①
由々しき事態だった。・・・勿論、芦と井雲、二人にとっては、だが。
「出雲大社とかってさ、流石にいそうじゃね? よく知らんけど、あそこって偉いんじゃないの?」
「俺もよく知らんけど、偉い気がするし、いそうな気もする。・・・が、俺に休みも旅費もない」
「・・・俺達、なんで貧乏なんだろうな?」
「オマエが貧乏を語るな。オマエよりもっと貧乏な俺が耐えてるんだから」
「・・・俺達、なんで金持ちじゃないんだろうな?」
「・・・あのな?」
「・・・すまん。ただ、俺にも語れるものがほしくて」
お互いのバイトの空き時間、つまり芦のバイトが終わり、井雲がバイトに行く前の、早朝、朝食時間のことだった。状況的には前日の同じ時間帯と全く変わらない。芦宅、テレビの手前にある小さなローテーブルを前に、みーさんを真ん中にして左右に芦と井雲が座っている。
お互いが食べているものも同じ。ちなみに、これは『同じく廃棄弁当を食べている』というわけではなく、『同じく廃棄弁当で、しかも弁当の種類まで同じ』という意味だ。
みーさんは唐揚げが好きで好きで仕方がないので、唐揚げ弁当を持ち帰ってきたのは芦が意識した結果だったし、現在、その意識した通りの現実が目の前にあることは特に何の異存もない。
しかし特別に特定の弁当が好きというわけでもない芦と井雲まで、前日と全く同じ弁当を食べていた。これは芦が意図した結果ではない。呆然として日常に流されているうちに、気がつけば昨日を繰り返していただけなのだ。
これぞ流され力、等と下らないことを芦と井雲、二人揃って思っていたのだが、あまりにも下らないことは自覚していたので、流石にお互い口には出さなかった。
「・・・ってか、どーする?」
「どうするって、それが分かってればとっとと案を出してるっての。何もないからこうして二人で昨日の繰り返しをしてるんだろ」
「まぁな・・・、しかしまさか全滅とは思わなかったからさ。行ってないところもあるけど・・・」
「この分なら、全滅だろ」
「だな」
二人の溜息はあまりにも重かった。ただ、その場に流れている音声は軽い。なんせ毎度お馴染み、芸能ニュースが流れているのだ。勿論、みーさんがテレビの前を陣取った途端、期待の眼差しを向ける為、点けざるをえなかったのだ。
そして点けた途端、不倫報道の続報が流れているのを見た日には、反射的に電源のスイッチに指が伸びたのだが、それより先に上がったみーさんの歓声に、芦と井雲は何かに対する惨敗を悟ってしまったのだった。
そうして結局、今はあの脱税ニュースの続報が流れる番組を眺めながら、時折、みーさんの様子を窺いつつ、芦と井雲は会話を続けている。議題は勿論、今後の方針だ。
半ば放心状態に近いので、方針と言い切れるだけの建設的な力が感じられないが・・・、それでも本人達は一応、方針の相談会のつもりではあった。完璧だと思っていた案が何の成果も上がらず、それどころかとんでもないおまけがくっついてきてしまった昨日の一部始終についての報告も兼ねていたのだが。
実は一度、芦は井雲がバイトから戻って来た際、まだみーさんがいることに驚愕して見開いている井雲をとっ捕まえ、簡単な事情説明をしていたのだが、動揺している上に息も整っておらず、おまけに芦自身のバイト時間が迫っていた為、詳しい説明が出来ないでいたのだ。
ただ芦の精神面の問題から、全く何も言わないというのは無理だったので、バイトの準備をしながら切々と味わった恐怖体験を語り、それから顔が完全に引き攣っている井雲に、状況が明らかに分かっていないみーさんを託してバイト先へ激走したのだった。
