③
「・・・なぁ、意外とない? しかも結構近場で」
「・・・うん、あるな。つーか、少し時間かかるけど、歩いて行ける距離に結構な規模のもあるよな?」
「あ、やっぱそこ?」
「俺が検索した中では、ここが近場で一番大きいと思うんだけど・・・、そっちは?」
「俺もそこが一番でかいかなって思ってた。でも他にもそれなりにあるよなぁ?」
「だよなぁ・・・、ってか、寺とか神社って、こんなにちょこちょこあるもん?」
「俺ら、全然見かけなかったよなぁ・・・、通らない道の奥とかにあるからかな? ってか、そんな人通りのない場所にあっても、誰か客、来るのか?」
「いや、神社とか寺に来るのは客じゃないだろ」
「まぁ、そうだけど」
意外なほど近場にそれらしき場所が点在している事実に、少々驚きを滲ませて芦が画面から顔を上げれば、覗き込んだ井雲の画面にも同じ結論が表示されていた。この近くで頑張れば歩いて行ける程度の距離にある、神社や寺。
その中でも一番規模の大きい場所は、芦の部屋から歩いて四十分程度、自転車ならば二十分程度の場所にあった。
井雲の携帯電話の画面を二人で覗き込めば、そこには誰か、見知らぬ人のブログが表示されていて、敷地の内の写真や成り立ち、ご利益などが書き込まれている。あくまで個人のブログなのでその情報がどこまで正しいのかは芦達には判断がつかないが、写真だけでも本当であれば、かなりの規模に見えた。
テレビで時折見かけるような、ビルの狭間に挟まっているような場所ではなく、砂利道や、芦達には名称が分からない、手洗い場のような場所まで映っていたのだ。
「ってか、ここって神社だよな? 寺じゃなくって」
「神社だろ? だって、『輪中稲荷神社』って書いてあるし」
「まぁ、そっか。・・・つーか、俺、実は神社と寺の違いがいまいち分からないんだけど・・・、あれってさ、結婚式やるのが神社で、葬式やるのが寺とかって違いじゃないよな?」
「神主がいたら神社で、坊主がいたら寺じゃね?」
「いや、それもそうかもしんないけど・・・」
「そういう違いじゃないんだろ? まぁ、分かってるけどさ・・・、なんか、もっと根本的な違いってヤツだよな?」
「そうそう、そういうの。あれって、神様の種類が違うの? 宗派が違う、みたいな感じ?」
「神様も宗派も、そりゃ、違うんだろうけど・・・、よく分かんねぇなぁ・・・、ぶっちゃけ、辛気くさい方が寺ってイメージだけど」
「葬式の白黒イメージが強すぎなんだよな」
「あと、神社は鳥居の赤のイメージがあるから、もう少し華やかな感じなんだよな」
「・・・っていうかさ、俺、思ったんだけど、巫女さんのイメージが神社の明るさを支えてる気がする。日本人の巫女さん信仰、半端ないし」
「・・・いつか天罰下るな、たぶん」
「・・・真っ先に下るのは秋葉原かな?」
二人の脳裏に浮かぶのは、基本的なことすら全く分からないが故の疑問符と、分かりきってしまう現代事情に対する少々の懸念、その懸念を一心に引き受けている彼の地へ対するざっくりとした危機感だった。
東京と名乗るのもおこがましいほど辺鄙で田舎臭が激しい地に住む芦達にしてみれば、渋谷、原宿、そして秋葉原は東京と胸を張って名乗れる東京の中の東京で、そこに天罰が下るかと思うと、虚しいような清々しいような微妙な心境になる。
おそらく、同じ東京であるのに田舎臭が消せない地域に住んでいることに対する僻みなのだろうが。
映り込んだ想像以上の規模の神社をじっと見つめながら、二人はほぼ同時に、自分達の中に生まれているその微妙な感情を心の集積場へ送り込んだ。持てば持つほど虚しくなるし、今は自分達に下らなくとも天罰という単語を想像したくない。
それに他者に下るかもしれない天罰より、自分達に下る可能性がある天罰の方が心配で。
無言のまま交わした視線は、お互いの意思を確認するものだった。二人で視線を合わせたまま一つ、重々しく頷くと、井雲は指を素早く動かし、見つけた神社の詳しい住所や芦の部屋からのルートを確認する。
勿論、徒歩と自転車、双方のパターンの所要時間も、もう一度確認。芦はその操作を身体を近づけて、じっと見守っている。
そうして着々と『神頼み』に向けて準備を進める中、二人はどうしても避けられない検討事案にそろそろ向かい合わなくてはいけない時間に辿り着いていた。勿論、辿り着いた場所は一つ。・・・一体誰が、『神頼み』に行くかだ。
