②
無事、着いた自宅では寝ぼけ眼の井雲とみーさんがお出迎えしてくれて、その時になって芦はふと、自分がかなり長時間睡眠を取っていない事実に気がついたのだが、何故か全く眠気を感じることなく、部屋に入り・・・、そのままかなり早い朝食タイムに突入していった。
勿論、持ち帰った廃棄弁当でだ。
袋から唐揚げ弁当を取り出した途端に、その弁当へ向かって両手を伸ばしてはしゃぐみーさんを宥めつつ、芦は食事の用意を始める。とはいっても、弁当を一つずつ電子レンジで温め、コップと作り置きの麦茶を用意し、台布巾を水で濡らして絞る、程度のものだが。
井雲はその間、みーさんが芦の邪魔をしないようにテレビを点け、テーブルの前に誘導してテレビを見せている。リモコンを持たせて、好きなチャンネルに変えられるよう操作説明もした。
最初は唐揚げ弁当が気になって仕方がない様子だったみーさんは、放送されている芸能ニュースにすぐにその心を移し、井雲が教えるリモコン操作にも興味を示して、テレビ画面とリモコンを交互に見ながら、楽しげにボタンを押していた。
しかし一通り全てのチャンネルを網羅した後、最後に選んだチャンネルはやはり芸能ニュースを流している放送局で・・・、嬉しそうなみーさんの隣で、井雲は少々複雑な色を顔に浮かべてしまう。
人間より高貴で偉大なはずの神様が興味を示すものが、一体何故、芸能ニュースなのだろうと。世界情勢とか、そこまで大きくなくても国内の真面目なニュースとか、もっと興味を示すべきものがあるんじゃなかろうかと。そういったものに興味を示してもらわないと、人間社会はこのまま駄目駄目になるんじゃないだろうかと。
芦もそうだが、井雲も世界だの国だの、そこまで広大な範囲の物事は考えられない人間で、選挙にすら行ったことのない、ある意味国を語る資格を持たないような若者だ。
・・・が、流石に隣で明らかに人ではない、井雲達の中では神様に断定されている存在が人間社会の中でも尤も虚飾と虚偽に満ち溢れている・・・、と井雲は信じている芸能世界の下世話な話ばかり垂れ流しているニュースを見て楽しんでいる様は、どうかと思ってしまう。
人間社会の全てがこんな感じだと思われるのもどうかと思ってしまうのだが、万が一にも、人間社会はこんなにくだらないんですよ、と誰かに報告されたり、後々、こんなにくだらないなら滅ぼしちゃっても良いですね、的な判断が下されても困る、とも思ったし。
「みぃー」
「あー・・・、楽しいの?」
「みぃ!」
「そっかぁ・・・、でも人間社会にはもっと立派で楽しいものもあるからねー、そこのところ、一応、頭の片隅に置いておこうねー」
「みぃー!」
「うん、今はテレビに夢中なのね・・・」
一応、人間代表として一言、やんわり進言してみたのだが、あまりにも言い方がやんわりしすぎていたのか、それともちっぽけな人間如きの進言を聞く気が偉大な神様にはなかったのか、さもなくば人間代表を評した井雲がちっぽけすぎたのか、もしくは話を聞くべき神様が目の前の芸能ニュースに心を向けすぎているのか、返ってきたのはその神様がテレビに視線を釘付けにしたまま上げるはしゃぎ声だけだった。
丁度、今は離婚訴訟中の芸能夫婦のうち、妻の方が夫のかつての浮気を暴露している。裁判中にテレビカメラの前でべらべら喋っていいのか? という、ある意味暢気な疑問が井雲の脳裏を少しだけ行き来したのは、紛れもない現実逃避に違いない。
せめて結婚とか熱愛発覚的な話を流してくれ、と心の片隅で願っているのもまた、逃避活動の一種だった。
「ほら、もうすぐ全部温まるから、テーブル拭いといて」
「りょーかい」
逃げ出した先で現実以外をエンジョイしようとしていた井雲の元に、タイミングが良いのか悪いのか、芦が濡らした台布巾を持って声をかけてくる。