ちなみに喋ることを優先した為、芦だけが昨晩は夕飯を食べ損ねている。だからと言って特に空腹で動けなくなったとかそういった事件はなく、恙なくバイトは終了したわけだが。そして戻って来た芦を出迎えたのは、目の下に隈を作った井雲と、未だ健やかな眠りの中にいるみーさんだった。
小心者という生き物は、第三者から見ると責任感に溢れた人間に見えなくもないものだ。
その代表格の片割れたる井雲は、芦がバイトに行く前に怒濤の勢いで語った事件を深刻に受け止めていて、もしも芦がバイト中、あの宗教関係者が押しかけてきてみーさんを強奪しようとしたらどうしようという可能性に押し潰され、健やかなみーさんの眠りを一睡もせずに見守るしかなかった。
その為、完全に目が据わっていたのだが・・・、悪くなってしまったその目つきを視界に入れた途端、芦自身が食事どころか睡眠までまたもや取りそびれていた事実を思い出す。
しかし不思議と、芦に眠気は来ない。同じ小心者でも睡眠をあまり必要としない自分の体質を自覚し、山積みになっている問題の中、芦は一つだけ純粋に得したことを発見したかのように、状況も忘れて・・・、いや、おそらく意図的に忘れた振りをして、据わった目でじっと見つめてくる井雲に向かい、へらっ、という気の抜けた笑みを洩らしてしまった。
当然、人並みに睡眠を必要としているのに、全く得られなかった井雲の怒りの鉄拳を喰らう羽目になったのだが。そしてその鉄拳攻撃に耐えきれず、つい上げてしまった芦の雄叫びに、気持ち良く眠っていたみーさんが驚いて跳ね起きる羽目になるのだが。
ちなみに寝ぼけたみーさんは、何故かバネ仕掛けのように跳ね起き、両手を振り上げて高らかに「みー!」と鳴いた。
寝起きの愛嬌が有り過ぎるその様に、芦と井雲は半ば抱き合うように悶えてしまったのだが・・・、勿論、寝ぼけ眼のみーさんがそろそろ良い年をした男二人の馬鹿っぽい仕草に気づいた様子はなかった。
それから当然のように朝食の準備となり、芦は廃棄弁当を温めながら、改めて昨日、井雲と分かれてからの出来事を話し出す。どこにも神様がいなかったこと、みーさんが願い事を叶えまくってしまったこと、そして・・・、あのメンバーが、まるで待ち伏せでもしていたかのように突如として出現したこと。
最後の部分は、半ば怪談のようになっていた。
芦も井雲も箸の動きを止め、微かに身体を身震いさせてしまう。二人とも、あのメンバーが人間なのかどうかをそろそろ疑い始めているぐらいだが、芦の方はその疑問を抱く度に、悲痛な様子で父の後を追っていた宇江樹の姿が脳裏に浮かんでしまう。
オマエの父は人間から少々はみ出てしまったみたいだぞなんて、健気なあの息子には哀れすぎてとても告げられない、と。・・・告げなくても、あぁして後を追っていれば、いつかは知るところになりそうな気もするが。
「どうしたもんかな・・・」
「なー」
「ってか、さっきからこのやり取りの繰り返しの気がする」
「たぶん、気だけじゃないよな。一歩たりとも前進してない感じ」
「みぃー」
「ん? あぁ、あのおじさんが面白いの? そうだねー、なんか必死に言い訳しているお顔、面白いねー」
「・・・あーちゃん、二股騒動の謝罪会見に対して、その感想はどうかと思うけど」
「いや、あそこまでいくと、もうギャグじゃね?」
「・・・まぁ、いい年した大人が、カメラの前でマジ泣き弁解はないよな。弁解するなら、ちゃんと喋れって感じ」
「俺的には、あんな男に靡く女の気持ちが分からないけどな。二股かけられた女達って、男のああいう姿見て、どう思ってるんだろうな?」
「私の知名度が上がるわ、って思ってんじゃね?」
「・・・いっくん、発言がシビア過ぎ。俺の感想より酷いと思う」
「みぃー!」
二人とも埓があかない問題を前に、議論に飽き飽きてしまい、ついには二股騒動会見をしている俳優に対しての無責任な感想を垂れ流し合ってしまう。