「みーさんって・・・」
「みぃ?」
「あ、呼んだわけじゃないからねー、ほら、ご飯、ご飯。あと、芸能ニュース、芸能ニュース」
「みぃ!」
「うん、テレビ見ながら、ご飯美味しく食べててねー・・・で、続きなんだけど」
「続きは分かってるけど・・・、いいのか? 芸能ニュース勧めて。隠し子騒動が特集されてんぞ」
「隠しきれなくなって表沙汰になったんだろ。オープン情報なんだから、もういいだよ」
「あーちゃん、ちょっと投げやりになってね?」
「いっくん、俺達には全てを投げ打ってでも選び抜かなきゃいけないものがあるだろう?」
「選び抜かなきゃっていうか、押しつけ合わなきゃって感じじゃね?」
「・・・はっきり言うなよ」
「もうはっきり言った方が早ぇーよ。神社、誰が行く? 俺ら二人でってのは無理だぞ。行きと帰りで余裕もって一時間半はかかるとして、お願いだってしなきゃいけないし、ってか何があるか分からんから二時間じゃ済まないって考えるしかないだろ。そうなると神社に行けそうな時間帯で俺ら二人のバイト時間が重ならないのって、俺のバイトが休みの日だけだぞ。こんな、朝早くに行くわけにもいかないし・・・。言っとくけど、俺、昨日休みだったから、連チャンでは休めない。つーか、当分休めない」
「俺は週二で休みあるけど・・・」
「だからオマエのバイトが休みでも、真夜中に神社行くわけにいかないだろ。完全なる不審者だろ、それじゃあ。神主さんとかに見つかったら、それこそ天罰下るわっ」
「まぁ・・・、な」
「ってことはだ、二人の時間が合うかどうかなんて考えるまでもなく、俺が当分バイトを休めない以上、結論は決まってるんだよ。決まっていないのは、みーさんを連れて行くかどうかって問題だけだろ」
「・・・世の中って、理不尽だ。選択の余地すらないなんて」
「・・・理不尽なのはオマエの言い分だ。大体、そもそもの発端はオマエだろ」
途中、名を呼ばれたのだと思ったらしいみーさんを隠し子騒動という、適切だとは思えない話題で誤魔化しつつ、芦と井雲の会話は初めから決まり切っていた結論へと向かう。井雲が告げる通り、それは仕方のない結論だった。
井雲は実家から物資の援助がある芦より金銭的に厳しい環境下にあり、とても芦のように週二でバイトを休めない。おまけに井雲のバイトは日中。そうである以上、見つけた神社へ行くメンバーの一人は芦しかいないのだ。
そして決まっていないのは二人目のメンバー。・・・否、二人目のメンバーが必要かどうかがそもそもの議題だ。つまりみーさんを外に連れ出し、共にあの神社へ行くべきか否か、という問題。
基本的にその問題に関して、芦と井雲の気持ちは一致している。出来ることなら外に連れ出したくない、だ。連れ出せば当然、人目に触れる可能性があるわけだし、それが徒歩だろうと自転車だろうと、ある程度の距離がある場所に向かうのならば、当然、可能性は更に増すだろう。
そしてもし他の人の目に触れればトラブルの元になるし、最悪、みーさんの身の安全が保証出来ない。そしてみーさんを危険に晒せば、芦達自身の身の安全も保証されないかもしれない。
天罰、という単語が何度も頭上を往復する。怖ろしすぎるそれにほぼ同時に身震いしながら、芦と井雲は視線だけで互いの意見を探り合う。
みーさんを連れ出したくない、そんな危険は冒したくないという共通の思いとは別に、連れて行くとなれば自分が引率係だと分かっている芦の目には、自分だけそんな危険な真似をさせられて堪るか、という痛切な思いも宿っている。
しかし芦の感情的な思いを宿した目とは違い、神社に行く役割は自分ではないと半ば決めつけている井雲の目には冷静さが留まっており、一つの可能性を提示していた。
冷静さと理性によって示されているそれは、感情的ではない分、芦よりは熱は低いが、理論武装・・・、めいたものをしている為、芦よりずっと確固とした強さと硬さがあった。
芦の縋るような自己保身の感情を、ぐっさりと突き刺してしまうぐらいには。
「危険だから連れて行きたくないって気持ちは分かるし、その通りだとは思うけどさ・・・、」
オマエ一人で神社に行ったとして、そこの神様、ただの人間の話、取り合ってくれんの?
