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八百万が祭る お堂の中はお宝満載  作者: 東東
【第三章】お堂を離れて交々散策
23/37

 みーさんはまだ、逃げ出さないんだなぁ・・・。


 真っ白な布に落ちた一点の染みのように、そんな呟きが芦の胸の中に落ちた。勿論、落とした相手は芦自身なのだが、落ちた呟きに芦は外せない注意を向ける。肉体的な注意は、勿論、みーさんに向けたままで。

 殆ど一日がかりで他の神様達を探し歩いた今の芦にとって、探していた存在と同じ神という存在でありながら、今のような反応を保持しているみーさんの態度は無視出来ないほど気になるもので、少しだけ感動に近い感情を併せ持つようなものでもあった。

 何故なら芦はもう知ってしまったからだ。他の神様達は人間の身勝手さに呆れて、疲れて、哀しんで、嫌気が差し、そしていなくなってしまったのだと。・・・勿論これは、知ってしまったと芦がいつの間にか勝手に半ば事実として認識してしまっただけの想像だが。

 しかし芦にとっては、芦の中にある考えだけが全てだ。だからこそ、人間の他愛ない姿を、営みを見て、これだけ嬉しそうに、楽しそうにしているみーさんの姿が妙に胸を突いた。

 今まではただ無邪気さに愛らしさを感じたり、使命感を感じたりしていただけなのだが、そういった感情とは別に、もう少しだけ深刻で真面目な、重い、芦の中にある語彙ではいまいち表現しきれないモノを抱え始めているのを感じていた。

 願う人の前から、こぞって居なくなってしまった神様達。人間のただの日常の一部を見て、その光景を喜んでくれる小さな神様。


 ・・・みーさんは、人間がまだ好きなんだな。


 自然と、芦の中では『まだ』という単語が零れていた。おそらくその一番の原因は、最初にみーさんを見かけた時、あの蛇の姿のみーさんが負っていた怪我と、その原因となっている存在だったのだろう。

 井雲が目の当たりにしたというみーさんの様子から、東狐達が、つまり人間が原因で怪我を負ったのは間違いないのに、怪我をさせられた東狐達をとても怖がっていたはずなのに、それでも今、芦が手を繋いでいるみーさんは、人間の姿を見て喜ぶのだ。

 小さくとも幸せを手にしている姿に喜びを覚え、身勝手な願いを痛切に祈る哀れな人間に手を差し伸べてくれるのだ。


「みぃー!」

「あー・・・、うん、縄跳びしてるねー。・・・楽しそう、だねぇ」

「みぃ!」


 いつの間にか、あの親子は居なくなっていた。芦が考え込んでいる間に、土手を上って帰ってしまったのかもしれない。その代わりに小学校高学年くらいの女の子が五人ほど、大きな掛け声を上げながら、大縄飛びをしている。

 二人が縄を回し、他の三人がはしゃぎながら並んで縄を飛んでいる姿に、みーさんがまた嬉しそうに声を上げ、芦は返事をしながら頭の片隅で、今時の子供もああいう遊びをするんだな、と意外な気持ちを抱く。

 芦のそんな声に出されない気持ちは手を繋いでいても当然、みーさんには伝わらない。小さな神様は縄を飛んでいる子供の動きにつられたのか、小さな身体を前へ、前へ、小さく跳ねながら進むことに夢中になっているのだ。

 人間の喜びを見て、人間の真似をして、それが幸せだと言わんばかりの空気を漂わせて。

 既に知っていたはずのその無邪気さに、芦はふと、思う。今日一日、ずっと人間の身勝手な願いを目の当たりにしてきたつもりだったのだが・・・、この小さな神様には、目にしている人間の身勝手さが理解出来ていなかったのかもしれない、と。

 みーさんがいたあの堂はあまりにもひっそりしていて、普段は人が寄りつきそうにないし、たとえ何かの用事であのお堂を見つけたとしても、みーさんには悪いが普通の人ならあんな小さくて古そうなお堂に必死でお祈りしたりもしないだろう、と。

 だから今までこの小さな神様は人間の身勝手さを見たことがなくて、今日初めて見たそれがよく理解出来ていないのかもしれない、そんな可能性を思いついたのだ。

 尤も、それは可能性というより、理論立てて考えていけば当然辿り着く考えではあるのだが・・・、芦にとってみればそれは見過ごしがたい可能性を発見してしまったかのような、重大な責任に気づいてしまったかのような、それぐらい重みがある思いつきだった。

 そう、重い、重い・・・、この河原に来た当初に浮かんでいた穏やかな表情が抜け落ちるくらい、重い、思いつき。丁度あの暗い早朝の道で、芦が電波と見なしている彼女達の不審行動を見つけてしまった際に抱いた責任感や使命感と同じ類いの、重み。

