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八百万が祭る お堂の中はお宝満載  作者: 東東
【第一章】お堂の周りは電波が充満
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 ────蛇、だった。


 認識した途端、芦は自分の思考が真っ白に染まったことをどこか他人事のように感じていた。同時に、蛇は緑じゃないのかとか、人工物の上に乗っているものじゃないだろうとか、水気がないのにとか、むしろどうやって上ったんだとか、本当に色々な思考が錯綜し、自分の中で収集がつかなくなっていくのも感じていて。

 それでも、目は逸らさない。逸らせない。現実から逃げ出すわけにはいかないとか、そんな格好の良い理由ではなく、ただ単に、目を逸らした途端に飛びかかって来るのではないかという、恐怖心の所為だった。万が一、噛みつかれたら死ぬに違いないとまで進んだ、不安によるものでもあった。

 ・・・まぁ、つまり、芦が身動き一つ取れないほど臆病だというだけなのだが。

 目を見開いたまま、身動ぎ一つ取れない芦の目に映るのは、小蛇、と評して良いのではないかと思えるほど細く、長さもあまりなさそうな黒い蛇だった。おそらく、直径は二センチほど、全長も四十センチあるかないかという長さの蛇は、人工物に見えるほど、黒々としていた。僅かな月明かりすら照り返すほど、艶やかな黒。

 そして尾を下の段に垂れ下げながらも、首頭はきちんと持ち上がっており、当然のように芦を向いているその一対の瞳は、夜明けがきてない所為なのか、それとも恐怖心故に見えるモノに対するまともな認識が持てていないのか、深く、鮮やかな紫をしているように見えた。

 まるで、テレビや雑誌で時折見かける、アメジストのような、でもそれよりもっとずっと濃い、紫。

 じっと、その宝石めいた瞳を向けてくる蛇は、身動ぎ一つしない。自分を見つめる人間を威嚇してくる様子もなく、舌を出したり身構えることすらなく、ひたすらにじっと芦を見つめている。

 その様は芦という存在をきちんと認識し、次に取るかもしれない行動、抱いている思考を見極めようとしているかのようで・・・、ともすれば、意思の疎通すら可能なのではないかと思えるほど、賢そうに見えた。

 勿論、それは意思の疎通さえ取れれば無意味に噛まれることもないだろう、噛まれなければ死にはしないだろうという、冷静ではない打算の末、辿り着いた感想ではあるのだが。

 沈黙が、一体どれだけ続いていたのか。動揺甚だしい人間と、一切の動揺が見られない蛇との視線だけの交流は、人間側にしてみれば永遠にも等しいほどの長さだったのだが、実際の時間としてはおそらく二分に満たないほどの長さだった。そのぐらいの長さしか、沈黙は続かなかったのだ。

 正確に言うと、そのぐらいの長さしか人間側が保たずに・・・、つまり続いていた沈黙を破ったのは、人間側である芦の方で。

 異様に乾いてしまった口の中で、喉に舌が貼りつくような状態に追い込まれたのを機に、喉を鳴らして辛うじて残っていた唾を飲み込んだ途端、間の抜けた音が自身の喉から聞こえた。視線を交わしている蛇に聞こえたらどうしようという、妙な心配をしながら新たな心境で見つめた蛇の一部に、沈黙を破る決定的な理由を見つけてしまったのだ。


「おまえ・・・、それ、どうしたんだ?」


 見つけたのは、もたげている首頭とは反対側、垂れ下がっている尾っぽの先だった。階段上になっている先にだらりと下げられているそこは、他の部分と同じように艶やかな黒の鱗で覆われているにも関わらず、たった一点だけが他と決定的に違っていた。

 まず、色が違う。黒一色ではなくて、赤が滲み出ているのだ。しかも、柔らかそうな部位が見えている。血が通っていると思われる部位が。

 鱗が・・・、剥がされているだ。尾を覆っていた、一枚分の鱗が。

 剥がれている、とは思わなかった。剥がされている、と思った。少なくとも芦は、剥がされてしまったに違いない、と確信していた。そしてその確信の理由を自分の中に探した時、探す必要がないほど簡単に、確信の根拠となるものを思い出す。

 芦からしてみればどう考えてもまともだとは思えない、あの二人組。特に、馬鹿笑いをしていた女の姿。

 何かをしたとしか思えなかった。だからこそ芦はここに来て、この場所を見つけて、そしてこの蛇を見つけたのだ。蛇という、お世辞にも親しみやすい生き物ではないが、それでも綺麗な色をしていて、おまけに明らかにまだ子供だと思えるサイズなのに、怪我をしている蛇を。綺麗な鱗が剥がされている蛇を。

 ふいに、芦の中に突き上げるような感情が再び沸き上がってきた。それは少し前まで芦を満たしていた、あの雰囲気に呑まれたとしか思えない責任感、もしくは、使命感だ。

 いくら綺麗でも、子供のようでも、蛇という生き物に対して恐怖心を抱いていたはずなのに、それすらすっかり忘れ果てたかのように、沸き上がった感情に流されていく。それはもしかすると見つめてくる紫の瞳が、その美しさが、どこか穢れを知らない無垢な子供を思わせたからかもしれない。だから、沸き上がる、流される、感情。


