10年前
俺が見ていた別人の顔は、地味だが若く化粧もしていない、あの頃の弘美ちゃんの顔だった。
とても美人といえるような顔立ちではない。華やかさもなく、どこか暗い印象を与える顔…。
沢木が最後に言葉を発してから、部屋の中に長い沈黙が続いた。
それを破ったのは、ずっと沢木を見据えていた明美先生だった。
「それで…石田君の症状が治るかもしれないと、ここへ来たってわけね。」
「はい。」
沢木は明美先生の目を見ようとしない。
「石田君の症状を治して、また今の綺麗な顔を見て欲しいと…。そしてこれからも自分の事を好きでいて欲しいのね?そうよね、宮野さん。」
明美先生の言葉は、沢木を挑発するというより、攻撃しているようなとげとげしさを持っていた。
明美先生の言葉を受けて、沢木は明美先生を睨みつけた。
「何が言いたいんですか?」
確かに沢木の言い分は分かる気がする。ここで沢木を怒らせる事に何の意味があるのだろうか。
「あなた、少し都合が良すぎじゃないかしら?」
「おっしゃっている意味が分かりません。」
お互いに言葉づかいこそ丁寧だが、それがより緊迫感を増長させる。
明美先生は一体何が言いたいんだ。
「さっきから聞いていれば、自分の事ばっかり…。過去を捨てたと言いながら、一番過去にこだわっているのはあなたじゃない。都合のいいように石田君を振り回して、結局全ては自分の為。石田君を愛しているんでしょう?」
沢木の顔は真っ赤になっている。
俺はこれ以上見ていられなかった。椅子から立ち上がり、場を収めようとすると、沢木が右手で俺を制した。
「愛してます!あの頃からずっと愛しているんです!だから過去のものとして、あの時の思いが捨てられないの…。改めて石田君を好きになったんじゃない。この思いはあの頃からの延長なんです!」
沢木は大きな声で恥ずかしげもなく俺への思いをぶちまけた。
「だったら…。」
明美先生は、想定内と言わんばかりに落ち着いた口調で迎え撃った。
「過去の思いも大事にしたいのなら、あなたはまず全てを打ち明けるべきじゃないかしら?」
明美先生の言葉を耳にした沢木に、先ほどの勢いはなく、明美先生から目をそらしている。
明美先生は立ち上がり、沢木の肩をぐっと掴むと顔を近づける。
「10年前、あなたが石田君にした事を、すべて彼に打ち明けなさい。」
10年前…どういう事だ。
弘美ちゃんが俺にした事。当の本人である俺にも全く思い当たる節がない。
明美先生にすごまれた沢木は、子犬のように震えている。
もういいじゃないか。もう沢木を追い詰めないでくれ。
「今のままでは、あなたが先ほど話していた恋敵と一緒よ。石田君を自分のものにするために、どんな卑怯な手も使う。そんな人と一緒でいいの?」
「違う!私はそんなんじゃない!」
沢木は肩を掴んでいる明美先生の両手を振り払った。
「そう思うなら、今ここで石田君に全てを話しなさい!石田君にこれからも愛してもらうために…。」
沢木は明美先生の言葉で涙が溢れてしまった。
明美先生も普段こんなに声を荒げる事はないのだろう。へなへなと椅子に腰かけると、ぼーっと沢木を見つめている。
「ほんの出来心だった…。悪気はなかったの。」
沢木はゆっくりと話し始めた。




