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「なぁ、講義終わったら時間ある?この前のお詫びになんか奢るよ」


 チャラくて軽いで有名な近藤くん。

須田くんからはそのように聞いていたこともあり、もっともらしい誘い文句に一瞬顔をしかめる。

横に座っている美衣子は、こちらの顔色を伺いながらも近藤くんを敵認識して強い視線を向け威嚇している。まるで威勢がいい子犬だ。


「ちょっと、あんただれよ。誰に断わっていっちゃんを誘ってるわけ?」

「はぁ?そっちこそ誰だよ?」


キャンキャン吠えあう子犬のようだとぼんやり思いながら、二人の会話を聞き、お互いに認識がないことに気が付き慌てて間に入る。


「美衣子、この人は近藤くん。近藤くん、この子は美衣子」


「で?」

「で、って?」


美衣子に詰め寄られて、他に何か説明が必要なのだろうか?と考える。


「お前、意外と信頼されてないのなぁ」


寂しいやつ、と言いながら近藤くんは美衣子ににやりとした。


「っ!ちがうもん!そんなわけっ」


講義室に美衣子の声が思いのほか響いたことに驚き、思わず美衣子の口に自分の手を押さえつけてふさいだ。それでもまだ言い足りないようで、私の手のひらに美衣子の形の良い唇がもごもごと動いている。

あーあ。黒井教授から見られてしまった。目があった教授に小さく頭を下げておく。

黒井教授は、いまだ私の手に口元を覆われながらも近藤くんを睨み付けている美衣子を見て、鼻で笑ったように見えた。あとで覚えてろ、と言うように完全に美衣子を(ついでに近藤くんのことも)ロックオンしたようだ。私たちから視線を外し、何もなかったかのように流暢に説明を再開しているが、謎の威圧感が半端ではない。


どうして私の周りにはこんなに癖の強い人が多いのだろう。

小さくため息をつく。


「ふたりとも、講義中だからね」


周りの人の迷惑になる私語は慎みましょう、講義中の私語は人の勉強時間を奪う犯罪です、とかねてから言っていたおじいちゃん先生は今では腹黒眼鏡の黒井先生に変わってしまった。だからと言ってこの状況を野放しにしておくと、黒井先生からの視線が痛い。


これ以上大きい声を出さないことを条件に、美衣子の口を解放する。


美衣子にはこの前起こった近藤くんと須田くんとの話をしていない。

なんとなく話すきっかけがなかったのだ。

だた、きっかけがなかっただけで教えたくなかったわけではない。

話さなかったと言って、美衣子を信頼していないわけではない。

しかし、美衣子にとってあまり交友関係の広くない私の知り合いを知らなかったことは衝撃だったのかもしれない。

しかも、それを私の知り合いから「友達なのに俺のこと聞いたことないの?」と指摘されるとは。


友達だからと言って、お互いのすべてを知っているわけではない。

実際、近藤くんとはほとんど話したこともない。

それでも、美衣子は私のことを、私に関わる人のことを知りたいと思ってくれている。

どうして教えてくれなかったのか、と恨むような視線を向けてくる美衣子を一方では面倒だと思いつつ、それでも可愛いくてほっとけないと思ってしまう私も実は癖が強いひとりなのだろう。


私に諌められた美衣子のことを頬杖をついてにやにやしながら見ていた近藤くんを見て、確信犯だと思った。


「近藤くんって結構性格悪いんだね」



お詫びのお誘いに対する返事をせずに、思ったことをありのまま投げつけた。

もちろん、前回と同じく笑顔で。


驚いたように目を見開いた近藤くんの姿に満足して、私はそれ以上何も言わず前を向いた。


隣では美衣子がふくれっ面をしたまま、私を見ていた。


膨らんだ頬をつつくと、美衣子の唇からぷすっと空気が抜けた。


「あとで話すから」


今は講義に集中しよう、と視線を黒井教授にちらりと向けた。

少し嬉しそうに、絶対だよ、と言うと美衣子はそれ以上私に視線を向けることはなかった。



それから暫くすると、お決まりのように美衣子は机とお友達になっていた。

今日も通常運転だ、と思わず笑ってしまう。


後ろの席でガタリ、音がして身構えた。

近藤くんがまた何か仕掛けて来ると思ったのだ。

またなにかされたらたまったもんじゃない。そうなる前に阻止しなければ、と振り返った。


それなのに。



「おい、近藤起きろ。ノート取ってねぇのかよ」



聞こえてきた声は紛れもなく、須田くんの声だった。



目があった。


初めて須田くんと目があったときと同じだ。

この前と同じ。



一瞬時が止まったような気がした。

言いたい言葉が出てこない、想いは募って言葉にならず、ぽろぽろと溢れてしまう。


久しぶりに見た須田くんは何だかやつれているように見えた。

相変わらずぼさぼさの髪。眼鏡をしていないおかげで、前髪が目にかかり視界が悪そうだ。

寝癖なのか、おしゃれなのか、微妙なラインのその髪の感触を確かめてみたい。

その前髪を払って、色白の顔に指を滑らせてみたい。


ぽろり、ぽろり。

気持ちがあふれる。



あの女の人は。

あのときカフェで須田くんと向かい合っていた綺麗な女の人は。

髪の感触を、肌の滑らかさを、須田くんのすべてを知ってるんだろうか。



ずきり。

胸に鋭い痛みが刺さった。




私は今の気持ちに名付けるべき言葉を知っている。




そのことに気が付くと、いてもたってもいられなくなった。

顔が熱い。顔が熱いと認識すると、どこもかしこも熱くなる。


どくん。どくん。


顔も、耳も、足も、指先も、体全体が心臓になったようにどぐん、どくん、脈を打つ。



すぅっと須田くんが息を吸い込んだ。

普段は気にも留めない行為でさえも、今の私にとってはぴりぴりと甘い刺激になった。



だめだ。

耐えられない。


須田くんの息が言葉をつむぐ前に、逃げるように視線を逸らせたのは、今度は私の方だった。





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