「・・・偉い人と話す時ってさ、誰か、それなりの人に取り次いでもらわないと駄目じゃね? 特に相手、神様だろ? しかも結構大きな神社の。それなのに俺達なんて人間で、しかも平凡で普通でございますって感じの、ってか平凡で普通で可もなく不可もなくって素晴らしい、みたいな向上心の丸っきりないアレな人間だぞ? そんなのがいきなり押しかけてきて、話聞いてくれると思うか?」
「いっくん・・・」
「それだったらみーさん連れて行った方が、同じ神様なんだし、ちゃんと話、聞いてくれんじゃねーの?」
「・・・なぁ、マジ、バイト休もうぜ。俺だけであの神社、みーさん連れて辿り着ける気、全然しねーよ」
「・・・あのさ、廃棄弁当恵んで貰えれば食費はどうにかなるけどさ、人間が生活するのって、他にも色々金がかかるんだぞ。その金、誰が捻出するんだよ? オマエ、俺がどれだけギリギリでその金、作ってるか知ってるだろ? 一日バイト休んだだけで、俺の生活は困窮を極めるんだぞ。それともオマエ、俺の人生賄ってくれんのかよ?」
「人生までは賄えない・・・、つーか、何でいきなり人生? まぁ、生活も賄えないけど」
「それなら仕方ねーだろ。ってか、大体何回も言うけど、オマエは自力でこうなっているけど、俺はオマエに巻き込まれてこうなってるんだから、オマエが出来ることはオマエが根性出してやれって」
「俺が出来そうにないから無理だって言ってるんだろ。それに巻き込まれた巻き込まれたって、そりゃ、そうかもしれないけど、だったらオマエ、当たったごっついご利益、捨てられんのかよ?」
「・・・それは無理」
「だろ? 天罰さえなければあわよくば・・・、って思ってるんなら、もう一蓮托生じゃん!」
「俺の金欠と一蓮托生してくれないなら、バイトは休めん!」
「うぅー・・・!」
「みぃ・・・?」
「あっ! 嘘! 泣いてない、泣いてないから! 紛らわしいことしてごめんね! 心配しないでいいよ!」
「みぃ・・・」
井雲の理論武装は正直それほど造りの良いものではではなく、簡易なものなので、出来る人なら簡単に突破出来る。
しかし井雲と同程度の力しか持たない、しかも今は冷静さすら欠いている芦では論破は全く不可能で、一応試みた反撃も、井雲の現実で作った刀を振り下ろすような非情な断言の前に、あまりにも呆気なく打ち返されてしまう。
挙げ句、どうにもならない現実にせめてもの嘘泣きをすれば、買うつもりのなかったみーさんの同情を買ってしまい、慌てて否定に明け暮れる始末。井雲はその間に、何故か芦が無造作に部屋の隅に積んでいた洋服を引っかき回す。時折、みーさんの全身を見渡しながら。
「いっくん? 何か、話は決着しました的態度で、何してんの? 俺の服、勝手に掻き回す必要、今、ある?」
「なぁ、小さめのパーカーとかないの? もしくはレインコート・・・は、雨降ってなかったら不審感、倍増か」
「えーっとぉ・・・、いっくん?」
「あと、靴は要るよなぁ・・・、裸足は拙いだろ、裸足は。やっぱ買うしかないか・・・? でも子供の靴って、小さいくせに馬鹿みたいに高いんだよなぁ・・・、服もそうだけどさ。ってか、子供用の物って、何でどれもこれもあんなに高いだろうな? 材料費、大人用より少ないんじゃねーの? やっぱり、小さいから作るのが大変ってことか?」
「いっくん、頼む、俺を仲間に入れてくれ。ってか、一人で勝手な方向へ踊り出さないでくれ」
「あっ、これ、良くね? 思いっきり全身覆うことになるから多少不審者感が出るけど・・・、まぁ、子供が着ている分には、あら、大きい服着ているのねー、みたいな微笑ましさでスルーされっだろ」
「いっくん!」
「煩せぇーな。一人で取り残されるのが嫌なら、オマエも手伝えよ。ってか、俺、あと一時間半ぐらいでバイトなんだからな。それまでに決められないことは、オマエ一人で対応ってことになるんだからな」
「・・・つーか、行くの、今日なの?」
「当たり前じゃん。明日になれば何か変わるってわけでもないんだから、先延ばししてもしょうがないだろ。だからあと一時間半で俺は一旦タイムアップだから」
「・・・俺、子供用の靴、一足持ってる。長靴だけど」
「はっ? マジで? 意味不明なんだけど!」
「親が俺が子供の頃のヤツ、送ってきた。意味は俺にも不明」