渡された布巾を素直に受け取り、相変わらず楽しそうなみーさんを横目に小さなテーブルを拭いていると、コップと麦茶を持った芦が戻って来て、拭かれたテーブルの上に無造作に置いていく。
再びキッチンに戻る芦を見送りながら、井雲は並べたコップに麦茶を注いで真っ先にみーさんに差し出すが、残念ながらテレビに夢中のみーさんは気づきもしなかった。
ちなみに先ほどの離婚問題は終わり、今は脱税ニュースだ。勿論、芸能人の。
他人に任せっきりで自分は何も知らなかったのです、とひたすら自己弁護に終始する姿に、井雲は目頭が熱い思いで注いだばかりの麦茶を二口ほど飲んだ。
結構稼いでいるだろうに、どうして税金ぐらいきちんと納められないのか。あまり稼いでいない自分だってきちんと納めているのに、どうして、どうして・・・、と。仮に税務署の人間を騙しきれたとしても、神様の目は誤魔化せないのに、と。特に今、隣で輝いている好奇の目は。
「出来たぞー」
「おう」
「みぃ? ・・・みぃ!」
深呼吸をして、テレビに映る何を喋っても言い訳にしか聞こえない芸能人にもう手遅れだろう忠告をしていると、芦が温め終わった三つの廃棄弁当を持って来た。
みーさんを真ん中にして、右隣に井雲、左隣に芦が座り、自分の前に生姜焼き弁当を置くと、井雲の前には牛丼を置き、丁寧な仕草でみーさんの前には唐揚げ弁当を置いた。今まで釘付けだったはずのテレビ画面から視線を剥がし、輝きに満ちた目で唐揚げを見つめるみーさんの前で、蓋を開け、備え付けの箸の代わりに用意したフォークを差し出してやる。
「熱いから気をつけて、ふーふーして食べるんだよ」と言い添えて。
フォークを握り締め、喜び勇んで一つ目の唐揚げに突き刺すみーさんには、それが昨日と同じく廃棄されるべき物、つまり対価を払っていない物だと認識している様子はない。
ただ純粋に唐揚げが食べられることに喜んでいるようで、芦達は示し合わせたようになんとなく、一つ目の唐揚げを芦の忠告通り何度も息を吹きかけて冷ましながら食べ終わるまで、みーさんを見守ってしまった。お供え物を神様が喜んでくれるかどうか、確認するかのように。
「みーさん、美味しい?」
「みぃ!」
「そっかぁ・・・、それなら良かった、良かった」
「・・・廃棄だけどな」
「・・・まーな。実はさ、唐揚げ弁当だけでも買って帰るべきかなって迷ってたら、店長に言われてさ」
「何を?」
「遠慮することない、持って帰れって。これも俺の労働に対する正当な報酬だから、的な発言してさ。あと廃棄費用削減に従業員として取り組んだ結果だと思えば、的な助言もあった」
「・・・流石に長がつく立場の人間は、言うことが違うな。そうやって言えばいいのか」
「・・・だよな。俺もその店長の言い方で、うんって感じでさ。持って帰って来た、みたいな」
「みぃー」
「・・・うん、美味しさに変わりはないもんな?」
「いや、絶対今の、意味が分かっての『みぃ』じゃないから」
無事、喜んでもらえたことを確認した後、どちらともなく割り箸を手に取り、何かをやんわりと包むような会話を交わしながら食事を始める。
自分が働くコンビニで対価を払って弁当を買うことがない為、廃棄弁当との味の違いがあるのかどうかなんて芦には全く分からないし、芦が貰ってくる廃棄弁当を食べ慣れている井雲もまた、詳細な違いは全く分からないのだが、二人の感想としては、やっぱり味は大して変わってなさそうだなというものだった。
そうしてちょっとした引っ掛かりを飲み込みながら食事をしつつ、唐揚げと時折、芸能ニュースに夢中になっているみーさんを見守りながら・・・、人間二人の話題は自然、今後についてに向かい始める。
