明けない夜への日暮れ 極夜の町のヴァンパイア
吸血鬼の最も恐れるべきは、人間と見分けがつかない外見である。
あなたの隣人は違うと誰が言えますか? ――吸血鬼捜査官リンド・チェイ
白夜を知っていますか?
ご存じの方も多いはず。それは太陽が沈まない夜のことだ。――夜と名乗ってはいるが夜ではない。一日中、陽の光が照らし続ける不思議な夜。
では極夜をご存じだろうか?
こちらは知らない人が多いのでは? 白夜とは逆に太陽が昇らない朝……いや、夜だ。
ここ北の街は、白夜と極夜が年ごとに入れ替わる不思議な土地。
白夜は神の奇跡とよばれており、白夜年には大勢の観光客や参拝者が町に押し寄せる。
反対に極夜年となれば、誰も寄りつかないばかりか住民も逃げ出してしまい、町は空き家だらけとなる。なぜ人々は逃げ惑うのか?
それは……陽の光がなくなると跋扈する魔物がいるからだ。
その魔物の名は…………吸血鬼!
吸血鬼は、その名の通り人間の血を食料としている。すざましい怪力、魔力、不死……、恐るべき能力を持つ魔物だ。
だが弱点もある。にんにく、白木の杭、十字架……中でも一番の弱点が太陽の光!
陽の光がなくなる……。それは吸血鬼への対抗手段がないことに等しい。他の弱点はあくまで補助的なものに過ぎないのだから。
もし、太陽が登らない町に吸血鬼が入り込んでしまったら……。おそらく住民は全滅するであろう。
悲劇を防ぐため、極夜に向けて入念な準備が行われる。吸血鬼が侵入できないように聖域呪文で結界を張りめぐらせ、そして……全住民の”吸血鬼検査”が実施されるのだ。
たった一人でも見過ごしてはならない。
二度と明けない恐怖の夜になってしまうから……。
極夜を間近に控えた北の街。すでに白夜の期間は終わっており、普通の月日が訪れている。……もう夜の方が長いかもしれない。まだ昼間のはずなのに、うす暗くなっていた。極夜は目前まで迫っているようだ。急がなければならない……。いよいよ吸血鬼検査が始まろうとしていた。
検査を実施するのは”吸血鬼捜査官”とよばれる者たちだ。
その中に真新しい制服に身を包んだ男がいる。彼の名はベイカー、捜査官になってまだ間もない新人である。
この任務は初めてだが――絶対に吸血鬼を見過ごさない! 彼は使命感に燃えていた。
吸血鬼検査は3つの方法で行われる。鏡、流水、十字架の3つだ。
ベイカーは、鏡による検査の担当だった。開始まで、あと30分。検査所の前には、すでに行列ができていた。
思っていたより検査を受ける人が多いな。なぜ好き好んで極夜の町に残るのだろうか?
そんな疑問を抱いたベイカーは、並んでいる老人に尋ねてみた。
「捜査官さま。ずっと夜ってのも悪くないもんですぜ。騒がしい客人たちも居なくなって静かに過ごせまさあ」
そんなものなのか。ベイカーは納得して、そろそろ始まる検査の準備に取りかかった。
第一の検査は鏡。理由は不明だが、吸血鬼は鏡には映らないのだ。
幻術でごまかす吸血鬼もいるらしいが、この聖なる鏡には通用しない。残りの検査は必要なく、ここで吸血鬼は見つかってしまうだろう。
ところが……、鏡が曇ってしまっている!