「可哀想になぁ・・・、やっぱ、アイツ等がやったのかなぁ・・・、あー・・・、でも、手当もちょっと、俺じゃあなぁ・・・、あぁ、そうだ」


 無垢な子供が頭のおかしな大人に危害を加えられた、芦の中で、それは既に決定事項となっている、悲劇的な現実だった。

 言葉なんて分かるわけもないのに口から零す言葉は、蛇に対する同情と哀れみで、思い浮かべる二人組を示す単語を口にした際に抱く感情は、正義感に支えられた憤り、次いで零れた呟きは、いくら同情しても哀れんでも、出来る事と出来ない事がある現実に対する諦めで、最後に滲んだ呟きは、どうしたら良いのかと小さく悶えた瞬間に聞こえてきた音がもたらした、小さな閃きによるものだった。

 可哀想でも、蛇には触れない。しかし沸き上がってしまった感情が、何もせずにその場を去ることを許さない。だから触らずに、傷つけられたに違いない蛇に対して、今の芦が出来る事。

 閃いたそれに久方ぶりに目を輝かせながら、芦は握り締めていたビニール袋を開き、暫しの逡巡の後、一番下に入れていた弁当を取り出す。今日の三つの弁当のうち、芦が一番楽しみにしていた弁当。勿体ないかも、と少しだけ浅ましい感情が浮かんでしまうが、本能的に浮かぶそれを理性の力でねじ伏せると、透明なビニールを破り、そっと蓋を開けた。

 唐揚げ弁当、という名に相応しく、容器の中には唐揚げがみっちりと詰まっていた。勿論、半分は白米だ。しかしもう半分はほぼ唐揚げ一色で、その唐揚げの下に油が沁みた千切りキャベツが少しと、片隅に、言い訳めいた付け合わせのポテトサラダがほんの少しだけ添えられてる。

 これがある所為で電子レンジで温めようとする際、サラダを別の皿に移すべきかどうか迷うから、止めてほしいと芦個人としては思っているのだが・・・、それはそれとして。

 そっと指先でその唐揚げの一つを持ち上げようとして、芦の動きが止まる。このまま直接手づかみすることに、数秒間だけ躊躇した。指が汚れることは構わない。しかし・・・、芦は持ち上げた唐揚げを、傷ついたこの蛇にお裾分けしようと思っていたのだ。

 傷の手当ては出来ないが、せめて腹一杯に食べて滋養をつければ、傷の治りも早くなるだろうし、元気だって出るに違いないと思ったからだ。・・・蛇が元気を出す生き物かどうかは横に置いておくとして。

 蛇は肉食、そんなイメージが芦にあったのも、唐揚げを選んだ理由の一つだった。肉を食えば肉食な生き物は元気になる、怪我した場所も治る、食べた肉が傷ついた場所に新たな肉を生み出すようなイメージすら抱いている芦にとって、唐揚げを進呈するという行為は、自分が出来る最大にして最良の行動だった。

 ただ、それでも躊躇した。理由は唐揚げを惜しんだからではなく・・・、蛇の射程範囲に手を差し出した場合、その指先を食いつかれないかどうかが心配だったのだ。


 蛇って、空気読むのかなぁ?


 危害を加える人間じゃない、むしろ親切をしようとしている人間だ・・・、ということが、空気で伝わってくれるのだろうか、そこまで察しの良い生き物なのだろうかと、芦の中で疑問が渦巻いていく。唐揚げの一つを無意識に持ち上げながらも、次の行動を取れないまま、じっと、じっと立ち尽くす。蛇を見つける前と、同じように。

 そうして再び馬鹿みたいに立ち尽くしていた芦が次の行動を取ったのは、少々意外なことに、特に何か外的要因が発生したからではなかった。状況に変化はない。ただ、何の変化も起きないでいる事実が、芦に踏ん切りをつけさせたのだ。蛇が、威嚇すらせずにその不思議なほど美しい瞳をじっと向けたままでいる、その、事実が。

 たぶん、大人しい種類の蛇で、だからきっとアイツ等に鱗を毟り取られたりしたんだろうな・・・、そんな想像が芦の中を過ぎり、再び哀れみの感情が高まれば、もう固まっている理由はなくなっていた。


「これ、やるな。とりあえず、元気、出せよ?」


 二歩あった距離は一歩分に近づき、引け腰ではあるが、精一杯手を伸ばして・・・、じっと身動ぎ一つしない蛇の右側、なるべく離れた位置に持っていた唐揚げをそっと置く。いつでも逃げ出せるように、足に力を込めたまま。

 そしてすぐさま手を引っ込めて、未だ蛇が動かない様を確認すると、もう一つ、左手で持ったままの容器から唐揚げを取り出し、さっきと同じように手を伸ばして、置いたままの唐揚げに積み上げるように置いて。


「あー・・・、これも、やるし・・・、うん、大丈夫だよ、食べればたぶん、平気。なんか、丈夫だって聞いた事あるしな」


 手を引っ込めて、一歩後退してから、なるべく穏やかに聞こえる声で告げるそれ。蛇が分かる訳なんてない。そう思いつつも、それでも芦は、人間の狂信によって傷つけられたとしか思えない小さな生き物に、同じ人間という生き物として、何かしてやりたい気分だった。

 たとえ廃棄として捨てられるはずだった弁当を分けるだけだとしても、何もしないよりはマシだと思って。

 蛇は、やはり動かなかった。ただ、相変わらず視線を逸らさない。理由は、勿論分からない。分からないが、芦の中ではたった二つの唐揚げを差し出しただけで、偉業を達成したことになっていた。つまり、もう満足してしまったのだ。だから最後に、分かっているぞ、と言わんばかりの仕草で一つ、頷くと、静かに蛇に背を向け、ゆっくりとその場を離れていった。

 おそらく何一つ、満足に達成していないはずなのだが・・・、確固たる成果を求めるほど確固たるアイデンティティがあるわけではない、凡人自覚がある芦にとって、そんな事実はさして気になるものでもなかったのだ。


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