避けられるなら是非、避けたいが、これからの生活にも関わってくるので、当面の身の振り方について話し合わないわけにはいかないのだ。
芦としてはいつまで誰にも見られないでみーさんの世話をしていけるか分からないし、井雲にしたって芦宅に毎日泊まり込むわけにもいかない。・・・たとえ実質、泊まり込んでも何一つ困らなくとも、一応、そういうわけにもいかないという建前を自分の中に持っているのだ。
「どーするよ?」
「俺、今日はこの後、バイトあるぞ」
「いや、分かってるけどさ・・・、夜は戻って来られるだろ?」
「まぁ、戻ってくるけどさぁ・・・、この子だけで残しておくわけにいかないし」
「だよなぁ・・・、アイツ等がまた来たりしたらヤバイし・・・」
「つーか、結局、なんでアイツ等ここを嗅ぎつけてきたんだよ? ってか、嗅ぎつけてきたんだよな? 偶々じゃなく」
「その辺は確信が持てないけど、たぶん、嗅ぎつけてきたと思うんだよなぁ・・・、でもさ、どちらにしろ、アイツ等が二度と来ないって断言は出来ないだろ? 来ちゃって、それでみーさんが見つかっちゃったら、何されるか分からんし・・・」
「拙いよな。俺達の今後的にもヤバイし・・・」
二人の視線は自然、小さな口に唐揚げを頬張り目を瞑って幸せそうに味わっている、みーさんに集まる。悩む人間二人の視線には気づいていないみーさんは、どこまでも幸せそうだ。ひたすらに、幸せそうだ。しかも平和でささやかそうな幸せだ。とても人間が勝手な理由で壊してはいけないような幸せだ。
平和をこよなく支持している二人は、そのみーさんの様子に二人揃って静かに目を伏せる。数秒の沈黙は、壊してはいけないこの幸せに捧げる二人の祈りだったのかもしれない。
無言のまま何度か頷いた二人は、これまた揃って目を開き、視線を交わす。やっぱりこの平和な感じは、アイツ等に壊させちゃ駄目だよな、という合意を交わす視線だった。
「やっぱ、なぁ・・・?」
「うん・・・、可哀想だろ、アイツ等に捕まっちゃったら」
「だよな・・・、あんな電波には渡せないよな。・・・ご利益の件もあるしな」
「確かに、それもある。良心もある」
「あるよなぁ、良心。こんなに小さいもんな」
「まぁな・・・」
二人の意見は一致している。目指したい方向も一致している。良心によって、あんな訳の分からない宗教団体にこの小さな神様が連れて行かれるのを許すことは出来ないし、打算によって、怖くて受け取れないが莫大なご利益があんな奴等の所為で完全に失うなんてことも許容出来ない。
怖くて受け取れないだけで、潔く手放したいとは思えないのだ。そう思えるくらいなら、こんなにも悩んでいないわけだし。
だから一致している方向は、この小さな神様をあの彼女達に危害を加えられないように、一番良い形であるべき場所に返してあげること、そして貰っても天罰が下らない形で、もしくは天罰が下らないと確信出来る形であの莫大なご利益を頂けるようになることだ。
しかし二人とも自分達があまり力のない、根性もない、知恵もない人間である自覚がある。何せごく一般的な人間であることに喜びを感じているほどの人間なのだ。テレビに映れたら嬉しい的な気持ちすら欠片もないタイプの人間でもある。
その為、自分達ではどうにも出来ないのが分かっていた。分かっていて、しかしどうにかしなくてはいけなくて、板挟みの状態に二人は食べながら頭を抱える。勿論、実際には右手に箸を、左手に弁当の容器を握り締めている為、片手たりとも頭に触れてはいないのだが。
・・・人は、自分ではどうにもならない窮地に陥った際、行うことある。誰しもが必ず行うわけではないが、芦達のように信仰心の欠片もない人間ですら頻繁に行う可能性があることでもある。