みーさんはみーさんで、二人の発言内容が分かっているわけではないのだろうが、二人が二人だけの話し合いを止め、自分が楽しんで見ているものに注意を向けてくれたのが嬉しいのか、箸を握っていない方の手を振り回して喜んでいる。
・・・喜んで見ているのは、その、二股騒動会見をしている情けない俳優の姿なのだが。
向ける眼差しと同じ冷たい口調で何かを糾弾せんばかりに芦に問いを向けた井雲に、とても薄い硝子のハートを持っている芦は、わりと真面目にその眼差しの撤回要求を出したのだが、あくまで芦の発言の有効性を疑い続けている井雲は、その要求にすぐに応えることはなかった。
ただ、一応聞く耳は持っているらしく、疑いの眼差しを向けながらも続きを促してくる。おそらくあまり期待はしていないが、万が一、何か役立つ案が聞ければ儲けものだ、ぐらいの心境だろう。
向けられている期待がとても薄いものだと知りながらも、多少は役立つ案だと思えるので、芦は必死に再び口を開いた。
・・・何に必死かといえば、隈が出来て目も赤く充血している為、平凡で平均的な、人畜無害な容姿が、大分人相悪く変わってしまっている井雲の様と声と口調に畏れをなして閉じそうなる口を開くのに、必死だったのだ。
寝不足というものは、ひと晩でここまで人を変えてしまうものらしい。
「いや、あのさ、そもそもここに来てくれたのって、唐揚げのお礼だったわけじゃん。たぶんだけど」
「まぁ、そうだろうな・・・、他に用、ないもんな」
「だろ? それでさ、ほら、お礼してもらったわけじゃん?」
「スッゲェー高額で、天罰の恐怖に震えるくらいのヤツな。ついでに俺まで同じ目に遭わされてるわけだけど」
「・・・だから突き詰めて言えば、もう俺には用がないってわけじゃん?」
「毎食、好物の唐揚げ食べられるし、なんだか知らんけど気に入ったらしい芸能ニュース見られるしで、何となく快適生活になってるっぽいけどなー。まぁ、ご馳走している唐揚げ、全部廃棄弁当だけど」
「・・・いっくん、俺がなけなしの知恵を絞って出した案、披露する前に粉々にしたいわけ? それならそれで、今度はいっくんに代替え案、出してもらうから」
「いや、べつに意地の悪いこと、思ってるわけじゃないんだけどさ・・・、あんまり持ちすぎると、辛いじゃん。希望って」
「止めろよっ! その、全てを諦めたみたいな口調と目つき!」
「みぃ?」
「あぁっ! 何でもないっ、何でもないよ、みーさん! ほらほら、今度は一週間の芸能ニュースを纏めたヤツが流れるって!」
「みぃー!」
「・・・ってか、この間からちょいちょい思ってたけど、このチャンネル、芸能ニュース流れすぎじゃね? なんで点ける度に芸能ニュースが流れんの? つーか、一週間分を纏める必要性、あるか?」
「・・・知らん。需要があるんだろ」
まさに出る杭は打たれるというように、大して出てもいない発言に次から次に冷徹な杭が打たれ、芦のあまり強くない心はあっさり曲がる。
その曲がった状態のまま、折れるより先に反撃もしてみたのだが、井雲が酷い形相のまま洩らす、虚しさばかりが募る台詞に、とうとう耐えきれずに雄叫びを上げてしまった。
当然、みーさんが反応し芦の方を振り向いたので、テレビ画面に流れる映像を指差して注意を画面に戻させると、井雲のどこか力の抜けたコメントが重なって、芦がその上に更なる脱力感満載のコメントを重ねて・・・と、当初、用心していたある意味微笑ましい展開で話題は横道に逸れる。
時間の浪費、話が増長する元、しかし今回は悪いことばかりではなかったようで、芦と井雲の間に直前まで流れていた悲痛な色が、お互いに力が抜けた所為で消えていた。おかげで少しだけ時間は浪費したが、芦の話は先ほどよりはもう少し、建設的な色合いで再開される。
