大霊界2 死んだらおどろいた。 (私の死者の書2)
映画、「丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!」より
私の見解を交えてのうえでの「私の死者の書2」です、
ただ単に丹波哲郎氏の見解を祖述しているわけではありません。
私の見解も十分、混じっています。
というか「すべて私なりの見解です」と言ってしまったほうが良いかもしれませんね。
さあそれではご一緒に死の世界探訪の旅へ、、
どうぞ。
この映画冒頭、刑務所で死刑執行が行われます。
処刑されるのは、丹波哲郎が演じてる死刑囚です。
このシーン結構生々しいです。
するとアーラ不思議、幽体が抜け出して歩き出し刑務所の外へと、、。
「俺は夢でも見てるのか?」死んだことに気が付きません。
と、そこへ一台の囚人護送車が、、丹波氏がその運転席に座って乗り移り憑依して暴走運転を始めるのです、、、。
「大霊界1」よりもずっとストーリー仕立てになってるのでこれ以上筋を追うと
ただの映画解説になってしまうので、、この辺で、、、、、。
それでは「大霊界2死んだらおどろいた、」
私の解説とともに死後の世界へご案内いたしましょう。
1.死の自覚のない霊がこの世にはいっぱいいる。ごく普通の庶民はそもそも死のことなどふだん考えもしないから死んでも幽体となったとき、幽体の自分を生きてると思ってしまう。
2、この世には、古い霊もうようよいる。帝国軍人の霊はいまだに敗戦を知らずに戦い続けている。
3、幼児には霊がみえる、けがれなき幼児には霊が見えるのである。
4、霊の気配は誰でもうっすらと感じることができる。
5、指導霊、先祖霊が、死んだ人のもとに来て、さあ一緒に精霊界へ行きましょう」と案内してくれる
しかし現世に執着して死んだことを受け入れない幽体はなおも現世にしがみ付いて死んだ場所から離れようとはしない。そんな地縛霊がこの世にはうようよいる、そんな、さまよえる地縛霊のもとにも、精霊界へ行くようたびたび、お迎えが来る。
でも死んだことを受け入れない地縛霊は嫌がり死んだ場所から離れようとはしない。
あるいはもっと、暗い想念に沈んだ霊はおのずから求めて地獄界へと入り込んでしまうのである。
地獄とは自らが暗い想念で作り出したループ迷路のことなのだ、つまり地獄とはどこかのある所に実在するものではなくただ、あなたの心が作り出したものなのである。地獄に落ちたのではなくあなたはただ自分で地獄を蜃気楼のようにを作り出して地獄の夢を見ているだけです。あなたの心を向上させて魂の練度をあげなさい、そうすれば地獄は一瞬んで消滅するはずです。
6、さて、死を受け入れて指導霊に従って光の輪に沿って上ってゆくと、まばゆいばかりの光の中を、魂のトリップを経て精霊界へといざなわれるのである。魂のトリップは心躍るこの世では味わえぬような素晴らしい旅である。そこは香しい香気に満ちてる。いままで嗅いだこともないような香気に満たされている。
7精霊界はまばゆい光の国で目を開けていられないくらいなのである。そうした光輝に耐えられないような幽体は自ら暗いじめじめした地獄を求めて自分から地獄へと逃げてゆく。さて、精霊界にはすでに死んだあなたの家族が待っている。あなたは何十年ぶりかで死んだ家族と再会を果たすのである。だがそこにはいない家族も、、それはもうすでに高い境地に達して霊界に飛び去ってもう二度と転生の罠にはまらなくてもよい高級霊として精霊界を去って昇天してしまった人なのである。
8、死刑になったものも、ほんとに無罪なら精霊界へ行ける。それは死者の魂だけが自分が犯人ではないと知ってるからである。裁くのも、判決を下すのもここではあなた自身のスピリットである。精霊界では決して嘘は通用しないからである。
9、スピリットは精霊界で、生きてたときのことをまざまざとテレビでも見るように見させられる。