 冷たいはずなのに感じている手の温もりや、その小ささ、弾み続ける無邪気な仕草や、何かを・・・、否、誰かを見つける度に上がる笑い声、それら全てが芦には持ちきれないほど重みのある、とても大切なモノに思えるほどの、それ。


 ────もし出来る事なら、このままでいて欲しい。


 感じる重みの中で芦がその時、素直に願ったのは、天罰が下らないで欲しいとかご利益を心置きなく貰えるようになりたいとかではなく、ただそれだけだった。

 芦の、平凡で起伏のないことを望む向上心のない、けれど出来たら世の中が平和で、皆が幸せなら良いんじゃないかとやんわり思っている善良性を保持した人格が、その平和と善良をない交ぜにして自然と抱いた願いだったのだ。

 たとえ人でないとしても、これだけ無邪気で無垢な子供なら、汚いことや辛いことを知らず、ずっとこのままでいて欲しいと願う、ある意味において子供でなくなった人間の身勝手な、それでいて善良な願い。

 その願いを抱きながら、手を繋ぐ子供が神様であるからこそ、芦はもう一つ、身勝手でも思う。


 ────このまま・・・、人が信仰する神様、そのままの在り方でいて欲しい。


 願いを願っただけ無制限に叶えてくれる、人にとって都合の良い神様でいて欲しいと願っているわけではない。芦はそこまで無責任な願いを抱けるほど、大らかな強さがある人格は保有していないのだから。そうではなく、もう少し小さくて、弱々しい願いだ。

 ちっぽけで、叶えば良いなという程度の、ささやかな願いだ。

 人間が縋りついた先に、祈った先に、神様がいて欲しい。あまりに身勝手だからと、愚かしいからと、馬鹿らしいからとその願いを叶えてくれなかったとしても、せめて願った先にいて欲しい。聞くだけでも、聞いて欲しい。


 見捨てないでほしい。神様が、本当にこの世に実在する以上は。


 信仰なんて持っていないし、神様なんて信じていなかった。けれど今、芦は信仰は持てずとも、神様の存在を知ってしまった。手を、繋いでしまった。だからこそ思うのだ。この繋いだ手が、せめて人が傅く先に在り続けていてほしいと。

 縋る人の手がどれほど醜く愚かでもそこにいて欲しいし、それ以前に、願わくば人間の愚かしさなんて知らないでほしいと。

 静かに河原沿いを歩きながら、芦はどこか神妙とすら言える気持ちでみーさんの手を引き残りの道を歩いた。河原はどこまでも続くが、芦達が歩くべき道には限りがある。

 その残りを歩き、惜しむように何度も河原を振り返るみーさんを連れ、ネットの検索結果に従って土手を上っていって・・・、再び人気の無い住宅街を選び、歩き続けること十分程度で芦の部屋に戻れるはずだった。少なくとも、芦が頭に叩き込んだ検索結果にはそう出ていた。

 別段、その結果に間違いがあったわけではない。ただ検索する際、一つだけ入れ忘れていた要素があったのだ。そしてその要素は、どう頑張っても検索する際に入れ込める要素ではなく、そのくせ、入れ込めない所為で悲惨な結果をもたらす要素でもあった。たとえば、そう、今の芦のように。


「おぉっ、神よ!」


 神よ、何故ですか? ・・・と、小さな神と手を繋ぎながら、芦の心は天を仰ぎ、尋ねていた。俺は今日、こんなにも窮地に立たされるほどの酷い行いをした覚えがないのに、どうして今、こんな危機的状況が目前に迫っているのですか、と。

 芦は真剣に、真剣に尋ねた。オレンジ色に染まり始めた空を突き抜け、宇宙を突破して隣の宇宙にお邪魔しそうになるほど遙か彼方の天を心は仰いでいた。・・・が、実際の芦は、決して天を仰ぐことはない。

 何故なら前方から視線を逸らすことは、迫り来る危機を甘受するという結末を意味していたからだ。それ故に、芦の目はドライアイになるほど、瞬きすら惜しんで限界まで見開かれている。

 最良の検索結果に従い、上がった土手の上、目の前の河と平行して続く道路を渡り、町中に戻ろうとした芦の耳に飛び込んできた声と、視界の端に映り込んでしまった映像は、芦が検索条件に盛り込むことが叶わなかった・・・、むしろ条件に入れるべきであると認識すら出来ないでいた要素で、芦が河原を歩いているうちに辿り着いたある程度、高尚な精神を粉塵に変える要素でもあった。

