちゃいけない。
夢が膨らむほどに、必要な金も膨らんでいく……これはどの時代に居ても変わらないらしい。
「俺たちで考えても仕方ないから、商売に明るい管仲さんに相談してみるか……」
「それが良いじゃろの!」
「と、いうことで、これが試作品です」
「なにが『と、いうこと』かは存じ上げませんが、拝見いたしましょう」
管仲が、渡された紙を検分して、感じ入ったように頷く。
どうやら感触は良さそうだ。
ついでに、興味津々の鮑叔も混ざりに来ていたが、クンクンと紙の匂いを嗅いだりして、はしゃいでいた。
楽しそうでなによりである。
「これに文字を書いてみてもよろしいですか? もちろん、相応の対価は支払わせていただきますので」
「いえ、元々そのつもりですし、そのような心遣いは無用です」
「そうですか……では、ありがたく」
「風英ってば、太っ腹だねぇ!」
そうかな?
管仲が、筆に墨を吸わせて、試作品の紙にさらさらっと文字を畫いていく。
俺には読めないだろうな……と思っていたのだが、文字の内容が理解できる言葉となって、頭の中を流れていった。女媧様に頂いた翻訳機能は、読解にも有効なようだ。
――風英殿は太っ腹である
なんじゃそりゃ?
試作品の紙を1枚消費するくらい、別に大した話じゃないと思うのだが……。
もしかして、俺、太ったのか?
「……素晴らしいですね」
筆を置いた管仲がボソッと呟いた。
「これであれば、1枚半両でも売れるでしょう」
つまり2枚で1両(5000円)ってこと?
ええと、1日50枚作れるから、1日25両になるか。
日本円に換算すると……1日12万5千円って、マジか!!??