「・・・うん、まぁ、不明だな。でもとりあえず出してみろって」
井雲の、自分が直接対応をするわけではないと断じているが故の機敏な行動に、当初は抵抗を示していた芦も、最終的にその抵抗が自分に不利に働くと理解し、抵抗姿勢をあっさり翻して協力体勢に入る。
そしてその姿勢に入った途端に思い出した、数ヶ月前の母親の突発的な謎の行動結果を捜索すると、二度と見ることもないだろうと仕舞い込んでいた段ボール箱の中からそれは見つかった。
少しだけくすんでしまった、青の子供用長靴。何の絵柄も模様もないそれは、芦の記憶が確かなら、小学校一年生ぐらいの時に履いていた物だ。物持ちが良い母親ではあるが、何故それを取っておいたのかが分からないし、突如として芦に送ってきた理由はもっと分からない。
しかしその意味不明な母親の行動が今、まさに役立つことになったのだから、今更ながら母親という存在の偉大さをひしひしと感じる芦だった。
取り出した長靴と、選んだフード付きパーカーは、多少の不審感を漂わせながらも、幼子故の小ささが愛らしさとなり、なんとか見られなくもない、というレベルに達した。
濃い緑のパーカーは、芦が着ると少しゆったりとした感じになるものだが、みーさんの少々浮浪者染みた服の上から着せれば、下に着た服がすっぽり隠れ、踝くらいまで覆い、まるでコートでも着ているかのような姿になる。
勿論、フードも被る。大きさが合っていない為、鼻の辺りまですっぽり隠れ、前方が見えなくなっているのだが、そこは芦が抱き上げるか手を引くかすると決まった。
幸い、フードの影で口元も見えにくくなっているので、鱗柄の肌が見える心配はほぼ無い。手も、爪先が出ないほど袖が長い状態で、子供がふざけて大人の服を着ている、まさにそんな状態だ。
本当に、ある意味、無邪気な子供の悪戯めいて、可愛らしいと思えなくもない。・・・ので、そのパーカーはともかくとして、気になるのは足下、つまり芦の母親の偉大な成果、青い子供用長靴だった。
サイズは合っている。吃驚するぐらい、合っている。試しに履いてみたみーさんは、その長靴特有の履き心地を面白がり、楽しげに部屋を歩き回っている。そして弾むような足取りに身体が上下する度に、小さな鈴音が零れていた。
大きすぎるパーカーと、長靴姿でちょこちょこと歩き回る子供の姿は、雨の日に水溜まりを踏んで歩くレインコート姿の子供にしか見えず、まさか歩いているのが人間の子供ではないとは夢にも思わないような、ピッタリ加減だ。
但し、外が雨、もしくはせめて雨が降り出しそうな曇天であるならば。
「なぁ、今日の天気予報って・・・」
「一日、快晴。日中は暑くなります、だった」
「パーカーはともかくさ・・・、長靴って、どうよ?」
「だって子供靴、高いぜ? 俺ら、受け取れないブツがあるだけで、金が有り余っているわけじゃないだろ。つーか、買うならオマエの金で買えよ。俺に子供靴買う金はない」
「俺だって、オマエみたいに生活に困りかけるほどじゃないってだけで、余裕がある生活しているわけじゃねーよ。だから廃棄弁当、貰ってきてるんじゃん」
「・・・よく考えたら、全てはその、廃棄弁当から始まってるんだよな」
「・・・貧乏って、怖いな」
井雲が告げる本日の天気情報、及び、冷静な現状に関する指摘は、芦の心に深く、重く、突き刺さる。貧乏、それはとても虚しく、辛い単語だ。べつに本当に貧乏なわけではない。生活に困窮しているわけでもないし、借金があるわけでもない。
実家に見捨てられているわけでもないので、困った時は今回もスペシャルな活躍をしてくれた母親が、きっと救いの手を差し伸べてくれるだろう。
しかし裕福、と言い切れるだけの財力はなく、その為にケチった結果がこれでは、貧乏、という単語がどうしても突き刺さってしまうのだ。たとえそれが、自分で口にした単語だとしても。
「みぃ?」
二人して零した溜息。そんな二人をパーカーと長靴姿で見つめるみーさんは、不思議そうに小首を傾げて小さく鳴く。莫大なご利益を下さった、芦達を裕福すぎるほど裕福にしてくれた、小さな、小さな神様。しかし莫大すぎて、受け取れないご利益とそれ故の莫大な悩みを授けて下さった蛇神様。
小心者でさえなければ抜け出せた金銭的な悩みは、神様が授けてくれた莫大なご利益のおかげで、際限なく膨らむ一方だった。