 そしてデジャブでもある。デジャブ、というか、厳密なポーズの差を突き詰めなければ、確実に三回目の光景だ。


 芦の代わりに天を仰ぎ、組み合わせた両手を額に押し頂いて、高らかに神を呼んでいる女・・・、東狐美南。


 何故かまたもや本来なら車が通るはずの車道のど真ん中で、車の姿が影も形もないのを良いことに、お祈りモードに入っていた。当然、傍らにはその東狐を崇拝の眼差しで見つめ、組んだ両手を乙女ばりに胸元で組んでいる従者、宇江樹の父もいる。

 反射的に芦は周囲を見渡すが、父を案じて後を追っていた息子の姿は見えない。社会人なので、おそらく連休ではなく、今日は出社して働いているのだろう。・・・親父も働け、訳分からん女を崇拝してないで、と見つけた男の姿に芦は反射的に訴えるのだが、それも勿論、胸の内だ。

 何故なら声を出せば見つかってしまうから。たった十数メートルぐらいしか離れていない場所にいるので、本来なら芦達が土手から上がってきた段階で視界に入り、見つかっていても可笑しくない状況だが、芦にとっては不幸中の幸いに、当の二人組は自己陶酔しすぎていて、ギャラリーの存在に視線も意識も向いていなかったのだ。


 つまり芦としては馬鹿親父に対する突っ込みを終えた後、下すべき決断はただ一つ。逃げるなら今、だ。


 フードを被って視界が悪くなっていても、自分に酷い行いをした人間の声はすぐに分かったのだろう。

 芦が半ば引き摺るようにしてみーさんを抱き上げた時、小さな身体は哀れなことに、強張って微かに震えていた。フードの中を覗き込む余裕すらない為、その表情を伺うことは出来ないが、それでも芦は抱き上げて力一杯抱き締めた身体に、申し訳なさと後悔の念が沸き上がってくるのを抑えられない。

 せっかく人間を見て嬉しそうに、楽しそうにしてくれていたのに。ずっとそのままでいて欲しいと願っているのに。それなのに自分が、今、土手を上がってしまったばっかりにと。

 芦があまり抱いたことのない、慚愧の念。苛んでくるそれは、しかし今はともすれば他の感情で動かなくなりそうな足を叱咤する役割を果たしてくれた。ついでに言えば、成人男性の平均的力しかなく、体力に関して言えば平均以下の芦に、火事場の馬鹿力というヤツを発揮させる原動力にもなってくれる。

 その力に支えられ、小さいとはいえ、子供を抱き上げたまま、芦は・・・、駆けた。学生時代のリレーですら発揮したことのない力で、ひたすらに駆け抜けた。僅か十数メートル先に広がる危険地帯から我と我が身、そして小さい神様を遠ざける為に。


「あぁっ、お待ち下さい! 芦様! ワタクシ達は、貴方が授かりし埋け火を・・・!」


 慚愧の念に支えられて走っている為、追いかけてくる声に決して振り返ったりはしない。

 自己陶酔から戻り、芦の逃走に気づいた女が上げる声が未だに自己陶酔に塗れているのが分かるうちに、この危機を脱しなくてはいけないのだ。自己陶酔中の人間というのはなかなか全力で走ることが出来ないので、今が芦に残された最後のチャンスだったのだ。

 だから芦は全てを後回しにした。沸き上がる諸々の感情や疑問を、全てどこかに放り投げる勢いで後回しにした。後回し、というか、心情的には追い縋る背後の者達に攻撃的に投げつけていた。

 沸き上がる恐怖を誤魔化す為、そして少しでも追っ手の追跡速度を落とす為に。言葉にすら出さない感情や疑問が何かの足しになるわけもないのだが・・・、それでも芦は投げつけずにはいられなかったのだ。主に、自分の精神状態の為に。


 ってか、マジ、なんでこんなジャストなタイミングでジャストな場所に出没するわけっ? 有り得ないんだけど!


 あと、俺の名前を勝手に呼ぶな! いや、むしろ覚えるな! んでもって、追っ掛けて来るなよ! オマエら、俺らの居場所、察知してスタンバイしてたわけ? 要らないんだけどっ、このサプライズ! つーか、こえーよ! マジ、こえぇーって! ・・・等々、芦が投げつけるブツは最終的には恐怖を訴える形となっていたのだが、大きすぎる恐怖のあまり振り返ることの出来ない芦は、自分の感情を投げつけた先、つまり背後を一度として確認することなく、ひたすら必死に、追いつかれれば間違いなく死ぬ、という自分自身に対する脅しを励みに走り続けた。

 人間、やれば出来ることもあるものである。

 力も体力もないはずの芦は、それから自宅までの道程を一度として止まることなく、あまりの疾走スピードに最終的にはみーさんが上げた楽しそうなはしゃぎ声をサントラに、危険地帯から無事、脱出、自宅への立て籠もりに成功したのだった。

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