簡単に表現すれば、『助けて、神様』、つまりは『困った時の神頼み』というヤツだ。そしてその時、二人は揃ってささやかな気持ちで願っていた。『助けて、神様』と。二人の間に当の神様がいるのだが・・・、その神様をどうにかして下さいと願ってみたのだ。
『困った時の神頼み』は、大抵、頼むだけでどうにもならない。ただの気休めだ。しかし今回ばかりは多少、得るものがあったらしい。
芦達自身、思いもよらない収穫、閃き、とでもいえばいいのか・・・、二人同時に頼んでいたので、二人同時にどこからか脳裏に降ってきた。天からでも神様からでもないことは確かだと思われるのだが。
そして同時に降ってきた閃きを、先に言葉という形に変えたのは井雲だった。やはり二人のうち、冷静さにおいて多少の有利を占めるのは井雲の方なのだろう。
「神様のことなんだからさ・・・、神様に頼めば良くない?」
「今、俺もそれ思った。もしかしたら神様にも種類はあるかもだけどさ、神様は神様なんだから、神様が困ってるんで助けて下さい神様、ってお願いしたら、聞いてもらえる気がする」
「なんか早口言葉みたいになってっけど・・・、でもそうだよな、べつに私利私欲の為じゃなくて、小さい神様が困っていて、俺達人間ではどうにもならないのでお願いしますって言えばいいんだもんな」
「私利私欲・・・、ないか?」
「ねーよ。結果的に神様保護のお手伝いしたってことで、ご利益もちゃんと受け取ってオーケィだってことになるかもしれないけど、あくまでそれは結果的にだろ」
「・・・結果的、なの? 計算じゃなく?」
「じゃなく、だよ。何の計算もしてないよ、俺達は。してないったら、してないんだよ。そうだろ? な?」
「そう・・・、だな。そうだってことにしておけばいいんだよな」
「そうだよ。そうなんだよ。大体、悪いことするわけじゃないだろ。むしろ私利私欲でまだ小さい神様に悪事を働こうとしている奴等から守って下さいってお願いするんだから、良いことだろ」
「・・・だな」
「そうそう、そうだろ? 頼めば絶対力になってくれるって。たぶん、みーさんはまだ子供だからさ、神様だけどあんな奴等に怪我させられたりしたんだよ。他の、たとえば多少立派な神社なり寺なりならさ、もっと大人の神様居るだろ? その大人の神様にお願いすれば、あんな奴等から守ってもらうのくらい、全然簡単だろ」
「・・・だなっ」
少々自分達に対する誤魔化しが入ってはいたようだが、それでも話が纏まれば早かった。二人は弁当を三分の一ほど残したところで出た結論にある程度の納得と安堵をし、残りの三分の一を心残りのない、爽やかな気持ちで食べられた。細かな味の違いが分からない、所謂、庶民舌の二人は、心残りがある時とない時で、味の違いは全く感じてはいなかったが。
そうして味の違いが分からないものの颯爽と残りの弁当を食べ尽くすと、まだのんびりと食べているみーさんを余所に、二人は早速お互いの携帯電話を駆使し、ネット検索をかける。勿論、検索内容は近所に神社や寺があるのかどうかと、見つけた場合は由来や詳細な所在地だ。
正月にもそういった場所に行く習慣のない二人は、芦が見つけたあのお堂以外、宗教に関わりそうな場所を一つも知らなかったし、見かけた覚えもなかったのだ。
検索を開始した時点では、今まで生活していて見かけたことがなかったので、二人とも漠然と多少の遠出をイメージしていた。少なくとも電車は必ず使う羽目になるのではないかという漠然とした想像をしていて、車を借りるべきか、借りるとしても運転が出来るのは井雲だけなのでどうするべきかなどをやはり漠然と考えていたのだが・・・、しかし検索結果は二人の漠然とした想像より確固とした結果を弾き出していた。