明美先生
泉クリニックの駐車場には車が一台も停まっていなかった。午後から休診であるため当然ではあるが、患者が誰もいない状況だと顔を出しづらい。
車を降り、駐車場から中の様子を窺っていると、中から不安げにこちらを覗きこむ影が目に入った。
俺は一瞬で明美先生だと分かった。この人だけ時が止まっているかのように、10年前と変わらぬ姿だった。相変わらずの丸い童顔で、いや、童顔だからこそあまり年齢を感じさせないのだろうか。俺より10ほど年上だが、同級生でも通りそうである。髪型もあの時のショートカットのままだ。
「もしかして…」
明美先生はそう呟きながら近づいてくると、俺の顔をはっきり認識した途端、泣き出してしまった。
「おかえりなさい。うぅ…元気そうでよかった。」
明美先生の言葉に、俺も自然と涙がこぼれた。『元気そうでよかった』。その言葉は、俺を心配し続けていてくれた明美先生だから出た言葉だろう。俺の事を、ずっと頭の片隅に置いてくれていたことが嬉しかった。
美也によると、俺が大学進学でこの街を離れた後も、ちょくちょく母親に俺の近況を聞きに来ていたという。
「先生、ごめんなさい。一言もお礼をしなかった事が、ずっと心残りでした。」
「ううん、いいの。元気でいてくれれば、それだけでいいの。」
明美先生は顔はもう涙でぐしゃぐしゃである。化粧がだいぶ崩れてしまった。
「先生に聞いて頂きたい話があります。今日は最後の治療をして頂きたいんです。」
俺の言葉を聞くと、明美先生は涙をぬぐい、じっとこちらを見つめた。
その目は心療内科医として患者を見る目に変わっていた。俺の担当をしてくれていた頃には、見たことがない表情だ。あれからいろんな患者と向き合い、心療内科医としての経験をたくさん積んできたのだろう。
「分かったわ。話を聞きましょう。さあ、中に入って。」
明美先生はにっこりと微笑みながら手招きした。
全てを話そう。明美先生についた嘘も…。そして全てを解決するのだ。俺はそう決意し、泉クリニックの玄関をまたいだ。




