蛇
高橋の部屋に戻る足取りはとても重かった。
俺のチーム沢木卒業について、高橋に詳しく聞いておかなければならない。自分自身納得できていなかった。
「失礼します。」
高橋の部屋に入ると、じっとこちらを見つめる視線に身がすくむ思いがした。
「おかえりなさい。で、彼女とは話できたの?」
高橋の目は笑っていない。
「はい。」
「そう。それで、あなたはどうするの?これまでどおり彼女の企画を手伝うつもり?」
今さら何を言っているのだろうか。チーム沢木から俺を外したのはあんただろう。
「どういうことでしょうか?」
「あなたたち、ちゃんとお話はしたのかしら?あなたを彼女から遠ざけようとしたとでも思ってる?」
椅子にふん反り返り、俺の目を瞬きせずに見つめている。
「私はね、彼女にも期待をかけているの。私の若い頃を見ているようでほっとけないの。彼女はあなたに何と言っていたの?」
俺は自分の口からチーム沢木離脱の事実を言うのは憚られた。自分で口にしてしまうと、自分の中身が空っぽになってしまいそうな気がした。そう思うほど、あのメンバーで仕事をするのが楽しかったのだ。
「沢木さんは、これからは各々の仕事に精を出そうって…。」
俺の言葉を聞いて、高橋はにやりと笑った。
そして一呼吸置くと、真剣な表情に戻り、こう言った。
「本当に若い頃の私にそっくりね。彼女も相当負けん気が強いのでしょう。」
おそらく高橋が先ほど言っていた事は嘘ではないらしい。
高橋は沢木に、今の企画を自分で一人で成し遂げてはどうかと“提案”をしていたのだ。提案というよりは、むしろ挑発に近いかもしれない。
「あなたも明日から自分の仕事に集中しなさい。今日一日で理解できたでしょう。今回のプロジェクトが多少の気合で一筋縄ではいかない事を…。」
確かにそうだった。昼間の業績報告以外はすべて高橋のプロジェクトに時間を費やした。部署の発注が無かったおかげでこの時間に終わる事が出来たが、明日からはそうはいかない。沢木の企画についても、今日は手伝うどころか、考えもしなかった。
「明日から、心を入れ替えて仕事に取り組みます。」
俺はこの言葉を絞り出すのが精一杯だった。自分の力のなさに打ちひしがれる思いだった。
ただの思い上がりだったのだ。誰よりも努力してきた事で得た自信は、過信だったのかもしれない。
そして、俺にとって沢木の決断は間接的にダメージを与えた。沢木は自分のプライドもあっただろうが、俺への気遣いであの決断をしたのだ。自分の企画が、俺の負担にならないように…。
裏を返せば、俺に今の仕事の状況は無理だと判断されたともとれる。
「あなたたちが自分の仕事を全うできるかどうか、この目で見極めさせてもらうわ。」
高橋はそう言うと席を立った。すれ違いざま俺の右肩に左手をのせると、顔を近づけ耳元で囁いた。
「期待してるから…。」
吐息を耳で感じるほどその距離は近かった。高橋の表情など見る余裕すらなく、俺の体は硬直してしまっている。
高橋が部屋を出た後も、しばらく体が言う事を聞いてくれなかった。
蛇に睨まれた蛙とは、このような状況の事を言うのだろう。明日からが憂鬱なものへと変わった気がした。




