乗ってみたかった
ニシオ先生の自転車は本当に遅い。5,200円のオンボロ自転車なのに値段が同じくらいしそうなのスピードメーターをつけてる。メーターはスピードが10キロを切っていることをずっと示している。
近衛が乗っても、西尾先生は音楽を聴きながら、スマホをいじって運転している。
「前見てよ。」
近衛が背中をぶっ叩きながらそう言ってもまるで聞いてない。
ふらふらしながら向かっている先はどうやらスーパーのようだ。
先生はコンビニ弁当食ってるイメージだけどなと、近衛は少しずつ迫ってくる夕日に照らされるスーパーの看板を見ながら思った。
スーパーまで来ると、所狭しと敷地内をうごめく車の気持ちなど一切考えずに駐輪場まで自転車を走らせる。運転手のみなさんからの厳しい表情に少し怯える近衛と、相変わらずスマホを見つめ続けるニシオ先生。自転車を止めると、周りのマダムの自転車からは、それはそれは浮いていた。イヤホンを外し律儀に縛ってポケットにしまう。イヤホンの先っぽがポケットから覗いているがお構いなく店内に入る。近衛はスタンドのロックがかかってないことやマダムの自転車の間にねじ込むように突っ込んでいるところが気になったがさっさとニシオ先生が言ってしまうので後を追っていった。
入り口にある緑のカゴを機嫌よく掴むと、ポケットに入っている似たような色の財布をカゴに放り込む。その後ろをついていく近衛はカートに視線を向けていた。ニシオ先生が自動ドアの向こうに消えた後も立ち止まって眺めている。後ろから来たマダム達が嫌な目つきで眺めながら追い越していく。
何人かに追い抜かれたあと、なるべく自然に歩き出した近衛は、カートの列まで行き、当然のように引っ張り出した。背の低い近衛がカートを持つとなかなか不恰好である。その不恰好なままカートを押して、自動ドアの先へ進んで行った。
ニシオはコッペパンを掴み、カゴに投げ込む。イチゴジャム、ピーナッツ、またいちごジャム。近衛が追いついた頃にはもう、カゴの中はパンで半分ほど埋まっていた。
「かご乗せなよ。」
惣菜売り場へ歩き出したニシオの後ろからカートをぶつけながら声を出した。
少しよろめいた後、大して表情を変えないまま振り返ったニシオは
「なんで?」
とダルそうに言う。
近衛は一瞬困った顔を作ったがすぐにいつもの強気な表情にもどし
「いいから!」
ともう一度カートをニシオにぶつける。衝撃でポケットに入れてあったイヤホンがぽろりと落ちる。近衛はそれを雑に拾うと、こうかん、とイヤホンとかごの取引を持ち掛けた。
「はあ。」とため息をつくと、仕方なしといった顔でかごをカートに乗せ、カートを押し出した。
近衛は再び不機嫌な顔を作ると、何も言わぬままカートとニシオの間に滑り込んだ。ニシオは何も言わずカートを押し、近衛はイヤホンを離さぬままニシオの腕を握り、足をカートに乗せた。
のろのろと動くカートに乗った近衛は後ろを振り返り、ニシオを見てにやりと笑うと
「野菜も食べなきゃダメ!」
と体重を総菜コーナーのある右側に傾ける。カートの左側のタイヤが浮き始めたので仕方なしに総菜コーナーのほうへ行くと、カートから降りた近衛が「これとこれは絶対」と、サラダをいくつか掴んでかごに投げ込む。満足するとまたニシオの腕をつかみながらカートに乗る。
「これでよし。」
そのあともカップラーメンコーナーと飲料コーナーに寄ったが近衛はカートに乗ったままご機嫌だった。右へ曲がれ、少しとまれ、もっと早く動かせとの指示に、ニシオは表情変えず従ったり従わなかったり。レジでの会計の際にもカートから降りなかったので、ニシオが手を放すとバランスを崩して転びそうになった。
「あぶない!」
と蹴りをニシオに一発喰らわしたが、もう一度乗ろうとはせず、会計の済んだ商品を「あたしがやる!」と勝手に持っていき、レジ袋にしまい始めた。適当に詰め込んでいるのではじめに入れたコッペパンが若干つぶれてしまっているがお構いなしに放り込む。
会計を済ませたニシオに笑顔で
「やってやったぞ。」
スーパーを出ると
「家まで送ってって!」
とおんぼろ自転車のさび付いたかごにレジ袋を突っ込むと荷台を占領。
「ふむ。」
ニシオは一言いうと、近衛のことはお構いなしに乱暴に駐輪場から自転車を引っ張り出すと、ズドンとサドルにまたがった。近衛は落ちそうになったが何とかこらえてニシオの中年腹に手を回す。
「また太った?」
ニシオの腹をもみながら近衛がにやりとする。
「うるせえ。」
もまれる腹をちらりとみると、のろのろと自転車をこぎだす。スーパーを出ると生活道路の左側に、影を二つ作って走る。スピードメーターは時速11キロと表している。のろのろと動く自転車の荷台で近衛はしわくちゃのワイシャツに頭を預けて、ゆっくりと目を閉じた。