「あのさ、話を戻すとだな、みーさん・・・」
「みぃ?」
「あー、ほら、芸能、芸能!」
「みぃ・・・」
「うん、だから、用件は基本、済んでるわけじゃん? つまりこの子の身柄だけ、あの変人達に気づかれないようにお堂に連れ帰ってあげればいいだけなんじゃないかなって思うわけ。別に他の神様にお願いしなくてもさ、あのお堂、この子の自宅なわけだろ? 連れ帰れば自分で中に入るんじゃないの? つまり元通り、みたいな」
「あー・・・、うーん、まぁ、そう・・・、言われればそう、なんだろうけど・・・、でもさ、この子の身柄をどうするかも問題だけど、俺らにはもう一つ、巨大な問題があるわけだろ?」
「ご利益だよな」
「そう。そもそもあのご利益素直に受け取れないのって、廃棄弁当やったり、ちょっと手当してやったり、その程度のことであんなにデカイご利益渡されて、ラッキー、みたいに受け取ったりしたら、親的な何かから天罰とか受けないかって心配があるからなわけじゃん? それってただ自宅に連れ帰ってあげました、だけでチャラになるもん?」
「その辺は・・・、難しいかなぁ・・・、あっ、でもさ? 俺ら、あの危険印の変人達から、もう二回ぐらい庇ったりしてるわけじゃん? それも併せて、チャラにならん?」
「なる・・・、か?」
「難しい? でもさ、マジに危害を与えてくる相手じゃん。そんな奴等から保護してあげてるってことなら、結構、良い印象だと思うんだけど・・・」
「いや、それはそうだって俺も思うけど・・・」
「けど?」
「別に倒したとか、二度と危害を加えませんって誓わせたとかじゃないじゃん? しかもアイツ等、そのお堂の場所も知ってるんだろ? 居場所がバレているのにそこに帰すって・・・、逆に見捨てたって見なされる可能性、ねぇ?」
「・・・その可能性は看過できませんね」
「なんで突然、評論家口調?」
「いや、盲点突かれたって思って。でもじゃあ・・・、俺の案、駄目かなぁ・・・」
「どうだろう・・・、とりあえずアイツ等のことが解決すれば、もう少し何とか出来そうな気もするけど・・・」
「あの電波がなぁ・・・」
「電波だからなぁ・・・」
溜息すら零せない沈黙は、重い。その重すぎる沈黙の中、テレビからは脳天気なキャスターの声が聞こえてくる。
『一体、本命はどちらなのでしょうか? モテ男の苦悩は私達、一般男性には分かりかねます!』・・・分かりかねるなら口にするな、というか、二股男の話をそこまで明るく言うのはどうかと思うけど、という突っ込みを二人ともが内心だけで入れていたが、みーさんはあのキャスター側と同じ反応をしてる。
つまり楽しげな反応。二股という概念を未だ理解出来ていないのだとは思うのだが。
時計の音が妙に耳についた。二人とも先ほどよりは真剣に今後の事を考えているが、最大の難関でもあるあの宗教関係者をどうすべきか案が浮かばず、注意力が散漫になり始めているが故の現象だろう。
このままずるずると同じ生活をしていくわけにはいかない。もしそうなってしまえば、芦も井雲も自分達の自由時間がなくなってしまうのだ。それにバイト以外の空き時間は、全て二人共に過ごす羽目になるのかもしれない。
カップルでもあるまいし、いくら殆ど唯一の友人同士とはいえ、これから一生を共にするのは流石に遠慮したいと思わずにはいられない二人だった。
どうするべきか、どうしたら良いのか、どうすることなら出来るのか。
二人の頭の中に殆ど言葉尻を変えただけの疑問が幾つも浮かび、頭を半ば以上占拠して・・・、膨張する似たような言葉の海に、二人の頭がそろそろ概念的な爆発を起こす、そんな一歩手前の状態にまで辿り着いた時だった。
当然といえば当然だが、室内という安全圏に居る為、全く警戒せずにいた外部からの刺激が訪れたのは。