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長々続いた東狐美南の話は総合的には意味が分からなかったが、哀れな宇江樹の必死の抵抗と、その宇江樹の背後から自分に危害が及ばない距離で行った井雲の援護射撃によって、本人達の言い分だけは分かった。
東狐が何故、みーさんのお堂にあの朝居たのか、何故、芦宅を訪れたのかも。
いっそ聞かなければ良かったのかもしれないと、少々後悔めいたものを抱かないでもなかったのだが。
「ワタクシ、幼い頃に・・・、神に出会ったのです」
・・・その一言を篭もっているバスで聞いた瞬間、芦はあまりにも有り得そうな言い分な気がして、妙に力が抜けてしまった。あ、やっぱりそういう始まりなの? と内心で問い返してしまうくらい、当たり前の出だしに聞こえてしまったのだ。
しかしその後に続いた言い分は、芦の感性に照らし合わせると、かなりずれている気がするものだった。芦にとって宗教というものが馴染みのないものだからとか、そういう問題ではなく、全く別次元のレベルでずれているのだと確信出来るような主張の気がして仕方がなく。
「その時、ワタクシは信仰を抱いたのです。しかし残念ながら、きっかけとなった神は既に他の信仰を守っておられたのです。ですからワタクシは・・・、まだ他の信仰を守っておられない、フリーの神にワタクシの信仰の神になって頂こうと思うのです」
・・・え? 信仰って、それが出来上がってから勝手に神様を連れてくるモン? 神様ってそういうモンなの? という芦の全力の突っ込みもまた、内心だけのものだったし、当然の反応として、みーさんはか細く震えていた。
その反応を見て、芦はやっぱりみーさんは人間の言葉をある程度理解しているのだな、と少々場違いな納得をしてしまうが、勿論それはある種の現実逃避だ。
予測される話の続きに対する恐怖心を、無意識に誤魔化そうとしていたのだろう。どれだけ自分で自分を騙そうと、騙しきれるものではないのだが。
「そしてワタクシ、探したのです。フリーの神を、神が坐す場所を。探して、探して・・・、そしてとうとう、見つけたのですわ。小さな、小さな古いお堂と、そこに坐す、フリーの神の気配を! えぇ、その神こそ、ワタクシ達、『埋け火を授かる会』の神、埋け火を授けて下さる神になるべくして居られる神なのですわ!」
・・・ってか、どうやって探したの? そしてどうやって見つけた? なんで? なんでなの? つーか、確かにみーさんあそこに居たけど、オマエらの神様じゃないし、その気もないし! 埋け火授けるなんて勝手に決めるなって感じだし! と突っ込みは際限なく重なっていく。
勿論、みーさんの震えも際限なく強まっていく。
しかし聞こえてくる東狐の身勝手、且つ、謎の主張に全力で突っ込みを入れながらも、芦は新たな確信を持たずにはいられない。
あの早朝の東狐の奇行はみーさんの存在を見つけたことに対する喜び故なのだろうが、それはつまり、東狐の主張の身勝手さはともかく、やはりその能力は本物らしい、ということだ。一体どういう力なのか、芦にはさっぱり分からないのだが、それでも神様の存在を感じ取る力があるのだ。
抱いた確信は、芦に新たな恐怖を植え付ける。幼い頃に出会ったという神が本物だったのかどうかは分からないが、しかし今、東狐が神様を見つけてその気配を追いかけ回せる以上、相手をただの電波と見なすわけにもいかないのではないかという疑問も沸く。
他の電波より厄介な、本物の能力を備えた電波。つまりは芦の中で、どうあっても東狐達が電波である事実は変わらないのだが。
・・・それでも、僅かな疑問も沸く。僅かであるはずなのに、無視するにはあまりにはっきりとした形を持つ、疑問。
たとえ身勝手な言い分を掲げているのだとしても、本物の能力が備わるほど、ある意味、一途に神を求める彼女達から、神様であるみーさんを隠し続けるのは正しいことなのか? 神様を信じてもいなかった自分達に、それが許されているのだろうか?
みーさんが怯えているし、危害を加えられたから匿うという行為自体が間違っているとは思わない。しかしもしかすると身勝手な理由とはいえ、神様を求めてやまない彼女達のことだから、危害というのも結果的に加えてしまっただけで、意図的なものではなかったのかもしれない。
それならば彼女達に何の弁解の機会も与えないでただみーさんを引き離し続けるのは、果たして正しいことなのかどうかという疑問が芦の中で一定のリズムを持って回っていた。
もしかしたらみーさんとみーさんを求める彼女達の橋渡しをすることこそ、自分の役割として求められているのではないかという疑問。
しかしそんな疑問が渦巻く芦の脳裏に、同時に浮かんでは回り続ける光景があるのだ。人間の身勝手な願い事を目の当たりにし続け、同じ人間でありながらぐったりしていたあの時、みーさんと共に歩いた河原での光景だ。
人間を見ていたみーさんの様子が、その様子を見て胸に抱いた感情が、芦の中で鮮やかに蘇り続けている。
あれだけ身勝手な人間を見たはずなのに、まだ人間の身勝手さを理解しきれず、人間を好きでいるみーさん。その純粋な眼差しと、眼差しに宿っていた気持ち。芦が打算なく、とても素直にみーさんに対して抱いた感情。このままでいてほしいという、それ。
芦が抱いたその感情は、記憶の中で蘇り続けるだけではなく、今も心に在り続けていた。
それに芦は抱いた疑問を受け入れられない、もう一つの感情が自分の中に生まれているのに気づいていた。みーさんは、芦の服の裾を掴み、小さく震え、円らな瞳に涙を一杯に溜めて見上げてくるみーさんは・・・、まだ子供なのに、という思いだ。
確かに神様だけど、神様ではあるけれど、それでも神様であると同時、子供なんだ、という思い。
こんなに子供なのに、あんなに重い電波な信仰を押しつけられなくてはいけないのか?
自分達人間は、そこまで身勝手な生き物なのか? 自分は、そんなに情けない奴なのか? 自分が情けなくて小心者で、波風が立つのを嫌がり、困難に立ち向かうことを避け、だらだら生きていくのを至上の生き方と信じるような人間だと自覚していても尚、受け入れられない疑問だった。
事実だとしたら、受け入れたくない疑問でもあった。
「みぃ・・・?」
見上げてくる、芦に全幅の信頼をおいた紫の瞳。振り返ってみると、この瞳に絆されて始まってしまったんだなと、芦はふいにそんなことを思い、口元に自然と笑みが浮かぶのを不思議に感じていた。