そこであなたは自分がなぜそのような人生を送ることになったのかというなぞの答えがわかるのである。あなたの今生の不公平も、不条理も、挫折も、成功も失敗も「ああ、そうだったのか」と心から、納得できる究極の答えがそこでわかるのである。
なぜあなたが死ぬことになったのか、それゆえの、前世のカルマも見せてくれる。
廻る廻るカルマの繰り返し、カルマから離脱するためには恨みを捨てて現世を夢と観じ魂の向上を図るのである。それしかないのだと、あなたは知ることになるだろう。
10、生きているとき、あなたは全く気付かないが、あなたの周りには様々な霊がうようよいる。だがそれが見える人はごく少数だ。そういう霊たちはこの世にしがみ付いてる霊がほとんどだからあなたを迷わそうとするだけである。
11、自殺者は自ら選んで死んだのだから当然天国へ行ける?と思われるかもしれないが、、実は、、自殺者はとんでもない地獄へと行くのである。それは現世という「魂の流刑地」での「魂の修行」を途中放棄したからである。現世で生きるということは実は現世という幻のオブスキュラを見せられてその幻の体験の種々相で魂の修行をさせられているのである。それを途中放棄したということは、また最初からやり直さねばならなくなってしまうからである。現世での不運も、栄達も、名声も、財産も、しょせんカゲロウにすぎません。死ねばすべて無に帰るのですから。いくら現世で大財産ため込んだか知りませんが、
その中の金貨一枚すらあの世には持ってゆけないのですよ。現世を深刻に考えすぎてはいけません、と言って現世を馬鹿にしていい加減に生きてもいけません。次々に現れるこの現世での試練にまじめに対応し続けなさい。と言ってあまりにも、深刻に苦悩しすぎて絶望してもいけません。
真剣に生きなさい、でも深刻に悩みすぎてもだめですよ。
12、現世とあの世は、裏表、、というか現世での諸相はあの世での諸相と密接にかかわっている。
あの世とは現世の裏返しであり、あの世とはこの世の写し絵?にすぎないのである。
13、精霊界でまだ、現世での修行が足りないと判断されると、再び人間界に生まれ変わる、
そのとき、魂はその修行にふさわしい場所(子宮)を選んで生まれてくるのである。
つまりあなたがどこに生まれるか選んで生まれてくるのです。
偶然はありません、すべて必然なのです、今生きてるあなたの、いやな両親も、悪妻も馬鹿息子も、それがあなたが現世で魂を磨くために必要だから与えられたのです。だが、、前世の記憶をすっかり消去されたあなたは「俺はなんでこんな両親のもとに生まれたんだろうもっと他の両親が良かったな」なんて寝言を言うわけですね。すべてはあなたが選んだ現世なのです。さてこの度の転生では、そこであなたはどんな修行をすることになるのでしょうか?そうしてそのときあなたはどんな態度をとるのでしょうか?
その結果についてはあなたがこの度の転生を終えて死んだとき、ゆっくりと点検?しましょうね。
それでは死があなたを精霊界へ連れ戻すまで、あなたはこの世で、魂の修行生活を真剣に送るのですよ、
でも決して深刻になってはいけません。真剣に生きるのは良いですが決して深刻に悩みすぎてはなりません。
結語
死は一切の終わりではない。
そして人生はただのカゲロウにすぎない。
人生に深刻になりすぎてしまって、絶望するのは愚かしい、
と言って人生を手抜きしてテキトーに生きるのもいけない。
「深刻になり過ぎずに真剣に生きなさい。」
そうすればおのずと人生の試練は過ぎてゆき
あなたはいずれ、死の時を迎えるでしょう。
死は心躍る冒険の旅立ちでもあるのです。
いたずらに死を恐れる必要はありません。
だってあなたはまじめに人生の試練という課題を
果たしてきたのですからね。
さあその時が来たなら
あなたは心躍る生の最後の大冒険へと旅立つのです。
誰死んだ、彼が死んだと言ううちに、お前が死んだと人に言われる
道歌
続く
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