うだる昼下がり
あー。
意味はない。意味なんてない。
あー。あー。
とりあえずに声に出してみる。
「あーーあー。」
言うと何が起こるかというと、何も起こらないのである。
近衛は山の神社の賽銭箱に腰を掛けている。
あー?
声の調子を少し変えてみる。少し前の夏祭りではあんなに盛り上がっていたのに、広い境内は何にもない。賽銭箱に座ろうと誰もいないから何も言われることもない。神様ですら特に関心を示さず、天罰も落ちない。
何も考えることがなさすぎて、目の焦点を合わせるのも面倒だ。周りがぼんやりする。
うっすら聞こえる知らない虫の音も貴重な暇つぶしだ。
頭を重力に任せて後ろに倒すとと首から音が出た。別に心地よくない。
「神様だって相手してくれりゃいいのに。」
仕方がないから賽銭箱からずり落ちて地面に座る。少し湿気っていて気持ちいい。
サンダルの隙間、右のかかとを蟻が登ってくるのが見えた。
「お前は相手をしてくれるのか。」
何だか嬉しくてそのままにしておく。少しくすぐったいのをこらえて好きにさせた。
親指のてっぺんまで来て少し止まった後、元来た道を戻って地面に降りていった。
なんだよ。
立ち上がって拝殿を回り込む。本殿を囲む玉垣は一箇所だけ板が外れるところがある。三日前に見つけたときには勇気がなくて入らなかったが、もう「やけ」である。
潜り込んだ後、本殿の真下の隙間に寝そべる。この真上に神様いるのか?
右を見ると目があった。
「ぐっ!」
間抜けな声が近衛から出てきた。肘を柱にぶつけて膝を膝にぶつけた。なんだなんだとよく見ると転がった狛犬だった。
「こんなところに。」
古いものなのか、だいぶ削られて輪郭がぼんやりしている。右耳は欠けていてどこかへ行ってしまっている。
暗がりで狛犬と一人と一匹。近衛は狛犬を眺め続ける。境内に建っている狛犬とはだいぶ雰囲気が違う。
近衛は狛犬の顔をじっと見つめた。
石のはずなのに、じろりと目が動いたように見えて心臓が跳ねる。すぐに目をこすってもう一度見ても、ただの石の塊。
「びっくりさせないでよ。」
声をかけても答えはない。答えがあったら怖いのに、答えがないのも少し寂しい。
夏草の匂いを含んだ湿った風が吹き込んできた。暗がりの空気は一瞬だけ動いて、またねっとりと張りついてくる。
祭りのときはうるさいくらい人がいたのに。
本殿の真下で仰向けになり、眼の前に広がる木目を眺める。隙間からほんの少しだけ、本殿の中が見えるような気がする。でも目を凝らしたところで見えるようになるわけでもない。しかたなしに目を閉じると、遠くで蝉が鳴くのが聞こえる。
狛犬の欠けた耳を指でつつく。ざらりとした石の感触が指先に伝わる。
「お前はどれくらい放っておかれてるんだ。」
狛犬の頭を撫でる。親近感が湧いたような気がした。
本殿の床下は風の通りが悪く、じっとりとした熱気が漂う。息をするたびに、湿った土と木材のにおいが鼻にまとわりついた。
体を横に転がすと、土の冷たさが腕に移る。狛犬とまた目が合う。自分と狛犬が同じように思えてきた。
汗が首筋を伝って土に落ちる。土はすぐに吸い込み、跡形も残らない。
思考も一緒に吸われていくようで、頭の中はどんどん空っぽになっていく。
昼下がりの時間は重たく、粘りつき、進んでいるのか止まっているのか分からない。目を閉じては開き、また閉じる。
いつしか境内の影が少しだけ長く伸び始めていたが、近衛は気にもしなかった。ただ本殿の下で、だらしなく伸びた手足を動かすこともなく、残暑の匂いに包まれたままである。
本殿の下に寝そべったまま、近衛は目を閉じたり開いたりを繰り返す。
どちらにしても、視界に映るのは変わり映えのしない暗がりと、ともに転がっている狛犬。
額に滲んだ汗は耳の後ろに伝い、土に染みて消える。息を吐けば重たい空気が胸の上に降りかかり、吸えば吸うほど体が沈んでいくようだった。
蝉の声ばかりが粘りつくように鳴り続け、やがて耳の奥でひとつの塊になって響く。
立ち上がる気持ちはどこにもない。
動こうとしない手足に土と湿気がじわじわとまとわりついて、ただ時間だけが遠くで流れていく。
少しずつ、見える景色に橙の色付けがされていく。遠くでスピーカーから、子供は早く帰れ。暗くなる前に家の中に入れと聞こえてくる。どうせ思ってもないくせに。
不満を覚えながらも、本殿の下から這い出てきた。最後に横に倒れた狛犬に手を振ってあげた。
待っていたのはへばりつく重たい残暑と、トンボと蝉とそこらの虫。
「かゆい。」
誰から注意されることもないだろうに、普段はしないのに真面目に鳥居をくぐって一礼をする。
このあとは何をしよう。
このあとの予定を考えながら神社の参道を歩いていく。




