書き順なんて大嫌い
「書き順ってなんで気にしないといけないの!」
近衛は怒っている。何に怒っているかと言えば、ニシオに漢字の書き順について再三注意されたことにだ。
「いいじゃん別に!上手にかければいいでしょ!」
机をバンバンと手のひらで叩き、抗議の姿勢を見せる。隣の席の飯田くんは若干引いている。
「上手にかけりゃなんて言うけどなあ。」
3年3組担任のニシオは猛抗議をする近衛を呆れ顔で見下ろしている。
「字がうまい奴が言うなら説得力もあるってもんだが、お前の字は亀裂の入ったアスファルトみたいじゃねえか。」
言われた近衛は怒りを鎮めない。
「意味わかんないし!ニシオの文字だってゴミ箱に捨てられたみたいな字してるじゃん!」
「お前はきれいに字を書く練習をしてる最中の文字。俺はきれいに字を書く練習をした結果失敗した文字。立場が違う。」
ニシオが抑揚のない声でいう。
「それに、書き順はきれいに書けるように偉い人がわざわざ決めてくれたんだぞ。ちったあ感謝しろよ。」
「その偉い人のせいで書き順で文句言われるようになったんじゃない!絶対許さない!」
近衛の怒鳴り声が廊下まで響いたのか、何事かと幾人かが教室の入り口から顔をのぞかせている。
「許さなくてもいいけどよ。その書き順じゃ絶対うまくならないぞ。」
どう学んだらこうなるのかと、見事に普通の書き順の逆をなぞる不思議な文字の書き方は、教員として流石に注意をしなければならないようである。
「もういいし!偉い人のやり方絶対マネしない!」
わざわざ漢字ドリルを持ち上げて机に叩きつける。肩を怒らせながら、あまり紙をホッチキスで止めただけの手作り漢字練習ノートに文字を走らせはじめた。
近衛の小さな手でしか持てないであろう削りに削ったほんの少しの鉛筆で、執念を感じるほどの濃さで一画ずつ、わら半紙をへこませながら文字を書く。隣の飯田くんも思わず見入ってしまっている。
執念の漢字練習は15分続いた。休み時間が終わりを告げるチャイムからしばらく経って、ようやく近衛の目線が机からはがれた。
「終わりました。」
鋭い目つきで事務机で現を抜かしているニシオをにらむ。ニシオは窓の外をぼんやりと眺めている。
膝裏で、勢いよく椅子を後ろに飛ばすと、大股でニシオに近づいていく。
「どうぞ!」
破れてしまうのではと飯田くんが心配してしまうほどの大きな音とともに、ニシオの前に手作り漢字練習ノートが置かれた。
窓の外から、近衛のにらみつける目元に、それから机の上の文字に目を落とす。
僅かな沈黙の後、ニシオの口が動く。
「変わんねえな。」
3年3組の教室にぺちりと弾んだ音が聞こえると同時に、隣の教室からは授業開始の号令が響いた。