何度ふいても曇りは取れなかった。どうなっている? これでは吸血鬼どころか、普通の人間ですら映らないであろう。ベイカーはあわてて上司に報告した。
「他の検査もあるから大丈夫だろ。全員通らせろ」
なんと、いいかげんな上司だろうか、第一の検査は素通りになってしまった。
残りの検査は大丈夫なのか? 心配になったベイカーは、次の検査所へと向かった。
第二検査所は近くの川に設置されており、すでに行列が出来はじめていた。
ベイカーは、列の最後尾にいる旅人風の男が目についた。
旅人? 白夜年ならわかるが、極夜年にやってくるだろうか? 身のこなしが只者じゃないように見える……。不審に思い旅人に理由を尋ねてみた。
「捜査官さま。私は不眠症なのです。もう、一ヶ月ほど満足に眠っていません。ずっと夜なら眠れるかもしれないと、希望を持ってやってきました」
それはつらいだろうな。ベイカーは納得し、旅人を励まして別れた。
第二の検査は流水。どういうわけか吸血鬼は流れる水を渡れないのだ。流れない水は全く平気なのが、また不思議だった。
そのため検査では、街側を流れる川を利用している。この川を歩いて渡らせることで、渡れない人間……いや、吸血鬼が見つかるはずだ。
ところが……またも異変が起きていた。川の流れが止まっている!? まるで湖のように穏やかな水面だった。
これでは普通に水の中を歩くだけで検査になっていない。どこかで塞き止められているのか? ベイカーはあわてて、先輩捜査官に進言した。
「吸血鬼は他の検査で見つかるだろう。気にするな」
またもや、いいかげんな返答……こんな事で大丈夫なのだろうか?
他の捜査官たちは検査の重大さがわかっているのか? 吸血鬼が潜り込んだらどうなるか……。
ベイカーが思う吸血鬼の真の恐ろしさ、それは血を吸われた者が吸血鬼に変わってしまうことだ。もし一人でも入り込んだら住民全員が……。
ベイカーは急いで最後の検査所へと走った。
最後の検査所でも、まばらながら待っている人達がいた。
ベイカーは離れて佇んでいる女性が気になった。……なんて美しい人だろう。とても人とは思えないほどの美。彼女は周りの人々を観察するように見回している。
ふと目のあったベイカーは、吸い寄せられるように話しかけていた。
「なぜ、こんな物騒な町にやって来たのですか?」彼女に見つめられると、緊張して声は上ずり、日が落ちて肌寒いはずなのに汗が吹き出ている。
「捜査官さま。私は月が好きなのです。極夜なら、ずっと月を見ていられますから」
その返答も声も美しく、魔法で魅了されたかの様にしばらく見とれていた。
だが、彼女のことを思うと余計に不安がましていく。
最後の検査は大丈夫だろうか? 他の検査のように、素通りだとしたら……。
そして吸血鬼が紛れ込み、彼女の白い喉元に噛みついたら……。
ベイカーは気が気ではなく、検査を確かめに向かった。
最後の検査で使われるのは、太陽の光に次ぐ吸血鬼の弱点、十字架だ。
検査のやり方は、十字架を心臓に押し当てるのだ。しかも使用するのは、教会にて清めを受けた銀の十字架だった。
これには、いかなる吸血鬼も為すすべなく即死であろう。万全の検査方であった。
最後の担当は、数々の功績を挙げているベテラン捜査官で、ベイカーの憧れの捜査官でもある。彼に限って間違いはないと思うが……。
「どうしたんだベイカー? 十字架を見たいだって?」
唐突な要求に首を傾げながらも、ベテラン捜査官は銀色に輝く十字架を見せてくれた。
うん、間違いなく銀の十字架だ。心配は杞憂だったようだ……。
ベイカーは安心して担当の場所へと戻って行った。
「ばれなかったの?」あの美しい女性がベテラン捜査官に声をかけた。
「ああ、こう逆さにして見せたからな。逆十字だと気づかなかったようだ」
ベテラン捜査官が手にしていたのは逆十字。吸血鬼には効果がない十字架だった。
「それより、そっちは大丈夫か? 人間が紛れ込んでないだろうな?」
この吸血鬼検査ならぬ”人間検査”、漏れがあってはならないのだ。
もっとも最近は杜撰な検査の噂が広まり、人間が混じることは滅多になかった。
「平気よ。顔見知りしかいないわ。……あの子は事情を知らないの?」
「本人がどうしてもって志願してな。説明する時間がなかった……。それに、あの様子じゃ教えない方が良さそうだ」
「そうね。実は、全員が”吸血鬼”なんて知ったら、どう思うかしら」
「太陽がなければ吸血も必要としない。この方が双方に利益があると言ってもわからないだろうな。ああいう堅物はだますに限る」
「あら、私はだましてないわ。……月が好きなのは本当よ」
彼女は、月を見上げながら牙を見せて笑った。