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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

さかさ峠

作者: 嶋森智也

 何十年も前の話です。

 正確な年は覚えていませんが、ちょうどベトナム戦争が紙面を賑わせていた頃なのでだいたいそのくらいの年代でしょう。

 当時の私はN県のK村という山奥の村に住んでいました。

 見渡す限りの大自然なんて言うと聞こえは良いですが、現実は文明の発達から取り残された不便な寒村です。

 中国の秘境さながらの険しい山と谷に囲まれ、最寄りの駅に向かうだけでも車で二時間ほど未舗装の道を走らなければならないという、まさに絵に描いたような田舎でした。

 そういった土地柄ゆえでしょうか、村民たちも国が敷いた公道より昔ながらの山道を利用することが多かったようです。

 これからお話しする「さかさ峠」も、その一つでした。


 さかさ峠というのは、K村の裏手にそびえる山を越えて数キロ先の隣村まで行くための、いわば抜け道と言えばいいのでしょうか。

 以前は役場の職員によって整備されていたそうなのですが、私が生まれた頃は既に立ち入り禁止の立て札がかけられていました。

 理由は知りません。おそらく安全上の何かだと思います。

 もっとも、村民の中で立ち入り禁止の決まりを守っていた者は一人もいませんでしたが。


 さかさ峠にはおかしな決まり事がありました。

  一つ、日が暮れてからさかさ峠を越えてはならない。

  二つ、さかさ峠で揉め事を起こしてはならない。

  三つ、祠の前を通り過ぎる時は祠の方を常に拝みながら、後ろ向きに歩くこと。決して祠に背を向けてはならない。

 祠というのはさかさ峠の中腹に建てられた小さな木祠のことです。

 祠には山の神様が住んでいる。神様に無礼を働いてはならん。騒いではならん。よう頭下げて、腰を低うして通るんだよ。

 この村で生まれた者は皆、大人たちから耳にタコができるぐらいこの話を聞かされます。ナンセンスなしきたりだと思われるかもしれませんが、そういう時代だったのです。


 ここからが本題です。

 その日、私は急ぎの用を済ませるためにさかさ峠へと向かっていました。

 ですが、その途中でたまたま村の駐在さんに呼び止められて、そこで恐ろしい話を耳にしてしまったのです。


「さかさ峠の近くで女の子の遺体が見つかりました」


 駐在さんの話では、今朝早くに畑の様子を見に来た男性が林の中に捨ててあった遺体を発見したのだそうです。

 遺体の身元は私の家の近所に住んでいた七歳の女の子……たしか、名前はチエちゃんだったと思います。大人しくて肌がきれいな、とてもかわいらしい女の子でした。

 犯人がまだ近くにいるかもしれないので十分に気を付けるように告げて去っていく駐在さんを見送りながら、私は暗澹たる思いに囚われていました。

 理由は単純です。チエちゃんは昔から一人遊びが好きな女の子で、さかさ峠の山道で花を摘んだり歌を歌ったりしている姿をたびたび目撃されていたのです。そう、これから私が向かうさかさ峠で。

 日を改めようかと思いましたが、最終的には「できるだけ早めに終わらせて帰れば大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、私は恐怖心をぐっとこらえながらさかさ峠を登り始めました。


 その日のさかさ峠はいつもと違いました。

 上手く言えませんが、空気が淀んでいるような気がしました。とても重苦しくて、山全体が敵意に満ちていました。

 しばらくすると空がおかしくなりました。ついさっきまで真上にあったはずのお日さまはいつの間にか姿を消し、血のような夕暮れがあたりを真っ赤に染め上げています。

 同時に、ひたひたと何かが走る音が聞こえてきました。背後からです。

 振り向いてみましたが、誰もいませんでした。ですが、私が前を向くとまた足音が。

 ひたひた。ひたひた。

 足音は少しずつ近付いてきているように感じました。でも、やっぱり後ろには誰もいない。

 怖くなった私は走り始めました。全速力で。

 草が伸び放題の山道を何度も転びながら、半ば追い立てられるように走り抜けたことは覚えています。

 それでも足音を振り切ることはできません。

 ひたひた。ひたひた。

 もう、無我夢中です。自分でも気付かないうちに大声を張り上げていました。耳も塞いで、とにかく足音が聞こえないように必死でした。

 こちらがどれだけ速く走っても、足音は変わらないテンポで響いてきます。

 それがどんどん大きくなって、とうとうすぐ後ろまで来てしまいました。

 追いつかれた。

 そう思った瞬間、足音がふっと消えたんです。

 おそるおそる後ろに顔を向けると……やはりそこには誰もいませんでした。

 その代わり、祠がありました。

 山の神様を祀った祠。

 そうです。私は足音から逃げることで頭がいっぱいで、知らず知らずのうちに「祠に背を向けてはならない」という禁を破ってしまっていたのです。

 ひた。

 足音がしました。

 狂ったような赤い空を背景に、黒い影が立っていました。

 ピンボケした写真のように輪郭がぼやけていましたが、それはかろうじて人の形をしていたように思います。

 影の手に握られていたのは血染めのナイフでした。

 直感的に気付きました。あれはチエちゃんを死に至らしめたナイフだと。

 私は狂ったような叫び声を上げながら逃げ出しました。

 そこから先は記憶が曖昧です。

 影に襲われて、揉み合いになって、たぶん私はどうにかしてナイフを奪い取ったんでしょう。

 そして、奪ったナイフで影を刺しました。

 何度も何度も相手の体を突き刺して、自分の服が血だらけになったところでようやく我に返りました。

 影はもう動きませんでした。

 私は念のため影の体にナイフを突き立てたままにして、脇目も振らず家に逃げ帰りました。


 明朝、村の誰よりも早く目を覚ました私は勇気を振り絞ってもう一度さかさ峠に行ってみました。

 あの影がまた襲ってくるのではないかと不安でしたが、幸いなことに今度は何も起こりませんでした。

 そうして祠のある場所に到着した私を待っていたのは、崩れ落ちた祠の残骸。それだけです。他には何もありませんでした。

 影の死体も、突き立てたはずのナイフも、どこを探しても見つかりません。綺麗さっぱり消えていたのです。帰ってから服を確認してみたところ、昨日の返り血は残っていませんでした。

 果たしてあの影は何だったのでしょうか? 言い伝えにある山の神だったのか、それとも……

 私は呆然としながら山を下り、以後二度とさかさ峠に近付くことはありませんでした。

 ナイフを処分する手間が省けたことが唯一の収穫でしたね。


怪談のパターンって限られてるのでネタ被りが怖い……。

ラストで読者が受ける印象を逆転させようと頑張ってみましたが、いかがでしょうか。

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